12.29
2013年12月29日 今年も
残りわずかとなった。
まずは、2013年も拙い我が日誌を読み継いでいただいたことに感謝申し上げる。
暇に任せて、私が己をさらけ出す文章を皆様が読んで下さる。これ以上の励ましはない。
ついでに付け加えれば、これ以上のプレッシャーもない。
「えーっと、今月、何本書いたっけ? えっ、たったこれだけ? やべー。今日から毎日書かなくちゃ」
と、何度己を叱咤したことか。
私を支えるのは、時折いただくメールである。ネットオーディオですっかりお世話になった東京のSさんは、このページの下にある
*ご意見・ご感想・お問い合わせはメールで(=いまはありません。上に、「お問い合わせ」があります。私へのメールはそこからお願いします)
をクリックして、私にメールを出していただいた。何度かメールをやりとりするうちにうちとけ、互いに己を名乗りあい、とうとう桐生まで遊びに来てもらった。東京に出かけて「小菊」で酒を飲んだ。これからもお付き合いが続くに違いない大事な友となった。
ヴァーチャルからリアルへ。ネット時代の人と人のつながりはそうありたい。
Sさんは男性である。来る年、違う性の方からのメールを心待ちにする。打ち解け、どこかで酒を飲み、友になれればいい。
そう、これまで、私と多少なりとも関わりのあった美しき女性たちよ。年明けとともに大量のメールを、私に送られんことを!
にしても、だ。
NHK大河ドラマの衰退ぶりには、目を覆いたくなる。
昨年の平清盛は不評であった。
それでも鑑賞を続けた私は、今年の「八重の櫻」に期待した。1回目の感想は、1月6日の日誌に書いたとおりである。
出だしは良かった。明治維新を成し遂げた薩長の視点で語られ続けてきた歴史に、敗北した会津の視点をぶつけた。
会津は何故に朝敵になってしまったのか。勝ちを収めた側に歴史があるのと同じように、負けた側にも歴史がある。が、勝った側が記述する歴史からは、破れた側の歴史はこぼれ落ちる。だが、こぼれ落ちた中に、知っておかねばならぬ歴史がある。
会津を滅ぼさねばならなかったのは政治である。だが、政治としての正当性を語るだけでは、民の心の声は聞こえない。
会津戦争まで、私は毎週、食い入るように「八重の櫻」に見入った。ゆえなく歴史の波に弄ばれた会津の人々に何度も涙腺が緩み、歴史という鎧をまとって攻めかかる薩長軍に対して果敢に立ち向かう会津の人々に、心の友を見いだした。
視聴率はパッとしなかったドラマを、私は食い入るように見続けた。
が、それも会津落城までだった。
何、その後のドラマの緩み!
まとめていえば、
キリスト教の宣伝ドラマ
であり、
家庭内のあれやこれやを取り上げるホームドラマ
であり、
新島八重を活用したフェミニズムドラマ
に堕した。八重を取り巻く男達は、何と頼りなかったか!
あれでは、新島襄は単なるぼんくらである。何が嬉しくて十字架に貼り付けられたオッサンにひれ伏し、バツイチの壮大なブスである新島八重などと結婚せねばならなかったのか?
同志社に集った学生は皆アホである。何が良くて耶蘇の教えを学ばねばならないのか? 徳富蘇峯も徳富蘆花もいい加減な男達である。ま、あの新島襄、新島八重のもとで学べば、ドラマで描かれた彼らにしかなるまいというものだ。
前半の視聴率が悪かったので、シナリオに手を加えたか? ホームドラマ、女性が活躍するフェミニズムドラマにすれば、視聴者がついてくると計算したか?
こんなつまらぬドラマをつくりながら、NHKは視聴料を払わない視聴者を裁判で責め立てる。最近のニュース番組の堕落ぶりも、目に余る。
私は、年の瀬にもぶつくさ言うのである。
ぶつくさ言いながら、今日はブルーレイディスクを整理した。テープからディスクに、一時に大量に移したものだから、整理が追いついていなかった。
事務室を掃除した。床にあるものを部屋の外に出し、愛すべきロボット掃除機、 iRobot ルンバ780を部屋に導き入れ、心いくまでゴミを吸い取ってもらった。
正月用の食材の買い出しを今日で終わった。そういえば、昨日は車を洗ってやった。
新年を迎える準備はほぼ終えた。
あと1時間半もすれば、瑛汰・璃子一家がやってくる。久々に、桐生の我が家に子供たちの声がはじける。いつも通りの年末年始が、これから始まる。
皆様、良いお年をお迎え下さい。