01.07
2014年1月7日 怒りの年
私は普段、目一杯に愛を表現してターゲットに迫ることはあっても、怒りは滅多に表さない。性格温厚なオヤジである。怒って得することがあるか?
ま、ときおり、妻女殿の理不尽な物言いを怒鳴りつけることはある。怒鳴りつければ、あとは事態が沈静化するのを待つだけ。つまり、口もきかぬ時間が流れ、やがて、どちらかが必要あって声をかける。それをきっかけに、関係は元に戻る。
40年以上もの時を経た夫婦の関係なんて、多かれ少なかれ、そんなものであろう。
怒鳴りつけるのは怒りとは違う。うるさくまとわりつく蝿を追い払うようなものである。蝿を追うのに怒る人はいまい。それに続く断交時間は……。さて、これは何に例えたら良かろう?
今年の初仕事である昨日、私はある人を訪ねた。
いや、年の初めから仕事をしようなんて根性は、私にはない。若いころは多少持ち合わせていた記憶もあるが、そのような青臭さとはとうの昔に縁を切った。
日誌を読み継いでいただいている方には既知であるが、我が家に退蔵されていたデジタルビデオテープは、東京のSさんのご協力もあって、昨年、無事、すべてブルーレイディスクに移し替えられた。
そして、我が家のデジタルビデオデッキ、そのデッキで再生した信号をテレビに映し出すためのデジタルチューナー(何しろ、デジタルビデオデッキは、価格を抑えるためにデジタル信号をアナログ信号に戻して映像としテレビに映し出すデコーダーが搭載されていなかった。ために、そのままテレビにつないでも映像は出てこず、このデコーダーを搭載したチューナーにつなぎ、そこにあるデコーダーの助けを借りてテレビに映像を映し題していた)が不要になった。それだけでなく、録画済みのデジタルビデオテープも200本以上残った。
ある。不要なものがある。であれば、捨てればよい。
それはそうである。私も、その程度の理がわからぬわけではない。
しかし、である、お立ち会い。
デジタルテープを、すべてブルーレイディスクに移すことが出来たことから分かるように、デッキも、チューナーも完動品である。つまり、壊れていない。
加えて、テープには、貴重なハイビジョン映像が収められている。私が処分できずに持ち続けていたものはそのためである。その映像資産も、まだ健在なのだ。
それを、捨てる?
もったいない
ではないか。
と考え、
「ひょっとしたら、この人なら関心を示してくれるのではないか?」
と思いついたKさんを尋ねたのだ。用件は、
「ね、デジタルビデオデッキと、再生に必要なデジタルチューナーと、それに録画済みのテープをもらってくれない?」
というものであった。
尋ねたら、Kさんは、新年の挨拶回りに出かけており、会えなかった。よって、デッキ、チューナー、テープの嫁入り先は未定である。もし
「欲しい!」
という方がいらっしゃったら、私がKさんに話す前に、メールでいいからその旨を知らせていただきたい。
無論、
「買い取りたい!」
という方がいらっしゃれば、そちらを優先する。
が、それは今日の本題ではない。本題は「怒り」である。
Kさんは、自宅の近くに駐車場を借りている。
「おいでになるときは、そこに止めて下さい」
といわれ、いつもそこに止めていた。昨日も、そこに車を止めた。
「ん? 何か、借り主を表示する札の『K』という字が、えらく薄くなってるな。書き直せばいいのに。この駐車場のオーナー、筋金入りのケチか?」
と笑いながら車を降りた。
そのとたんである。
「あんた、何しとるんか」
しわがれた、ジジイの声である。私、こんなところにジジイの知り合いはない。訝りながら振り返ると、声をかけられた瞬時にイメージしたのと同じジジイがいた。
「そこで何をしとるんか」
このジジイ、目が悪いのか。私は駐車ラインの中に車を治めるべく、バックで車を入れ、成功して車を離れたところではないか。そこに立っていたのなら、その程度は目にしたはずだ。
それとも、目から入った信号を適宜に処理できないまでに脳の機能が劣化しているのか?
「いや、駐車してるんですけどね」
としか答えようはない。だれだって、そう答える。
「だから、何をしとるんだ、といっとる」
このジジイ、やっぱり馬鹿か。何がいいたいんだ?
「あんた、誰のところに車を止めておるんだ」
はあ、やっぱり馬鹿か。それとも目が悪いのか。
「『K』さんのところに決まってるやン」
「そこは、『K』の駐車区域じゃない」
何をいってる、このジジイ。あんなあ、ジジイ、ここ、俺がKさんを訪ねるときに、いつも車を止めている場所だぜ。馬鹿なことをいうんじゃないよ。
「だから、『K』の駐車区域じゃないといってるじゃないか」
何か分からんが、ほとんど喧嘩腰である。このジジイ、喧嘩で俺に勝てると思ってるのか?
もっとも、いまの私は腰に爆弾を抱える身である。その戦闘力は、柔道2段の腕前から相当に割り引かねばならないだろう。だけど、それでも負けるか? こんなジジイに?
ま、いずれにしろ、敵に弱みを見せぬのはファイターの心得ではある。
「何いってるんですか。ここはKさんが借りている区画でしょう。ずっとここに止めてきたし」
「Kはもう、借り主ではない」
ン? あ、そう。どんな事情か知らないが、Kさん、解約したんだ。
「あ、そうなの。それは申し訳ない。いつも止めていたし、札を見ても『K』って書いてあったし。悪い悪い、すぐに動かすわ」
「あんた、その札の何処に『K』と書いてある。何も書いてないだろうが。それを見たら、ここに止めちゃいかんと思うのが普通だろうが。いった、何を考えて勝手に車を止めるんだ!」
ここで、私の頭の中で
プツン
という音がした。
俺、そこまでいわれなくちゃならないことをしたか? 改めて札を見ても、うっすらと『K』という字が見える。それを確認したから、そこに車を入れたのである。
「何だと? あのなあ、俺は謝ったよな。謝った上で、車はすぐに動かすといってるよな。そんな俺に、それに加えて何をしろっていうんだ? あんたには、俺が謝っていることも、すぐに車を動かそうとしていることも分からんのか? ふざけるな!」
私はそういうなり車の乗り込み、駐車場を出た。
そもそも、である。
外から来た人間が、契約駐車場の契約が解消されていることに、どうやって気がつけというのか。
何も書いてないという札には、うっすらとではあるが『K』と見えるのである。このジジイ、俺にどんな判断を求めたのか?
そもそも、私が、契約切れになった駐車区画に車を入れたのを見とがめたのなら、
「その区画の契約は終わったんですよ」
と穏やかにいえば、物事は穏やかに進んでいたはずである。それを、最初からの喧嘩腰。
人としての教養がない。先祖伝来の土地で金を生み出して暮らしを立てるから社会生活の訓練が出来ておらず、話の仕方を知らない。
そういうヤツらを、私は遠慮なく
田舎者
と呼ぶ。
私、間違っているか?
しかし、である。
後悔はあとから襲ってくる。
何故私は、あの田舎者のジジイを罵倒し倒さなかったのか?
罵倒するには、会話の中では使うのを控えた
ジジイ
田舎者
という2つのキーワードが必須である。
「おい、ジジイ。手前(てめえ)、何くっちゃべってるか、薄くなった頭ん中の腐れ脳みそは、腐れ果てて働いてないのか?! 以前から車を止めてる区画だから止めた。その何処が悪い? 札に何も書いてないんだと? そのメンタマはガラス製の模造品か? よっく見てみやがれ。薄くはなっているが、『K』って書いてあるだろうが。これで消したつもりか? 手前がケチだから、契約が終わっても新しい札を買わず、唾つけた指でごしごしぬぐって消したつもりになってるだけじゃねえか。いや、例え札がなくなっていたって、いつも止めてた俺としては、『いつかの強い風で札が持って行かれたか。新しい札を用意しない地主は、正札付きのシブチンだ』と笑いながら止めただろうがな。そもそも、こんな広い土地、止めてる車も少ないし、俺の車が1台止まったからって、何か困ることがあるのか? 欲に駆られて地面に執着する唐変木にはそんなことも分からんか!」
程度のことはいってやっても良かったはずである。
私、64にもなるのに、まだまだ修行が足らん。
しかし、仕事始めから怒る。2014年、私にとってどんな年になることやら。