2011
11.22

2011年11月22日 60の手習い

らかす日誌

考えてみれば、私がギター教室に通い始めたのは還暦を迎えてからだった。
ギターは両手で弾く楽器である。2本の手以外は何も使わない。私は、60の手習いを言葉通りに実践していることになる。

「いい老後ですね」

そんな賞賛が聞こえてきそうな気がするが、どうしてどうして、それほどいいことばかりではない。

進歩が遅い。ま、それは仕方がない。俊敏さも記憶力も筋力も、若いころに比べればずいぶんすり減っている。人差し指ですべてのコードを押さえるバレーコードと呼ばれる弾き方だって、学生のころなら1週間も続けていれば、掌の筋肉の痛みは治まった。いま、すでに2年以上ギターを弾き続けているにの、相変わらず左手の筋肉が痛む。
60の手習いは、自分の体との戦いなのである。

ここしばらく、右肩が痛い。腕が上がらない、というほどではないが、常に鈍い痛みがある。

「おかしいな。40肩、50肩の年代は過ぎたはずだが」

いろいろと原因を考えた。布団に入って読書をする際、右肩を下にするからではないか? 下になった肩が長時間圧迫され、血流が滞って痛みを生み出しているのかも。

1ヶ月ほど前から左を下にして読書をするようにした。
が、右肩の痛みは治まらない。一方の左肩は痛まない。圧迫していない右肩の痛みが何故ひかない?

1週間ほど前に、ふと気がついた。
ギターではないか?

練習はほぼ毎日続けている。短い日で1時間、長ければ3時間、4時間取り組む。
椅子に座り、ギターを抱える。まず、この姿勢をご想像いただきたい。
この姿勢で、左手はネックを持ち、右手はギターのボディを抱きかかえるようにしてギター本体を体に引きつけている。

さて、練習を始めよう。左手は、出したい音を求めて、常に動き回っている。だが、右手はどうか?
確かに、肘から先は弦をかき鳴らすために動く。だが、肘から上は? 動かない。ギターが動き回らないように、常にボディを押さえている。つまり、私の右肩は、1時間ないし4時間の間、動かないままなのだ。

加えて、未熟さがある。なれれば軽く押さえればすむはずなのだが、未熟だから力が入ってしまう。さて、右手で拳を作り、力をこめて10分間握り続けてみよう。あなたの右手は痺れて動かなくならないか? 挙げ句に痛み始めないか?
私に右肩は、私がギターを練習する間、握りしめられた拳状態が続いているのだ。

若いうちなら、みずみずしい筋肉が酷使に耐えるであろう。が、すでに60年以上使い続けた肩の筋肉だ。それなりに劣化し、みずみずしさを失っていると思われる。新しい輪ゴムは何度引っ張っても元に戻るが、古くなった輪ゴムは引っ張れば切れてしまう。
私の右肩の肩の筋肉が悲鳴をあげるのもむべなるかな、ではある。

なあ、それほどの思いをしてもギターを弾きたいか? 弾けるようになりたいか?
困ったことに、なりたいのだなあ。
上手く弾けるようになれば、何かが変わるわけでもない。人前で披露する予定もない。そんなことは重々承知しているのに、明日もやっぱりギターを弾き、

「ちっとも上手くならないなあ。上手くならないどころか、できたとこまでできなくなったぞ」

とぶつぶつ言いながら、ギターを弾いているはずである。

そうそう、新たに

Here Comes The Sun

が練習曲に加わった。 いうまでもなく、The BeatlesのAbbey Roadに入っているGeorge Harrisonの名曲である。コード進行は簡単だが、簡単なコードを押さえながら、主に右手の動きでメロディラインを奏でる。軽快な曲想も手伝って、弾いていてうきうきする曲である。
もっとも、うき、ぐらいまで行くと弾き間違えて、再び、う、に戻って弾き直すのではあるが。

掌と腕の筋肉の痛み、肩の痛みを引き起こしながら、それでも、これほど私を引きつけるギター。不思議な楽器である。