05.20
2012年5月20日 気が乗らぬ
こわごわながら、ギターを触り始めた。先週末、尊敬する先輩と雑談の折、
「腱鞘炎、やったことありますか?」
と聴いたら、
「もちろん」
という答えが返ってきた。若いころ野球をやっていて、腱鞘炎なんてしょっちゅうだった、と胸を張られた。
「そんなとき、どうされました?」
にっこり笑った先輩は、さらに胸を張っていった。
「患部に糸を巻くのよ。それで練習した。痛くても、練習を休んだらいかん」
詳しく話を聞くと、今でいえばテーピングのようなものらしい。それで練習を続ける。
「腱鞘炎になるってことは、筋肉が体の動きについてこられるほどには発達してないってことなの。だから、同じ練習を繰り返し、その筋肉を鍛える。そうすれば腱鞘炎は治る」
究極の根性論にも聞こえる。それに、私の場合、動かすんじゃなくて、動かさないで力を入れ続けたことが腱鞘炎の原因と見られ、そもそも発症の機序が違う。やっぱ、役に立たないか?
とは思ったものの、そばにギターがあるのに、触らないのは辛い。同じベッドに最愛の美女(貴女のことだよ、○○ちゃん!)が横たわっているのに、手も足も出さないようなものである。
「えーい、ままよ」
とギターを弾き始めたのは先週の半ばだった。
やっぱり痛む。痛みを実感するのは、夜、布団に横になってである。左を下に横たわり、上にある右手で布団を動かそうとするとズキッと来る。何度か繰り返していると、右手を持ち上げて動かすのが辛くなる。右手を動かすには、持ち上げずに体に沿って動かすか、左手を添えて動かしてやることが必要になる。
昼間、日常の動作は平気でできる。どのように動かしても動かないことはない。それほど痛みもしない。夜、右を下に横たわったときにだけ出る不可解な症状である。
「おいおい、これでギター弾いてて大丈夫なのかよ?」
と思いながら、でも、Eric Claptonになりたい私は、ギターを再会した。
昨夕、知り合いの声楽家が訪れた。何故かは知らぬが我が妻女殿と気が合い、時々たずねて見える。会話モードに入った妻女殿には、プライバシーがなくなる。
「おいおい、そんなことまでしゃべって、あちらさんもご迷惑だぞ」
とハラハラする。時には、介入して発言を止める。
で、昨夕、やっぱり話題が私の肩に及んだ。
「きっと歳のせいですよね。ギターを弾いてたら肩が痛いんですって。先日、お医者さんで注射を打ってきましてね。そういえば私の長女も腱鞘炎で。いえ、ピアノを教えてるんですけどね。でも、腱鞘炎になるほど弾いてはいないんで、まあ、子育てですよね。どうしても抱いちゃうから。それで、お医者さんに行って注射を打ってくれって頼んだら、そのお医者さんは注射は打たない主義とかで、ええ、注射してもらえないんですよ。それでね、主人はこっちに来たときに俺の行ってる医者に頼んで打ってもらったらいいじゃないかなんていってるんですけど。でね、主人なんですけど、しばらくやめておけばいいのに、また最近ギターを持ち出しましてね。そんなことしてたら治らないよっていうんですけど。夫婦げんかですわ。でも、娘も痛いらしくてね……」
一度開いた口はとどまるところを知らない。話はあっちに行き、こっちに行き、終わったかと思うとまた蒸し返されて、妻女殿の脳内混乱の様子をそのまま映し出す。
まあ、それは諦めるしかない。
今回書きたいのは、その声楽家の話である。
「ある人がいってるんですけどね、歳をとったら楽器を始めちゃいけないって。どうしても体に無理が来るんですよね、楽器って。若いころなら耐えられるけど、歳をとってからだと耐えられないって。まあ、若いころからやっているプロの演奏家も腱鞘炎なんてあたり前で、どこかで痛みと折り合いをつけてやってるんですけどね」
60の手習いはするな、ってか?
今日も午後、ギターを取り出した。腱鞘炎の原因になったと見られる Old Loveは賢明に避けて、本日はThe BeatlesのI`m so tiredなどに取り組んでみた。肩に無理をかけずに、レパートリーを広げようとの試みである。
が、弾きながら、昨夕の声楽家の言葉が甦る。
俺にギターを弾くなってか?!
何となく気が乗らず、2時間ほどでやめた。
俺にギターを弾くなってか?!
さて、どうしよう?