05.22
2012年5月22日 1日遅れですが
「どうですか?」
いつものように、いつもの先生が問いかけてきた。肩に痛み止めの注射を打って10日目。目的語のない問いかけであるが、目的語は「肩」であると判断できるのが、日本語の美しさである。
が、どうせ目的語を曖昧にした問いかけである。こちらも曖昧に答えてもいいだろう。
「はあ、腰の方はあまり気にならないんですが、やっぱり肩がねえ」
曖昧な答弁には、当然突っ込みが入る。
「肩が、どうですか?」
やっと、目的語がはっきりした。
「注射をして2日ほど調子がよくて、それでギターを再開したんです。そしたら、また痛み始めて。やっぱり、痛みが完全になくなるまでは、ギターに触っちゃいけなかったですかねえ」
何しろ、私の肩である。正しい治療法を知るには、症状を正しく医者に伝えなければならない。
「いや、ギターに触っていけない、ってことはないんですけどね。そうですか。痛みが再開しましたか」
そうなんだよ。また痛くなったんだよ。どうしてくれる? あんた、医者だろう?
「今日も注射してもらえますか?」
そうしましょう、という答えを予期していた。が、予期とは裏切られるためにあるものらしい。
「いや、注射って、一時的に痛みを抑えるだけなんですよね。だから、痛くてしょうがないなんて時には打ちますが。どうです? 痛くてどうしようもないですか?」
いや、それほどではない。
「ねえ、大道さんの場合は、別に手が挙がらないわけではない。回らないわけでもない。日常生活に困ることはないが、でもギターを弾くといたい、と。どうしましょうかねえ」
いや、私は患者である。プロの医者であるあなたが、医療の素人である患者に相談される。それでは世の中の秩序が成り立つまい。
「大道さん、人間、40を過ぎると、どこかしら痛いものなんですよね。私だって、両方の肩が痛くて、手が挙がらないんです」
ホント? あんた、医者の不養生、紺屋の白袴、を実践してるの?
「何で肩が痛いんですか? ひょっとして、あなたもギターを弾いてる? それも、右でも左でも弾ける、両刀遣いのギタリスト?」
「いや、私の場合はテニスですけどね」
それは分かった。で、どうしろ、と?
「ま、もう少し様子を見ましょうか? こんな痛みはねえ、そのうち消えるんですよ。人間の体って不思議なんです」
つまり、注射はなしということだ。
「それはいいですが、やっぱり、痛みが引くまでギターはやめておいた方が?」
「いや、やってください。いいと思いますよ」
「そうですか。だとしたら、やっぱり、小さくて薄いギターの方が肩に負担がかからないと思うんですが、どうでしょう?」
「それはそうでしょうね」
こうして私は、Martin 00028EC を我がものにしなければならないという医者のお墨付きを手にした。
以上が、昨日の出来事である。
付け加えれば、午後になって、元桐生市の有力者O氏を訪ねた。00028ECを入手するには、それなりの準備が必要である。
「あのさあ、俺の持ってるギターをヤフオクで売って欲しいんだけど」
「あのギター? いい音するよね。売るの?」
「うん。Martinのエレアコ。ネットで査定に出したら引き取り価格14万円っていわれた。それなら、と思って、ほら、あなたも知り合いの質屋さんに、『いくらで引き取ってくれる?』って聴いたら調べてくれて、12万円だって。今日、ネットで出てきた大阪の楽器屋に電話をしたら、俺の欲しいMartin 00028ECの中古の価格が23万8000円で、俺が売りたいMartinのDCPA3の引き取りは12万円といわれた。ほかの業者は14万といってるぞ、といったら、00028ECを買ってくれるんなら頑張ります、っていうんだ」
「なるほど」
「連中は、その程度で引き取って、多分20万円前後で売りたいと思ってる。だから、ヤフオクで売ればそれなりの価格になると思うんだけど」
「そうかあ。あれねえ。よかったら俺が買おうか?」
話はそこでストップしてる。
以上が昨日の出来事である。
「だったら。昨日書けばよかったんじゃない?」
とおっしゃるあなた。人間にはコンディションというものがあるのです。書こうと思っても、書く気にならない日だってあるんです。たまたま、昨日はそんな日であったのであります。
書かなきゃ、とは思いつつ、書く気力が沸いてこなくて、時間つぶしに「スタンダード・オペレーティング・プロシージャー」という映画を見てしましました。ベルリン映画祭で銀熊賞を取った作品です。米国のイラク侵入時の蛮行、逮捕したイラク市民への蛮行を、加害者へのインタビューで綴り、正義なき戦争の実態を描き出した秀作です。
ということで、お許しを。
え、何故テンションが下がったかって?
それは個人的事情ということで……。くそっ!
ついでに今日のことも。
図書館から、「新平家物語」を借りてきた。原因はNHKである。評判の悪い「平清盛」を毎週見ている私は、前作の「江」に比べれば100倍もよくできた歴史ドラマだと思いつつ、最近の大河ドラマの通弊である
等身大の人間として歴史的人物を描く
ファミリードラマとして歴史的出来事を描く
というシナリオに、見るたびに怒りを募らせている。
「いくら若い時期だとはいえ、清盛がこんなにアホウなわけはないだろ!」
「なんでそんなとこまで女が口出しするんだ?! 口をだれてうなだれる男に天下が取れるのか?!」
そんなわけで、まあ、このドラマを見るための基礎教養として、この本を読もうと思い立った。
が、新しく買うのはもったいない。では、古書で、と思い立って桐生のブックオフに行ってみたが、ない。であれば、図書館で借りようと、中央図書館に出向いた、というわけである。
読む本はすべて購入する、という原則を頑なに守り続けている私としては、珍しい決断である。
まあ、この「新平家物語」、文庫にして24巻である。1冊800円ほどするから、24冊だと2万円近くかかってしまう。私が新しく購入するのを躊躇するのももっともだとお思いにならないか?
今日は1~6巻を借りてきた。1冊、おおむね450ページ。貸出期間は2週間である。期間中に読み終えることができるか否か。
今日から挑戦が始まる。