07.18
2013年7月18日 話題豊富
昨日ネタ枯れ宣言したばかりなのに、今日は話題が豊富である。人生、一寸先は闇、とはよくいったものだ。
まずは、参議院選挙の話題から。
我が家は職場でもある。いま住んでいる家は会社が借り上げて、私は一銭も負担していない。
「それで、150平方メートルを超える一軒家に住めるとは、いいご身分ですね」
と、やっかみ半分でおっしゃる方がいることは自覚している。自覚するより何より、自分でいい境遇だと思っているのだから、他人にそれを指摘される必要もない。
そんなわけで、我が家にはサンケイを除くすべての新聞が配達される。これも会社の負担である。つまり、朝目覚めて、配られた朝刊各紙に目を通すことが、私にとってはもはや仕事なのである。
羨ましい? 代わってあげようか? ただし、俺の月給14万円、時間外手当が2万円、ボーナスは年に2回、15万円ずつ、契約は1年更改。そんな条件でもいいのかい?
ま、それは別として、配達される新聞に目を通していて、異様なことに気がついた。
東京新聞が、参議院選の群馬選挙区に立候補している3候補者(幸福実現党は除外されている。おそらく、泡沫候補としてはずしているのだろう。その姿勢に、私も賛同する)へのアンケート結果を連載しているのだが、自民党の山本一太君だけがずっと無回答である。ほかの二人は、内容があるかどうかはともかく、回答を寄せたらしく、それが紙面に掲載されているのだが、山本一太君だけは、回答欄が白紙のままだ。
四日市の啓樹は、社会のテストで裏面にまで問題があることに気がつかず、表だけ回答して
「あのしゃ、表は100点だったんだけど、裏は何も書かなかったから零点だったの」
と先日電話で伝えてきた。零点。
山本一太君は、東京新聞からのアンケートに、白紙で答えたらしい。あるいは、答案用紙を提出しなかったか。いずれにしても、零点である。
啓樹と違い、山本一太君は、もう立派な大人、というより、立派なオッサンである。アンケートが来ていたことに気がつかぬはずはない。回答がなければ東京新聞が
「まだ回答がいただけないんですが」
と促したはずだから、山本一太君はそれすら無視して今日に至っている。確信犯の零点である。
何故か?
新聞社からのアンケートを意図的に無視する。目立てばいい、よくも悪しくも名前が売れれば票に結びつく、というのが政治家の世界であるという。その中で暮らしを立てる山本一太君なのに、その原理原則すら無視するのはどうしたことか? 何らかの理由があるはずである。
恐らく、東京新聞の報道のどこかに怒ったのであろう。
「こんなことを書く新聞のアンケートに、回答なんかできるか」
負けるはずのない選挙を迎えている山本一太君が強気になっても、まあ、理解できる。
そもそも東京新聞とは、観念左翼がつくっているのではないか、と疑わせる新聞である。極端に言えば、あらゆることについて権力にかみつく。
一面、それは新聞としてあるべき姿だともいえる。だが、私が「観念」左翼というのは、そのかみつき方がいかにも青臭いからである。かみつくために用いる論が、どうにも地に着いていない。不勉強な大学生が一夜漬けで試験に臨み、うろ覚えの知識だけで答案用紙を埋めているような感がある。
複雑な現実をできるだけ知る努力をせず、
「とにかく、権力は悪である、としておけばいいのよ。だから、権力の1から10までに異を唱えるのが新聞の役割ってわけ。それさえやっておけば合格点取れるから」
との信念に従っているだけ、としか思えない記事が目につきすぎる。
私が読んでもそうなのだ。ましてや、権力の一翼を担う立場にいいる山本一太君が読めば、
「こいつら、社会のゴミでしかない」
と怒り狂うこともありそうな気がする。ために彼は、アンケートへ無回答え答えたのではないか。
それは、まあいいとしよう。東京新聞も、
「字が書いてないところはメモ用紙に使ってください」
といわんばかりに、律儀に山本一太君の回答欄を空白(現実には、確か「無回答」と書いてあったような期がする)にして、白っぽい紙面をつくり続けている。
いってみれば、東京新聞と山本一太が、土俵の真ん中でがっぷり四つに組み合う図だ。
でもさあ、山本一太君よ。東京新聞とがっぷり四つでどうする? あんた、大臣なんだぜ。もう少し、ゆとりみたいなものを見せる大きさはないのかな?
国会議員、知事、県議。何処を見ても人材が払底している群馬県である。その中だから何回も当選しているあんただ。とにかく、対抗馬がいないもんな。時々衆議院に鞍替えしたいと動いてみては周りからつぶされて参議院のままやってきて、当選回数が多くなったから、ま、仕方ない、大臣を一度ぐらいやらせるか、ってのが、あんたへの自民党の評価であるとも聞く。
「内閣府特命担当大臣ということで、まあ、当たり障りのない仕事をさせておけばマイナスはないでしょう」
というところらしい。
頭より口が先に動くのがあんたの特質だ。だから、テレビにもよく担ぎ出されるが、中身のない話を次から次へと垂れ流すだけ、というのが我が友人たちの評価である。
東京新聞のアンケートに答えない? その懐の浅さが、己の限界であると考えたことはないのかな?
山本一太が東京新聞のアンケートに答えなかったことは群馬県外の方には知る術がない。県内でも、東京新聞を目にすることがない方には分からないことえであると思い、あえて駄文を書いてみた。
昨夜、とうとう長年の懸案を解消した。私は昨夜、
「ラスト・エンペラー」
を鑑賞した。
長年の懸案? そうなのである。この映画、なんと3時間半を超す長編なのだ。1987年のアカデミー賞をほぼ総なめにした作品なのだが、
「えっ、219分もテレビの前に座るわけ?」
と思うと、なかなか踏ん切りがつかなかった。それを昨夜、無謀にも決行した。9時過ぎにに見始めて、終わったのはほぼ午前1時。
「明日は寝坊してもいいや」
と覚悟を固めての鑑賞だった。
いい映画である。清国最後の皇帝にして、満州国の唯一の皇帝であった愛新覚羅溥儀の一生を追った作品だ。
幼くして母から引き離され、清の皇帝となり、紫禁城に住む。時に2歳10ヶ月。世間的にいえば、銀のスプーンを加えて生まれてきた子だった。
だが、口中にあった銀はやがて錆び、その毒が全身に回る。
溥儀は紫禁城の中しか知らなかった。城外にどれほどの憧れを持っても、出ることは禁じられた。やっと城外に出るのは清国が滅亡し、紫禁城から追放されて、である。
それを日本が利用した。でっち上げた満州国の初代皇帝に迎える。皇帝として清ではできなかったことを、満州でやってみせる。日本なんて操ってみせる。意気込んで就任した溥儀だが、やがて自分は日本の傀儡に過ぎないことを思い知らされる。
そして、日本敗戦に伴う収監。
銀の匙を加えて生まれてくることは、果たして幸せなことなのか? 城から出ることを許されぬ皇帝とは、最高権力者なのか? それとも権力というシステムの一つの歯車に過ぎないのか?
しかし、結婚した溥儀が迎えた初夜。むつみ合おうとする2人の衣服を脱がせるのは、お付きの女官、宦官の仕事だった。確かに両手を使って抱き合っている2人の服が1枚1枚と取り去られるシーンに、
「いやはや。庶民に生まれてよかったね」
と胸をなで下ろした私である。
てなことがあったためか、全く退屈しない219分だった。
来週、啓樹が我が家に来る。啓樹は我が家で、「ステアリング走行ロボット」を作りたいのだそうで、必要なパーツを知らせる手紙が今日、私の元に届いた。
先日、四日市に行ったときに買い与えた「ロボット工作ガイドブック」に載っていたものである。この本、そもそも、タミヤの工作パーツで作ることを前提にした本であることを記憶しておいていただきたい。
必要なパーツを私に知られてくるということは、私に買っておけということである。ネットで注文しようと思った。必要な9つのパーツのうち、7つまでな難なく見つかった。8つ目の「3mmビスセット」も、タミヤの直販サイトにあった。
困ったのは最後のパーツ「ステアリングパーツセット」である。これが、ネットで探しても何処にもない。
タミヤに電話をした。
「多分、おたくが監修した本に紹介されていたロボットを作るのに必要なパーツなのだが、何処で手に入るのかな?」
答えは、
「すでに生産は終了し、在庫もない」
おいおい、今でも売ってる本で紹介してるロボットなのに、それに必要なパーツがない? それって、究極の無責任じゃない? 余り売れないパーツだったので、本で紹介して販促した。そしたら売れすぎてすぐに在庫がはけた。でも、追加生産するほど売れるかどうか自信がない。えーい、やめちゃえ。
「ということだよね」
「はい、そういわれても仕方がありません」
正当な、的を射た指摘に抗わないのは立派である。立派ではあるが、だったら、啓樹が作ろうという「ステアリング走行ロボット」はどうなるの?
「はい、ほかの部品で代替できないか、ほかのメーカーさんのではだめなのか、確認してお返事します。時間をいただきたいと思います。私、○○と申します」
電話で回答する人に、会社の生産計画、販売計画に対する責任はない。だから、
「ないものはないんだよ。さっさと諦めろよ」
という姿勢に出ることもできる。が、彼女(女性であった)は違った。これは立派である。無責任な生産、販売計画を作った責任者はしばき倒してやりたいが、彼女はクレーム対応の見本としたい。
返事は明日来るはずである。ま、ここまでやってだめだったら、啓樹、違ったものを作ろうな。
てなことが、毎日一つづつ起きれば3日間日誌を書けるのだけどねえ……。