01.19
2014年1月19日 動画
前回の日誌で、凋落が続くNHKの知性を嘆いた。テレビといえばNHKしか見ぬ私の嘆きである。
劣化した知性の一例としてノベルティスファーマの事件を引いたのだが、 NHKのどうしようもなさに気がついたのは私だけではなかった。翌日からの新聞各紙に目を通したが、同社の白血病治療薬に関する臨床試験を取り上げたところは1社もなかった。
当のノベルティスファーマが社内調査をするとコメントしていた(と記憶する)から、他のメディアも追いかけようと思えば追いかけることが出来たはずである。なのに、1紙も取り上げないということは、
「 NHKさん、どう考えても勇み足だよ。何を寝ぼけてんの?」
という思いを、私と同じにしたのであろう。紙の媒体には、多少なりとも知性が残っているということか?
さてNHK、この件にどう落とし前をつけるのだろう? いつものようにほっかむりして、会社の中では
「他社も追いかけられない特ダネだった」
と自画自賛するつもりか?
それはアホの上塗りであるのですがね。
横浜の、本来我が家であり、現状は次女一家の住まいである家に行ってきた。
四日市の長女一家、そして長男夫妻も集まり、長男の米国赴任壮行会を開いた。ま、単なる飲み会という見方も成立することはいうまでもない。
席上、長男は盛んに
「サンフランシスコに遊びにおいで」
を繰り返した。往復旅費は1人10万円もかからない。宿所は心配しなくていい、が売りである。つまり、客人を泊めるだけの広さのある住居を借りるということである。であれば、心が動かぬでもない。
ひょっとしたら今年の夏、あるいは来年の夏、私は啓樹と瑛汰を伴ってサンフランシスコへの旅に出るのかもしれない。
長男の今ひとつの気がかりは、いま持つテレビであった。47インチの大画面。画質には満足しているらしいが、周波数帯域の違いのため米国では使えない。
「どうしようかと思ってさ」
一案が出た。
次女宅、つまり瑛汰宅のテレビは、購入からすでに8年ほどたつ。プラズマディスプレーの42インチである。
「だったら、その47インチを瑛汰のところに持ってきて、その42インチを桐生に持っていって、お母さんの寝室に置いたらどうだ?」
ま、単なる一案である。決着までにはまだ時間がある。
てなことは、実はどうでもよい。
今回、横浜に集まって心底驚いたのは、啓樹の異能ぶりであった。
「あのしゃ」
と、啓樹はいつものように訥々と話し始めた。
「僕しゃ、クローン・ウォーズの映画を作ったんだけどしゃ」
クローン・ウォーズ? その映画?
聞いてみると、こんな話だ。
先日、CSでクローン・ウォーズの特集をやり、そのついでに、レゴブロックを使ったキャラクターで、クローン・ウォーズを作ったアニメを放映した。それを録画して啓樹に送ったのだが、見終わってこういったのだそうだ。
「これ、僕も作ってみる」
取り出したのは、デジカメである。これは昨年夏、啓樹、瑛汰と3人で九州旅行( 「2013年7月30日 真夏の珍道中1 『この人、64歳』」に始まる8回シリーズをご参照いただきたい)に行った際、1眼レフの持参を忘れて現地で調達したものだ。確か、1万円弱。動画も撮れる優れものであった。
旅が終わり、役割を終えたこのデジカメを、私は啓樹に贈呈した。
取り出したそのデジカメをそばに、啓樹は手持ちのレゴブロックでクローン・ウォーズの1場面を作った。次に、人物や乗り物を少しずつ動かしながら、一コマずつこのカメラに納めた。まさに、アニメーションの原点ともいうべき作業を、1人でこなした。
無論、コマ採りした静止画をなめらかに連続再生するソフトなど私は持っていないし、啓樹のパパも持っていない。普段、そのような作業に無縁であるから、持たない方が普通である。
では、啓樹はどう再生したか。
デジカメのモニターで1枚目の静止画を表示し、あとは「次」ボタンを押しっぱなしにするのである。すると、コンマ何秒かで静止画が次々と再生される。それを見ていると、うん、確かにキャラクターや乗り物が動く。
通常、映画やテレビでは、1秒間に24コマの静止画が再生される。その程度のコマ数になると、我々の目は連続したなめらかな動きとして脳内で画像を再生する。それが動画の原点である。
啓樹作は、まあ、1秒間に3コマ、あるいは4コマが限度であろう。だから、動きはぎこちない。パラパラ写真よりさらにぎこちない。
が、だ。啓樹、動画は静止画の集まりであり、静止画を連続して入れ替えることで動画になることを何処で学んだのか?
本か何かで知ったのかもしれない。
しかし、その知識と、手元にあったデジカメがどうしてシンクロしたのか? このちっぽけなデジカメで、自分でもアニメが作れるなどと、どうして発想できたのか?
私はデジカメを持って10年以上になる。が、一度としてそのような発想をしたことはない。カメラに任せっきりの連続撮影をして、その画像を「次」ボタンを押しっぱなしにして再生すると、何だかパラパラ写真みたいに動くな、と思ったことはあっても、それを利用して自分の作品を作ろうなどという考えは、一度も私の脳裏に浮かばなかった。
なのに、なぜ啓樹の脳裏には、フットそんな考えが浮かぶのか?
後生畏る可し
そういえば啓樹は、デジカメで撮った写真を、メモリーカードをプリンターに差し込んで印刷していた。回りの親たちに聞くと、全員が
「そんなプリントの仕方があるなんて知らなかった」
という。無論、私も、写真をプリントするには、一度パソコンを介する。プリンターダイレクトの機能があることは知っているが使ったことはなく、従って使い方も知らない。
小学校3年生が、何処でそのような知識を身につけるのか。
啓樹も瑛汰も璃子も嵩悟も、可能性に満ちている。それがこれから次々と蕾を結び、やがて花として開く。
そして、私の出番は、多分、確実に減っていくのである。