2012
08.22

2012年8月22日 日常生活

らかす日誌

が、やっと戻った。
私の日常生活とは、午前7時前後に目を覚まし、トイレで排尿を済ませたあと血圧計で血圧を測る。ついでに、関節の痛みに効くという漢方薬を服用する。これは、食前少なくとも30分前までに飲まねばならない。
終われば新聞受けに新聞を取りに行き、戻ってテレビのスイッチを入れる。チャンネルはNHKであることはいうまでもない。
朝のニュースを聞きながら新聞に目を遠し、7時半になればNHKのBSプレミアムの「梅ちゃん先生」に切り替える。全く演技のできない主人公に呆れながら、でも、目と頭の80%は新聞に注ぐから、まあ、大根ぶりもそれほどは気にならない。

やがて朝食ができ、まだ読んでいない新聞を手に食卓へ。食べ終えると、トイレで朝のお勤めをし(私、毎朝快便である)、洗面所で髭を剃り、顔を洗う。終わって髭剃りあとの手当をし(主役はメンソレータムだ)、パジャマから仕事着(といっても、この季節はチノパンに半袖シャツ、時にはポロシャツ)に着替える。この間のどこかで、腰の薬を飲む。

あとはその日任せで、そのまま仕事に出たり、頭がはっきりしない日は事務所でパソコンに向かってゲームをこなす。5、6回もやれば、頭がすっきりする、というか、すっきりしたような気になるから不思議だ。

車で出かけ、昼前に戻る。昼食を済ませて再び出る。おおむね4時前後に戻り、事務所で残務をしたり、ギターの練習に取り組んだり(最近は、痛む肩を労るため、省略することが多い)。やがて風呂が沸き、終わってビール2本の晩酌、食事。

終われば今日のようにパソコンに向かって日誌を書く日もあれば、書かない日も。そういう日は、たまりに貯まっている映画を見る。いまはカンヌ映画祭受賞作を1作ずつ見ている。

で、このような日常生活を破ったのは、15日夕に桐生に来た啓樹と瑛汰であった。

 

2人は15日午後7時27分着の東武鉄道で新桐生駅に到着した。聞くところに夜と、2人は有楽町で「ライオン・キング」の舞台を見たあと、瑛汰の両親に浅草駅まで送られ、2人で車中の人となった。そのとたん、瑛汰は大泣きしたそうである。生意気だとはいえ、まだ6歳になったばかり。親から離れる心細さのせいであろう。
それをなだめたのが啓樹だ。小学2年生、7歳。

「瑛汰はさ、僕がDS(ニンテンドーのゲーム機)を貸してやったら、やっと泣き止んだんだよね」

2人は桐生までの1時間40分、どうやらゲーム機で遊びながらやってきたらしい。

2人をホームで迎え、すぐに自宅へ。着くとすぐに3人でシャワーを浴び、夕食。その前に、あの 6Lのジャンボ西瓜を中にして、2人の写真を撮る。まあ、記念写真である。

食事が終われば、すぐに就寝、と行きたかったが、そこはそれ、2人を待ち受けていた玩具群があった。

「ボス、開けていい?」

と2人がまず食指をのばしたのは野球版だ。しばらく遊ばせて、就寝。

 

16日は映画の日である。午前8時過ぎに出発して前橋のけやきウォークへ。「マダガスカル3」を鑑賞のあと、1階の紀伊國屋書店で買い物。啓樹は3冊、瑛汰は7冊? 8冊? とにかく、欲しいだけの本をかき集めて購入。昼近くなったので、昼食はパスタとピザ。

食べ終わり、高崎へ。市美術館で開催中の「ダ・ヴィンチ展」。確かに、ダ・ヴィンチは天才である。彼の設計図を元に再現された印刷機、ヘリコプター、ジャッキ、旋盤、戦車、回転運動を直線運動に変換する機械……。1人の人間が、よくぞこれだけのものを発想しえたものである。ただただ、脱帽。
瑛汰は展示されている復元された機械を触りまくり、監視員に何度も注意される。いいジャン、触るぐらい。別に、女の子に触ったわけでもあるまいし。こんなもの見せられたら、そりゃあ触ってどんな風に動くのか確かめたいわなあ。ケチ!

前夜の睡眠時間が短かったためか、やや疲れ気味の2人を見て、そのまま帰宅。ジョイフル・ホンダ行きは諦める。
入浴、夕食後、2人は野球版に取り組む。

17日。朝食後、啓樹の夏休みの宿題をこなすべく、「織物参考館「(ゆかり)」へ。ここで藍染めを体験するのがこの日のメインである。
開館は午前10時。朝食後、少しばかり時間があったので予習をさせた。

「染める、というのは、真っ白い布に色をつけることだ。藍というものを使って色をつけるから藍染めというんだ。でも、ただ色をつけるだけじゃあつまらない。藍染めについていろいろ知った方が楽しい。だから、行ったら聞きたいことを沢山聞いて、しっかり覚えるんだ」

 「うん、わかった」

 「じゃあ、何を聞きたい? 考えてみな」

こうしてノートを開かせ、質問事項をメモさせた。

藍って、何からできるの?
どうして色がつくの?
いつ頃から藍染めってあるの?

「うん。藍ってね、ほら、いま瑛汰が着ているTシャツみたいな色なんだ。これさ、Gパンも同じような色だろう。Gパンってね、インディゴというもので染めて、あんな色になるんだ。でも、どうしてインディゴで染めたかわかるか?」

 「えーっ、どうして?」

 「お前たち、カウボーイってわかるかな? カウボーイはGパンをはいているよな。そしてカウボーイは馬に乗って駆け回るけど、そんなところには毒蛇が沢山いるんだ。ガラガラヘビっていうやつ。噛まれると死んじゃうんだよ。嫌だろ? それでねえ、そのガラガラヘビがインディゴの臭いが嫌いなんだって。だから、インディゴで染めたGパンをはいていると、ガラガラヘビが寄ってこない。カウボーイがGパンをはいたのはそんなわけなんだ」

 「ボス、よく知ってるね!」

なーに、以前紫(ゆかり)に行ったときに聞いた話を繰り返しただけである。だが、啓樹、瑛汰にそんなことまで教える必要はない。今のところは、私を尊敬させておけばよい。

「そうだよ、ボスはなんでも知ってるんだ。でも、アメリカ人はそんな理由でGパンをはいたけど、日本は藍染め。何か理由があるのかな。藍染めの着物を着てるといいことがあったのかな」

いろいろなことを考えるよう誘導するのも指導者の役割である、

紫(ゆかり)には10頃着いた。まず、管内を案内してもらう。2500年前の織物作りの仕方から、1500年前の方式、それがやがていざり機になり、と、織物の歴史をたどる。その機織りを自分で体験することもできる。
真夏、エアコンは入っているものの、館内はじっとしていても汗がにじみ出るほど暑い。が、2人は自分で織物を織る面白さに、暑さも忘れた様子だ。

やがて、やっと藍染めコーナーにたどり着いた。さて、何を染めようか? ハンカチにするか、Tシャツがいいか。私は、多少高くても、Tシャツの方が2人が喜ぶと判断した。

「すみません。どうもサイズがないようで」

用意してあったのは、みな大人のサイズだった。子どもが藍染めをするのに、Tシャツを選ぶ人がいないらしい。仕方なく、ハンカチに決める。

 「さあ、お二人さん、まず表に出てください」

ガイド役の女性がいった。私も含めて3人、ゾロゾロと外に出る。

「ほら、これが『藍』です」

背の低い植物が、花壇にびっしり生えそろって緑の葉で太陽の光をいっぱいに受け止めていた。

「この植物で藍染めをするんですね。さあ、今度は中に入ってください」

また、ゾロゾロと屋内に戻る。

「これ、何だかわかりますか? これが、さっき見た『藍』を乾燥させたものです。藍染めをするには、こうやって藍をカラカラに乾かさねばなりません」

私は2人に、メモを取るよう促す。

「こうして乾燥させた『藍』を……」

説明があり、作業が続く。ハンカチを輪ゴムで縛り、ビニールの手袋をして藍瓶につけるころには、2人の眼はキラキラ輝いていた。

「そのまま、1分間つけておきます。手で持っているところは藍がしみ込みにくいですから、時々ハンカチをクルクル回してください。さあ、おばさんが数えますからじっとつけているんですよ、34、35、36……」

瓶からあげたハンカチを絞り、外に出て水洗いする。

「さあ、もう大丈夫。手袋を外していいですよ。ハンカチを絞ったゴムもはずしましょう。さて、広げてみてください」

 「おお、綺麗! 格好いい!」

でたらめにゴムで縛った啓樹のハンカチは、人体の骨格見本みたいな仕上がりになった。いわれるように縛った瑛汰作は、同心円が重なる模様である。

「俺の方が格好いいよ」

 「僕の方が綺麗だよ」

この2人、仲はいいのだが何かと張り合う。特に、瑛汰の競争心は並ではない。

「いい、どっちもよくできた。さあ。帰るぞ」

瑛汰はここに、ノートと鉛筆ケースを忘れて帰るのだが、それに気がつくのはあとのことになる。

自宅に戻り、妻女殿を車ののせて、ウナギのこんどう。

「俺、ウナギが一番好きなんだ!」

と瑛汰はいう。最近、家族で横浜のそごうに入っている名店で鰻を食べたそうだ。

「ママ、この鰻、美味しくない

と訴えたという瑛汰に、私は教えた。

「瑛汰、美味しくなかったら、その場で、大きな声で『美味しくない』、というんだ。その代わり、美味しかったら、もっと大きな声で『美味しい!』といえよ」

2人は、鰻重を完璧に平らげた。

「美味い! ウナギはここのお店が一番美味い! ねえ、啓樹、そうでしょ?」

瑛汰は、私の教えを忠実に守った。

しかし、お前たち、わずか7歳、6歳で、鰻重を一人前、完璧に食うか? 知ってるのか? 最近ウナギは高くなって、お前たちが食べた鰻重は2900円もするんだぞ……。

午後、私は仕事があった。2時間ほどで戻り、2人をジョイフル・ホンダに連れて行った。

「ねえ、テントを買ってきてよ」

といったのは妻女殿である。2人は、私がいない間、ウッドデッキに出て「秘密基地」を作っていた。秘密基地といっても、段ボールで作った囲いでしかないが、ホームレスが住むようなこんなものが、2人をワクワクさせるらしい。

2人が欲しいといった、光発電で動くロボットのプラモデル、虫取り網、虫かご、それに小さなテントを買って帰宅。すぐに居間でテントを組み立てる。

入浴、食事のあと、2人はいたくテントが気に入り、中で遊ぶ。

「ねえ、ボス。俺たち、テントで寝ていい?」

いいも何も、大歓迎である。お前たちと離れて眠れる。こんなに楽なことはない。

テントの下に布団を敷き、眠る準備をした。30分もしただろうか、瑛汰がやってきた。

「あのさ、ボス、瑛汰、やっぱりボスと寝たい」

ああ、そうか。やっぱりボスが恋しいか。

「啓樹はどうする? お前もボスと寝るか?」

 「僕はテントで寝る」

そうか、それなら一人で頑張ればよろしい。瑛汰を布団に寝かしつけ、やっと寝入ったかと思ったころである。居間から鳴き声が聞こえてきた。啓樹しかいない。

「どうした?」

 「僕、ママに迎えに来て欲しい」

しゃくり上げながら啓樹が訴えた。
これにはやや説明がいる。
当初の予定では、19日に啓樹の両親が我が家に啓樹を迎えに来る予定であった。そのまま2日ほど滞在して啓樹を連れて帰る。ところが、長女が体調を壊したといってきた。

「だから、瑛汰を横浜に送っていくときに啓樹も連れて行って、新幹線に乗せて。名古屋駅まで迎えに行くから」

啓樹はこのプランに大きな不安を感じたらしい。瑛汰と2人でテントの中で遊んでいるうちは気が紛れていた。ところが瑛汰が去り、一人でのテント生活を強いられ、不安が昂じたらしい。

「啓樹、今日はボスと寝よう」

抱きかかえて瑛汰の横に寝かせ、しゃくり上げる啓樹に

「ボスがパパに電話して、啓樹を迎えに来るようにお願いしてやるから、安心して寝ろ」

となだめなければならなかった。啓樹が夢の世界に去ったあと、啓樹のパパに電話をしたのはもちろんである。

18日は、朝から「ぐんま昆虫の森」である。瑛汰のリクエストに応えたものだ。

捕虫網と虫かごを持って乗り込んだ。私にとっても初めての場所であるが、結論から言えば、なんのことはない、ただの森であった。要するに、3人でチョウチョやトンボを求めつつ山歩きをした。私は腰を心配しながら歩かざるをえなかった。戻って万歩計を見ると7000歩を超えていた。腰を痛めて以来の記録である。

「やったー、22匹目!」

と啓樹。

「俺も捕まえた。20匹だよ」

と瑛汰。2人の対抗心は、こんな場所でも顔を出す。レフリー役の私から見ると、虚偽申告もたくさんあり、そのたびに警告を発したが、それぞれの捕獲数は全く修正されなかった。その、虚偽申告を含めた捕獲数は、啓樹が52匹、瑛汰が50匹。

「だってさ、啓樹は瑛汰より2つ大きいでしょ。だから、瑛汰より2匹多くてあたり前なんだよ。同点だ、同点だ」

瑛汰はどこまでも意地っ張りである。

屋内施設には、様々な展示があり、昆虫の模型も飾られていた。ふと思いつき、啓樹が段ボールで作ったカブトムシの写真を係員に見せた。

「わーっ、これは凄い。ここに飾りたいですねえ。ねえ、僕、これ、どれくらいの大きさなの?」

見事な工作物は、誰しもが認めるようである。

 

19日、2人を車の似せて横浜へ。啓樹のパパとママは横浜まで啓樹を迎えに来ることになったのである。
横浜では夜、長男の妻もやってきて(長男は高校の同窓会で欠席)、久々にファミリーの大半がそろった食事会となった。

 「啓樹、今日は誰と寝る?」

 「うーん、パパと」

 「瑛汰はどうする?」

 「ママと寝る。だって、ボスは疲れてるでしょ?」

久々に一人で寝た。

 

20日、長女一家は朝から外出。ということもあって、次女に

「お父さん、お昼を食べてから帰ればいいでしょ? だって、幼稚園から帰ってきた(20~22日は幼稚園の日であった)とき、誰もいないと瑛汰が寂しがるから」

といわれ、朝、瑛汰を幼稚園バス乗り場まで送り、戻って、2歳になってハッとするほど可愛らしく成長した璃子と遊び、正午過ぎに再び瑛汰を迎えに行った。

「ねえ、ボス、今日も泊まって」

 「瑛汰、それは無理だわ。ボスもお仕事しなきゃいけないから」

 「お願い、泊まって!」

 「無理だって」

 「じゃあ、3時までいて」

 「早く帰らないと、ババが寂しがるからご飯を食べて1時には帰るぞ」

「えーっ、ダメ! 3時までいて」

 「だめ」

 「だったら2時まで」

 「わかった、だったら2時までいるぞ」

2時。

「ボス、将棋しよう」

 「もうボスが帰る時間だぞ」

 「お願い、1回だけでいいから」

それほど俺を引き止めたいか。そういえば、あのとき、彼女も……。

「わかった、じゃあ、将棋をやろう」

こうして、横浜を出たのは2時40分頃である。荷物を車に積み始めると、もう瑛汰はウルウルだ。

「ボス、帰らないで」

 「瑛汰、9月に遊びに来るんだろ? すぐじゃないか」

 「すぐじゃない。帰らないで」

泣きじゃくる瑛汰を残し、一人桐生に向かった。

その夜、次女からショートメールが来た。

「えいた、浴槽にプカプカ浮きながら『ボス ボス 優しいボス~』なんて陽気に歌っていたかと思ったら、また号泣。今回は寝るまで泣いてましたよ」

 

瑛汰一家は9月13日に、桐生に来る予定である。

で、20日は披露のため日誌執筆を断念。21日は飲み会で書く暇無し。
ということで、ご報告が今日になりました。

しかし、更新しないとアクセスはグッと減るもので、19日から昨日までのアクセスは普段の半分程度。まあ、2人が帰るまでは日誌は書けないと通告していたこともあるのだろうけど……。