07.04
2010年7月4日 可愛がる
瑛汰と似ている、と報告を受けた次女の新生児を、昨日、初めて見てきた。
幸いなことに、いわれたほど瑛汰には似ていない。ということは、瑛汰は私に似ているといわれるから、私にもそれほど似ていない。
よかった。お前、美人になるか?
やはり女の子である。生まれたばかりの時の瑛汰に比べて、どこか優しげな顔をしている。女が優しいとは神話であると何度も思い知らされながら、このような表現しか持たないことを恥じつつ、ほかの表現を思いつかないのは語彙不足のなせるワザか。
新生児は今日午後、横浜の自宅に戻った。名前はまだない。次女、旦那、瑛汰で盛り上がっている名前は「ねね」である。どんな字をあてるのかは知らない。
おいおい、ねねとは秀吉の正室の名だぞ。彼女は子を産むことができず(子をなす能力がなかったのが秀吉なのか、ねねなのかは定かではないが)、秀吉は子供ほしさも手伝って女に狂うことになる。行き着いた先が、茶々=淀君であることはほとんどの方がご存じであろう。
良いのかな? そのような名で。
まあ、私が関与することではないが。
瑛汰は、妹に夢中である。
自宅に戻り、ベッドに寝かされた妹のそばを離れない。頭に触る、。手に触る。
「ベビーちゃんに痛くないおもちゃを持ってくる!」
と駆けていった。駆け戻った瑛汰の手に握られていたのは、柔らかい布でくるまれたガラガラだった。それを握って、新生児の顔の前で必死に振る。
「顔の近くで振っちゃダメだよ。ベビーちゃんの顔に当たっちゃうよ」
言いつけを守りながら、さらに振る。
「ママ、ベビーちゃん、泣いてるよ!」
瑛汰はベビーちゃんに夢中である。
前日、ママの病室を尋ねたあと、誕生日のプレゼントを買いにラゾーナに向かう車の中で、
「ママのところがいい。ママのところに戻る!」
と何度も泣いた(もっとも、ラゾーナでビックカメラのおもちゃ売り場に行ったら泣き止み、買い物を済ませたらまた泣き出したのでアイスクリームを買ったらニコニコ笑い、書店では5冊も本を買ったご満悦だったのだが)のに。
その涙を見たときは、一番好きなママが入院してあまり家にないパパと、いつも家にいるババとの暮らしに、3歳ながら必死に耐えているんだなあ、と可哀想になった。
瑛汰、良かったな。ママは帰ってきたし、ベビーちゃんもやってきた。楽しいな!
もっとも、瑛汰のベビーちゃんへの関心は、ペットへの関心とどう違うのだろうと考えたりもするのだが。
私は、娘を産院まで迎えに行き(with 旦那&瑛汰)、20分ほど新生児の顔を見て桐生に引き上げてきた。
ひとり暮らし、再開である。
さて、金曜日の鮎。
鮎だった。
それだけである。
「めいしゅう」さんは、財布まで取り出した私の意向を我が思惑通り無視して、自分で全額払ってしまった。
「いつもごちそうになっていたら、もう誘えなくなるじゃないの」
という私のクレームにも素知らぬ顔だった。声が小さすぎたのか?
さあ、明日からまた仕事だ。