01.10
2014年1月10日 1日かけて
医者回りをしてきた。
いや、回られたのは妻女殿で、私はその専属運転手を務めたに過ぎない。
妻女殿が体の変調を訴えられたのは1週間ほど前のことであった。尿が泡立ち、ということは、尿タンパク値が上昇している、との訴えであった。これは、腎臓の機能が衰えたときに起きる現象である。
腎機能の低下は、昨年12月20日の定期健診で指摘されていた。年が改まれば、入院治療をすることにもなっていた。その入院を待たずしての泡立ちである。
次の検診日は、20日であった。
「調子悪いんなら、病院に電話をして、検診日を1週間繰り上げてもらえや」
そうお声がけさせていただいたのは、確か月曜日のことだ。
が、である。我が妻女殿、私からの提案は、中身を検討する前にまず拒絶するのが習い性となっておられる。
「いいの。健診は来週だから、それまでは大丈夫」
それが大丈夫ではなくなったようで、水曜日、自主的に前橋日赤に電話をお入れになり、
「金曜日のお昼過ぎなら」
という回答を得られたらしい。
「ということなんだけど、10日の金曜日、仕事は大丈夫?」
ことは健康問題である。仕事が大丈夫かどうかは二の次のことだと思うのだが、我々の会話はいつもこのようなトンチンカンな成り行きをたどる。私からの提案を蹴飛ばしたあとだけに、正面切っていいにくいのだろうと想像する。恐らく、それほど外れてはいまい。
ということで、今日10日は、朝から前橋日赤病院に出かける日となった。
次の体調不良は、木曜日の夜になって出現した。
「あの、抗生剤がはっいっている軟膏、何処にやった?」
風呂をお出になった妻女殿からのご下問である。抗生剤が入った軟膏? そんなもん、知らんぞ、俺。
「あったじゃん。お医者さんでもらってきたでしょう」
いや、私は皮膚科には滅多に行かない。先日、久しぶりで行ったのは左手の甲にかゆみを覚え、一部の皮膚がボロボロになってきたためである。
「ああ、加齢による皮膚の乾燥ですね」
といわれて出てきた薬は、かゆみ止めと保湿剤である。抗生物質が入っているとは思えない。といっても、妻女殿は納得されない。
「事務所に持っていったんじゃないの?」
私も、物忘れでは人後に落ちなくなっている。ふむ、ひょっとしたらそんなこともあるか? 事務所のデスクの引き出しを探ってみたが、そのような軟膏は影も形もない。である以上、
「ないわ」
というしかない。
「2,3日前から脇のリンパ節が腫れてたでしょう。だから湿布薬を貼ったんだけど、おかげでかぶれちゃって。痒くてしょうがないんだわ」
といわれても、ない薬を差し出すわけにもいかない。
「明日は前橋日赤だから、主治医に話したら」
ま、出来るアドバイスはその程度である。
そして、夜が明けた。
「8時半には家を出るからね」
突然のお申し出である。
「10時過ぎでいいっていってなかったか?」
「最初に近くの皮膚科に行って、それから前橋日赤に行くから」
ああ、そうですか。かぶれのかゆみが耐えられないらしい。
ということで今朝、まずは近くの皮膚科に行った。妻女殿を病院の玄関で降ろし、私は近くの喫茶店へ。
何しろ、私は患者ではない。患者は、成人してすでに40年以上もたつ、一般的に世の中では「大人」と呼ばれる部類に属する女人である。であれば、私が付き添う必要は毛頭ない。お互いの時間を最大限有効に使うには、これが一番いい。
そう、私はモーニングコーヒーを楽しみながら、読書に勤しむのである。
1時間半足らずで電話が来た。診察が終わったらしい。喫茶店から医院に車を回す。
乗り込んできた妻女殿がおっしゃった。
「帯状疱疹なんだって」
ん? 帯状疱疹? それって、激痛が走ると、普通は表現される病気であるぞ。しかし、激痛にうなされていた節は皆無ではないか? なんていった? かぶれた? かぶれって、普通はかゆみを伴うのではないか? それが帯状疱疹? あんた、痛みとかゆみの区別がつかないの?
様々に思いを巡らせながら、私はぽつりと言った。
「やっぱ、病気のデパートだな」
そのまま車は前橋日赤に向かう。妻女殿を降ろして、私はけやきウォークへ。楽譜を買い、文庫本を3冊とビッグコミック、「数学を愛した人たち」(東京出版)を」購入し、喫茶店で読書。前橋日赤にお迎えにあがったのは12時半過ぎであった。
2つのことが明らかになった。
帯状疱疹は極めて初期のものであり、入院治療の必要はないこと。自宅での薬物投与で退治できる。
その治療が終わるのを待って、2月3日から腎臓の治療のため入院する。期間は約1ヶ月。
ま、私としては
「ああ、そうなの」
というしかないのだが。
昼食を済ませ、薬を受け取って、その足で黒保根へ。何故か、受診直後の妻女殿は心身ともに健康になられるのだ。黒保根という遠方まで買い物にお出ましになるのは久方のことである。
最近、我が家はここで採れる米に惚れ込んでいる。つぶ断ちがよく、歯ごたえが素晴らしい。噛めば噛むほどえもいわれぬ甘みが出て、
「ああ、日本に生まれて良かった!」
と思う。
そんなこんなで、コシヒカリ、ひとめぼれあわせて13kgを購入、帰宅。
という訳で、専属運転手を務めさせていただいた({させていただいた」という表現はイヤらしいなあ、といつも思っておる私だが)私は、読書の時間がたっぷり取れた。ために、
「皇帝フリードリッヒ二世の生涯」(塩野七生著、新潮社)
の下巻を読了。
男好きを自認する塩野のおばちゃんが、カエサルに次いで惚れ込んだ男である。
中世にあってルネッサンスを用意した男、フリードリッヒは、なるほど、おばちゃんが惚れ込んでもおかしくない、実に魅力的な男だ。
ローマ法王の権力が絶対だった時代。幼くして父を亡くしたフリードリッヒは、卓越した頭脳と、生育環境がもたらした国際性と、飽くなき知識欲、好奇心、人を魅了してやまない弁舌、人の心のひだまですべてを考え抜く粘着力、そして何よりも、こよなく女を愛しながら政治を忘れず、しかし、ついには政治を無視してひとりの女への愛を貫きつつ、なのに、次々と愛妾を作る行動力を武器に、法王の権力と正面切って戦い、中世の壁を打ち崩していく。
さて、フリードリッヒにあって、私にない能力とな何か?
読み始めたのは、確か週明け。わずか5日間で上下560ページを読み切った。5040円、高いのか安いのか。
にしてもだ。キリスト教とは何と下らぬ宗教であることか。あ、いや、悪いのはキリスト教ではなく、ローマ法王が頂点に立つカソリックの教会かも知れないが。
昼食に寿司を食べながら読み始めたのは、
「オレって老人?」(南伸坊、みやび出版)
確か、朝日新聞の書評欄が取り上げ、
「そういえば、俺もそんな歳?」
と読みたくなった本である。
が、だ。
つまらん。
こんなつまらん雑文が、有名人(それほどでもないが)が書くと本になるのか。
ここには、齢を重ねることの尊さも、歓びも、おかしみも、哀しみも、嘆きも、加えて、我々同年代の共感を呼ぶものも、何にもない。
あるのは、ボケ老人よろしき雑な文だけである。
この本の何処が、推薦に値するのだ?
ま、読書を積み重ねれば、たまにはこのようなこともある、と諦めるしかあるまい。
そうそう、我が家のデジタルビデオデッキ、デジタルチューナー、それに、200本を超すデジタルビデオテープ、無事にKさんに引き取られた。
ついでに。
シルクエッセンス配合のハンドクリーム、伊藤社長に提案した。
「なるほど!」
と事務室の黒板に書いてくれていたが、さて、製品化してくれるのかどうか。
社長、よろしく!