08.05
2012年8月5日 夏祭り
「いかん、目がクラクラする」
この夏、そんな危うさを乗り越えられた方は、さてどれほどいらっしゃるのか。
私は昨日、そんな体験をした。
「ひょっとしたら、俺、ぶっ倒れる?」
桐生にも夏まつりがある。毎年8月、最初の週末、つまり金・土・日に開催される。祇園祭、七夕祭り、八木節祭りなどいくつかの祭りを一つにしたものらしいが、それは、ぶっ倒れるかどうかとは関係ない。そして、今年は今日までの3日間が祭りであった。
今年、もう4回目の桐生の夏まつりを迎えた。
よそ者の私からすると、桐生の夏まつりはそれほど楽しくない。よそ者のいる場所がないのだ。
桐生は機屋さんが作った街である。しかも、いまはともあれ、桐生は使い切れないほどの金を持った時代が長かった。そんな街の夏まつりだからであろう。桐生の夏まつりは、街の人のためだけの祭りである。
神輿を担ぐ。鉾を引く。それができるのは、町衆だけだ。夜になると、舞台を囲んで八木節を踊る。これは参加チームだけの特権である。参加チームはおおむね会社単位。よそ者は入れない。
では、よそ者はどこにいればいいのか? いや、どこにも居場所がないのである。桟敷はない。沿道はすべて屋台で占領されている。神輿をみるのも、鉾を見物するのも、八木節踊りをカメラで撮るのも、屋台と町衆の隙間をぬうしかない。どうにも腰が据わらない。
思うに、桐生の夏まつりは、観客なるものを全く想定していない。何しろ、金の唸っていた街である。祭りの時にほかの街からやってきて金を落としてくれる観光客なんぞ、邪魔者でしかなかった。祭りは自分たちだけで楽しめばよい。見てもらう必要はさらさらない。
唸る金を作り出したのは、年中織機の前に座って織物を織った女工さんたちである。ところが、唸る金は、機屋の旦那衆の懐にあった。近年の経済システムは、本当に付加価値を作り出した人にはお金が流れないことになっている。付加価値を作り出す準備をした人、つまり機屋の旦那にしか、金は集まらない。
このようなシステムは、当然のことながら鬱屈した思いを醸し出す。放っておけば、打ち壊しが起きかねない。そうなっては、旦那衆は、朝から芸者遊びにうつつを抜かすことができない。
「女工の反乱を抑えるにはどうしたらよかろう?」
と知恵を絞った旦那の一人が、夏祭りの活用を思いついたのに違いない。
この日だけは無礼講。日頃堪った鬱憤を、みんな踊って飲んではらしたらよかろう。その費用は出してやる。その代わり、祭りが終わったら真面目に働くんだぞ!
恐らく、かつての桐生の夏祭りは、いまより数段華やかだったはずだ。花火が上がったという。毎年、鉾の引き違いがあった。振る舞い酒もふんだんで、闇に紛れたフリーセックスの祭典でもあったはずだ。
つまり、街による、街だけのための祭りであった。
私のようなよそ者に楽しいはずがない。
いや、そんなことを考えてクラクラしたのではない。話はここからが本番である。
4回目の夏祭り。私は考えた。どうしよう? 祭りに行ってもそれほど楽しくはない。自宅で夏祭りを無視することもできるが、それは味気ない。どうしたものか。
そこで、ふと思いついた。桐生の元有力者O氏がいっていた。
「ビヤガーデンをやるん。大道ちゃん、手伝わない?」
そうか、祭りを、主役ではなく、かといって観客でもなく、支える方の裏方に回って過ごすというのも一興ではないか?
昨日、私は生ビールと、酎ハイと、ハイボールと、焼きそばと、フライドポテトと、枝豆と、ちくわのフライを出す屋台の店員となった。私の担当は生ビールであった。
午後3時前、意気揚々と屋台に乗り込んだ。祭りを、私のように楽しむヤツはほかにいないはず。私は前人未踏の境地に達する者である。恐れ入ったか!
夏である。野外にしつらえたテントである。当然、エアコンはない。扇風機などという文明の利器もない。真夏の太陽が遠慮会釈なく我が身に襲いかかる。ジリジリと焼かれる、などという言葉では表現できないほどの地獄である。
ということは、少し考えれば分かったはずだ。が、前人未踏の言葉に酔いしれた私は、そのようなことに全く思い及ばなかった。
いや、少しは考えた。
「暑いよな。汗かくよな」
首にタオルを巻いて出かけた。
そのタオルが、絞れば水滴が落ちるほどに濡れるまで、1時間はかからなかった。
「暑い! このタオル、もうぐちょぐちょジャン。しかも汗ばっか。いっそのこと、水で洗って首に巻いてやれ」
そう思って、会場の端にある水道の蛇口まで歩き、思いっきり水を出してタオルをジャブジャブ洗い、緩く絞って首に巻いた。その時だった。
「あれっ、クラクラするなあ」
本気で熱中症を心配した。そういえば数日前、
「今年、あまり汗をかかないんだわ。冷房も効かせすぎると皮膚がチクチクするし、この歳になって体質が変わってきたのかなあ」
とつぶやいた私に、
「大道さん、それがいちばん危ないんだわ。熱中症になる人はみんなそうなんだって。暑さへの感覚が変わると目先の高温への対処ができず、やられるんだそうですよ」
と、心配顔でなく、したり顔で言ってのけた男がいた。
その時は、少しばかりムカッとした。だが、
「ホント、俺、熱中症になる?」
結論から言えば、ならなかったので今日も日誌を書いている。
が、過酷な労働であった。生ビールサーバーからビールをコップに注ぎながら、
「はいビールです。400円いただきます」
と商売しながら、汗が止まらない。熱中症対策を講じようと、途中でポカリスエットと水をコンビニで仕込み、飲みながら客対応をしたが、とにかく暑い。暑いだけでなく、何となく腰までシクシクしてくる。
「やばい! 俺、腰が悪いんだった」
と不安でいっぱいの私を、でも客は許さない。
「ビール、まだ?」
「はい、ただいま」
金を払えば王様である。士農工商の身分制度はまだ生きている。
ビールを買いに来た子どもには、
「君ね、免許証、持ってる? 子どもにはビールは売れないんだ」
と突っ込み、
「生ビール、2つ」
と浴衣姿で表れた若い女性客には
「今日は祭りだから飲み過ぎてもいいよ。何回でも買いに来て。飲み過ぎたら俺が介抱してやるから安心していくらでも飲んでね」
と声をかける元気が自分に残っていたのが、我ながら不思議である。
そういえば、声をかけた女の子は使いの注文には来なかった。安心できなかった?
日が落ち、時折風が吹く。
「夏場に、風が心地よいと感じたのは何十年ぶりだろう」
この日、私は再び水道に駆けつけ、すっかり温かくなったタオルを再び洗って首にかけた。この半日だけで、恐らく5年分ほどの汗をかいたはずである。そういえば、店に入って出るまで、一度もトイレに行かなかった。これは健康に悪い。
「ねえ、なんか食いに行かない?」
O氏に声をかけたのは9時半頃だ。
「店で売ってた焼きそば、食べなかったの?」
いや、300円で売っている1食分だけは食べた。しかし、そんなジャンクフードだけで夜を乗り切る生活習慣は私にはない。
「あんなもの、300円以上食べられる?」
とO氏には答えたが、そういえば、うちのテントに来た客は、そんなものばかり食べてビールやハイボールを飲んでいたのである。そういう生活に違和感を覚えない人もいるということである。祭りだからか?
どうしたわけか、2人でお好み焼きの店に入った。2人でお好み焼きを1枚、焼きうどんを1人前取り、私はビールを飲んだ。昼食を済ませたあと、300円分の焼きそばしか食べていなかったのに、食欲がない、お好み焼きは3分の1、焼きうどんはほぼ半分を残して店を出た。家に戻ったのは10時半頃だった。
シャワーを浴びてすぐに寝た。今朝起きたら9時だった。朝9時まで寝る。この10数年なかったことだ。
「何時に寝ても、朝5時には目が覚めるんだよね」
などという高齢者が多い。私も一時、朝早く目が覚めて困った時期がある。
が、である。朝早く目が覚めるということは、前の日、体を使ってないからではないか? 疲れていない体は、そりゃあ、
「もう休めなくていいよ」
と朝早くに目覚めるのではないか?
昨日は疲れたと思いつつ、9時まで寝続けたことに、何となく嬉しさを感じて今日を迎えた私であった。
遅い朝食を食べていると、我が妻殿がおっしゃった。
「今日はどうするの? やっぱりいくの?」
こいつ、一緒に暮らしていながらないも理解しようとしないヤツだな。と嘆きつつ、答えた。
「あのな、2日も続けていたら、俺、死ぬって」
幸い、まだ死んでいない。
あ、そうそう、裏方から見た祭り。
ただ忙しく、ただ暑く、ただ疲れた。桐生にも、時折
「へっ」
と思えるほどの美女がいることを知ったことが成果といえば成果であった、というのは強がりでしかない。