04.08
2011年4月8日 お茶会
などというものに参加するのは生まれて初めてである。
昨日、私を招いた元有力者O氏に
「何時頃いったらいい?」
と電話で問い合わせた。
「10時からだけど、ま、弁当もあるから11時頃でいいんじゃない」
という返事だった。その時刻に家を出た。
目的地は、桐生に来た当初住んでいた家の近く、吾妻公園である。ここに茶室がある。昨年は東日本大震災の影響で中止になったが、もう45年も続いている茶会だという。
受付を済ませ、茶室の前の腰掛けで順番を待ち、部屋に入った。8畳ほどの広さの部屋に、10数人の客が座る。迎えてくれたのは、なんとO氏の奥様であった。和服姿がりりしい。後ろで差配するのは、その奥様の母御、お手前を披露したのはO氏の長女。そういえば、受付にいたのはそのご長女の旦那である。
わずかな時間で、O氏一族のほとんどに面通ししてしまった。
茶室に入って座る。と、奥様がおっしゃった。
「どうぞ皆様、足をお崩しになって」
私なんぞは、最初からあぐらをかいておる。で、ひとこと。
「といわれても、これ以上崩しようがないんですが」
ちょいとしたところに突っ込んで笑いを取る。どうやら、これは私の天性らしい。
作法通り、といっても私は作法などまったく知らないのだが、とにかく和菓子が出て、やがて茶が出た。周りを見ると、みな茶が出る前に和菓子を口に運んでおる。はあ、そういうものなのか。普段、甘いものはまったく口にしない私だが、この場ではそうも行くまい。私も、慌てて和菓子を口にする。
モグモグやっていると茶が出た。うん、口の中が甘い。これは茶で流すに限る。茶碗を取り上げてグイッと飲んだ。グイッと飲んだら、すぐに空になった。
「あのう」
「はい」
「お茶って、おかわりしてもいいものなんですか?」
「ああ、それは、美味しかったということで、はい、おかわり、結構ですよ」
茶室内がどっとわいた。足についての掛け合いに続いて2度目である。これだけ笑いに包まれる茶席も珍しかろう、と未経験の私は勝手に思う。
いずれにしろ、私は天性のコメディアンらしい。
茶席を出て弁当をもらい、公園の日だまりで食べた。屋外で昼食をするなど、さて何年ぶりのことだろう? ひょっとしたら、瑛汰の運動会の応援に行って以来か。
まあ、私にとっては、
「お茶を飲んだ」
という程度の体験でしかない。
「大道さんもお手前を覚えたら」
とO氏はおっしゃるが、私にはトンとその気がない。お茶など、飲みたいときに飲めばいいのである。千利休がなんといったか知らないが、それ以上のものとは思えない。小難しい作法を体に覚えさせなくても必要なときに茶は飲める。
が、妻女殿は上機嫌であった。まあ、持病故、ほとんど外出することがない。ましてや、このような社交の場に出ることはない。久々の晴れ舞台で気分が高揚したのだろうか?
が、膠原病には紫外線が害になる。弁当を平らげると、そのまま家に戻った。
戻って、私はギターを抱えた。
妻殿の上機嫌は寝るまで続いていたようである。
別れ際にO氏がいった。
「14日土曜日は、うちで花見をするんで、おいでよ。ギターを持ってきてもいいよ」
持ってきてもいいよ、とは、もってこいということである。
彼の誘いとあれば、行かずばなるまい。また恥をかく1日になりそうである。