04.12
2012年4月12日 民主主義
って、何?
齢62、間もなく63になる私に、そのようなことを改めて考えさせる野田ドジョウ首相は、ひょっとしたら偉大な教育者なのかも知れない。
教育とは、正しい答えを記憶させることではない。正しい答えに至る早道を教えることでもない。それぞれの頭で考えることを習慣づけることである。
と考える私ににとって、最近のドジョウは教育者なのだ。
「しっかり議論して」
最近のドジョウの口癖である。いや、ずっと前からの口癖であるのかも知れないが、そのあたりは知らない。
「党内でしっかり議論をして」
ドジョウの話に違和感を感じたのは、増税法案についての党内議論の時だった。党内でしっかり議論をする。でも、議論、って何?
私は次のように考える。
議論とは、そもそもは違った考えを持つ人の間で成立するものである。民主党内には消費税率を引き上げるべきだという考えの人と、引き上げるべきではないという考えの人が混在する。だから、議論の前提条件のひとつは充たしている。
だが、忘れられがちだが、議論にはもうひとつの前提がある。議論を通じて、意見の意見の一致を見いださなければならないということだ。つまり、対立する意見を持つ人々の間で、どちらか一方が、他方の意見をもっともだと受け入れるか、双方が納得する第3の回答を見いだす。それが議論である。
それがない限り、議論とは参加した人がへとへとになり、もうどうでもいいやという境地に達したことを見計らって多数者の横暴を押し通すための手続きに過ぎない。消耗戦である。
つまり、議論に臨むには、話し合いを通じて、ひょっとしたら自分の考えも変わるかも知れない、という覚悟が必要である。相手に何をいわれても、決して自分の考えは変えない、というところには議論は成立しない。言いっぱなし、聞きっぱなししかあり得ない。それを議論とは呼ばない。
さて、民主党の連中はどうであったか。
野田ドジョウは、政治生命をかけて増税法案を国会に出し、成立させると言い続け、本当は対立するはずの自民党にまで秋波を送る。ドジョウに、自分の考えを変える余地は全くない。この人が首班を務める集団で、議論なんて成立するか?
「しっかり議論をして」
というのは、
「何としても説得して」
の言い間違いでしかない。
そして案の定、増税反対派の意見は一顧もされず(目標成長率を盛り込んだ、などというのはとんだ茶番である)、党内の多数を背景に増税法案が国会に出た。
こうした現実を見る限り、
「しっかり議論」
をすることは、ちゃんと手続きは踏みましたよという言い訳にしか聞こえない。それでいいのか?
相対立する立場の間で意見を戦わせる。それが民主主義の基本と言われる。だが、本当にそうか。民主主義とは、そのような空しい手続きのものとで遂行される多数者による支配のことなのか。
まったく逆のことだが、少数派にも問題がないわけではない。
5日夜、被災地の瓦礫受け入れを表明した桐生市で、市民向けの説明会が開かれた。関心があって、私も会場に歩を運んだ。ここで見たのは、少数者の思い上がりである。
集まった市民から、安全性を不安視する意見がいくつも出た。自ら、メーカーなどに問い合わせて集めたデータを元に懸念を表明する人もいた。
そこまでは尊重する。自分と、自分の子供たちの健康を守りたいというのは十分うなずけることである。
だが、私が理解できたのはそこまでである。
会場から出る疑問、不安、懸念には、環境省から来た役人が丁寧に答えていた。私は、なるほど、と思いながら聞いた。会場からは、その説明への反論は出なかった。
なのに、である。ある人がマイクを持って言っちゃったのだ。
「我々が納得できる回答ではない。議論は平行線だ」
平行線? ちっとも平行してないけどな。あんた対の疑問への答えはつぶさに出た。それに対する突っ込みがなかったということは、あんたら、それ以上の疑問はなかったということと違うのか?
挙げ句、受け入れ反対派は、閉会後に市長を取り囲み、
「納得のいく説明がない。我々が納得するまで何度でも説明会を開け。それまでは受け入れるな」
と詰め寄った。
受けた説明に反論もできないのに、それはないだろう、と私は思う。少なくとも、私が見聞きした限り、反対派が挙げた疑問点にはすべて回答が与えられていたからである。
さて、このような場合、当局者はどうしたら良かろう?
「一人でも反対があったら橋を架けない」
と脳天気なことをいったのは、かつての美濃部都知事である。それでは、多数者が少数者に引きずり回されることになってしまう。世の中はちっとも動かない。
多数派がいいということをやって世の中が良くなる保証はない。少数派がダメというからやらないのでは何もできない。では、どうすればいいのか?
民主主義とは、決して理想の政治システムではない。我々は、まだ民主主義を超える政治システムを持っていないのだと自覚して、いまのシステムを慎重に動かすしかないのである。
空疎な言葉を並べることがお得意なドジョウ首相には、特に自戒を促したい。