2010
05.07

2010年5月7日 井上ひさし

らかす日誌

今日から新しい本を読み始めた。

吉里吉里人

井上ひさしを語るときに、例外なく取り上げられる本である。ということは、ひょっとしたら彼の代表作か。

新しく買い求めたのではない先日横浜に戻ったとき、書棚を見ていて見いだしたのだ。
奥付きを見ると、

発行:昭和56年8月25日
四刷:昭和56年9月25日

とあった。
たった1ヶ月で四刷。大変に売れた本のようだ。そして、私が買い求めたのは、昭和56年、1981年の秋であるらしい。30年近く前のことである。買って読んだのは30歳代の始めのようだ。
そういえば、ページの端は黄ばんでいる。時間のなせる技である。そうか、俺もこんなに黄ばんでしまっているのかな……。

ずっしりと重い本だ。全ページ2段組で834ページもある。大著である。価格は1900円。いまなら4000円というところだろうか。

で、今日読み始めた。この時間(午後9時31分)までに54ページまで進んだ。

「今日は平日だろ? そんなにさぼっていいの?」

まあ、朝から読み始めてこの時間までにそこまで読み進めば、そんな疑惑の目を向けられるのも承知している。
今日は昼からみっちり仕事をしたのだが、それでも何故かこれだけ読んでしまった、といっておく。

饒舌な人である。こんな事書かなくたって、さっさとストーリーを進めればいいじゃん、と思うところが多々ある。
例えば出だし。

 この、奇妙な、しかし考えようによってはこの上もなく真面目な、だが照明の当て具合ひとつでは信じられないほど滑稽な、また見方を変えれば呆気ないぐらい他愛のない、それでいて心ある人びとにはすこぶる含蓄に富んだ、その半面この国の権力を握るお偉方やその取巻き連中には無性に腹立たしい、一方常に材料(ねた)不足を託つテレビや新聞や週刊誌にとってははなはだお誂え向きの、したがって高見の見物席の野次馬諸公にははらはらどきどきわくわくの、にもかかわらず法律学者や言語学者にはいらいらくよくよストレスノイローゼの原因になったこの事件を語り起こすにあたって、いったいどこから書き始めたらよいのかと、記録係(わたし)はだいぶ迷い、かなり頭を痛め、ない知恵をずいぶん絞った。

 これが、この本の最初の段落である。
ひとつの段落が、ひとつだけの文章で構成されている。その上、このねじくれた、あちらに向かうかと思えば、こちらにやってきて、そうかと思うととんでもないところに行ってしまう論理。それが井上ひさしの持ち味らしい。それとも、この文体はこの小説のために採用されたのか?
そもそも、この小説を書くのに迷い、頭を痛め、知恵を絞ったなどと書く文筆家がどこにいる?

この段落、無駄な文章である。が、人生は無駄の寄せ集めと見れば、これとて大切にしなければならぬ。とりあえずここには、ヒューモアというよりユーモアを散りばめながら、この小説のテーマが大づかみに語られている。

だけどなあ、小説が最初の段落で、これから書きつづるテーマを提示するか?

と読みながら、この文章、このひねくれ方、どこかで見たような気がする、とずっと考えていた。先ほど、ああ、そうか、と思いついた。

私の文章に似てないか?

まあ、このあたりは曖昧に読み飛ばして頂いた方がいいが……。

さて、30年ほど前に一度だけ読んだ本である。東北に吉里吉里国が突然誕生し、日本からの分離独立を宣言する。それから先の騒動で、国家とはいったい何なのか、というテーマが追求さていたような記憶があるが、細かな筋はほとんど記憶にない。それどころか、井上ひさしが

「国家の本質って、こんなもんでしょう」

と差し出していたイメージも、まったく頭に残っていない。国家って、いったい何だ? 未だに明瞭なイメージを持てない。

「なのに、どうして沢山本を読むの? それがいったい何の役に立つの?」

という、妻が口にしそうな疑問は無視して、先に進む。

ひとつだけ頭に乗っていることがある。この小説が、私の感覚では唐突に終わってしまったことである。

「えっ、こんなところで終わってしまうのなら、これまで何のために書いてきたの?」

これは、いかにも尻切れトンボでないか、と井上ひさしに詰め寄りたくなった覚えがある。

どのあたりが尻切れトンボだったか、という記憶もない。が、さて、30年昔に私が感じた違和感は、正しかったのかどうか。年齢が足りない故に、そんな感じ方しかできなかったのではないか?
それが、井上ひさしの死に接して、私がこの本を再読しようと思った動機である。

残りのページ数は800に近い。再読してどうだっかのレポートを書くのに、しばらく時間を与えて頂きたい。

30年たった本って、読むと鼻がムズムズしてくしゃみが出るのだなあ、と実感しつつ、私はこれから読み進む。でも、そんな疑問が解けたからって、何の意味があるの?

いいのだ。人生とは無駄の寄せ集めなのだ。