2014
01.26

2014年1月26日 犯罪

らかす日誌

その昔、といっても、私が生まれる前のことではなく、私の青春時代のことである。
その程度の過去の話を、「その昔」と書き始めるのはいかがなものかとも考えたが、ま、私も60を過ぎたことではあるし、それでいいのではないかとも思う。複雑な心境である。

ま、初老の男の心境はどうでもいいとして、その昔、岡林信康が

おまわりさんに捧げる歌

というのを歌っていた。

♪♪
おまわりさん
前からあんたに言いたかった事があるのさ。
世の中を良くしたいんだと命掛けた真面目なあんた
だけど、だけどあんたのやってる事はまるで、 
汲み取り式の便所の仕組みはほったらかしにしておいて
出て来た蝿を一生懸命追ってるようなものさ。
お偉い方は蝿が出たって知らん顔さ
そりゃそうだろう
甘い汁を吸うには世の中変わっちゃ都合が悪い
汲み取り式のまんまでほっておきたいようなもの
だからあんたを使って蝿を追わしてる~
おまわりさん
あんたが真面目に働けば働いただけ
世の中悪くなる、
どんどん悪くなる
気がする。

♪♪
おまわりさん、
知っているかい
汽車に乗って旅行をすると
ある所じゃ車内放送でこんな事を言ってるんだよ
線路の、線路の傍に家が沢山あるので
ここから先の汽車のトイレは使わぬように、
タレタレ流しのトイレだから付近の人がとっても困る
おまわりさん
あんたがそこでしたくなれば
きっとするだろう
だけど、いつもあんたのやってる事はまるで
我慢できなくてトイレに行く人とっつかまえて
タレタレ流しのトイレの仕組みは直させようとしないようなもの
おまわりさん
あんたが真面目に働けば働いただけ
世の中悪くなる
どんどん悪くなる
気がする。

♪♪
甘い甘い汁を吸ってる
お偉い方の用心棒に
あんた達は雇われてる
あんた達は飼われてるのさ
だけど、だけどあんたに言っておきたい事がある。
あんたがそ うして生きていけるのも、お偉い方が俺達から取ってく税金のおかげさ
おまわりさん
そのくせあんたは蜘蛛の巣さ役にも立たない
チョウチョや、チョウ チョやトンボは待ってました捕まえられるけど
トンビやカラスは平気な顔して抜けてゆく
そりゃそうだろ、犬が主人に噛みつきゃえらいこった
おまわりさん
言ってやろうか、あんただって便所の蠅さ
あんたが真面目な事はよく分かる
おまわりさん
俺の心にもあんたと似た所があるさ
だけどそれでは
きっ とダメなんだ、
そうだろう
♪♪

ま、ひょっとしたらこれは、エセに近い社会学なのかもしれない。
すべての犯罪が社会的原因を持っていると信じるほど、私は無知ではない。猪瀬直樹が5000万円の賄賂を受け取ったのは世の中が悪いからか?
いや、例え犯罪のほとんどを社会的原因に結びつけうるとしても、犯罪者と似通った環境で育ち、生きている人たちも、犯罪に手を染めるのは稀であるのが事実である。例え背景がどうあろうと、犯罪を犯した個人の責任は厳然としてある。


アグリフーズの群馬工場で冷凍食品に農薬が混入された事件の犯人と覚しき男が、昨日逮捕された。この工場の従業員だった。
これまでの報道でも、農薬の混入は工場内でしか起きえないことであり、食品工場だから、工場内には農薬など置いてなかったことが分かっていた。であれば、誰かが工場内で意図的に混入したはずである。だから、従業員の逮捕は意外でも何でもなかった。

「おっ!」

と思ったのは、逮捕された男が契約社員だったことである。半年ごとに契約を繰り返す不安定な身分だ。しかも、報道によれば、年収は200万円前後とあった。
50歳に手が届こうという男が、半年ごとに契約を更新してもらえなければ無収入になる立場に置かれ、しかも収入は微々たるもの。
常日頃の信条を裏切るようだが、

「ああ、これは雇用制度が生んだ犯罪である」

と断じるしかない。

1990年まで、日本は世界の経済モデル国家であった。何故日本経済だけが強いのか。様々な分析が世に流布された。そして、日本企業の強さは、終身雇用年功序列であるというのが、ほぼ定説となった。

ところが、1990年代、日本はどうあがいても抜け出せない布教に突入する。かつては馬鹿にしていた米国企業の後塵を拝し、日本の経営者どもは焦り狂った。
焦りが生み出す良い結果、というのは余り聞かない。良い結果はゆとりから生まれるのである。そして、日本経済が生み出した結果は雇用の不安定化であった。

当時の経営者は口々に言った。

「米国企業の強さは、レイオフ(首切り)が自由なことによる。米国の経営者は、必要と思えば従業員の首を切れる。我々日本の経営者は、工場の稼働率がどれほど下がろうと、従業員の首を切れない。これで競争しろとは、無茶ではないか」

これに当時の自民党政権が押され、日本に派遣労働者や契約社員、業務委託という仕事の形が生まれた。いわば、企業は世界と闘うため、首切りの自由を手にした。

しかし、である。
世の中は、企業だけで成立しているのではない。経営者だけが世の中の構成員でもない。世の中の大多数は企業に勤め、そこで得た賃金で暮らしを支える人々である。私もその1人だ。
1990年前後までの日本では、一度就職すれば、定年まで働けるのが当たり前であった。その当たり前に沿って人生設計が出来た。
ところが、終身雇用が打ち切られ始めた。いや、正社員はいまでも終身雇用が一般的である。だが、それでは景気の波に合わせられないと、正社員の仕事だったものが派遣労働者、契約社員、業務委託先の労働者の仕事となった。
企業は、この人たちに終身雇用を保証しない。必要になればいつでも契約を打ち切る。こうして、コアになる正社員の数は減り続けた。仕事が繁忙なときは派遣社員や契約社員が増え、仕事が暇になれば正社員だけで仕事を進めるというのが、当たり前になった。
そんな自由を手にしながら、日本経済空白の20年を創り出した企業経営者たちはアホばかりである。

話を戻す。 
そりゃあ、企業にとっては都合のいい話である。だけど、働く身になればどうか?
無事、正社員になれればよい。しかし、正社員採用の枠が小さくなった以上、正社員になれない人の数が増えるのは当たり前だ。この人たちには、派遣労働者になるか、契約社員になるか、起業するか、無職になって親のすねをかじりつくすかしか道はない。
起業する能力はなく、親に資産もない。仕方なく派遣労働者、契約社員になる。が、定年まで働けるという保証はない。昇進も昇格もなく、あるのは、いつ雇用を打ち切られるかという不安だけである。おまけに、収入は正社員より少ない。踏んだり蹴ったりだ。

そのような人々の勤務先とは、働いた分だけしか金をくれないところであり、都合が悪くなれば首を切る敵でしかない。

昨日逮捕された49歳の男は、49歳にしてそのような立場にあった。彼は、勤め先に忠誠心など持っているはずはない。彼が真犯人だとしたら、犯罪の動機の大きな部分を、勤め先への恨み辛みが占めているはずである。俺にこんな仕打ちをしやがって。俺はお前を困らせてやる……。

企業は、派遣労働者や契約社員として社内で働く人々の忠誠心を無視してきた。

「そんなもの、必要ない。必要なことを必要なときに、金でやってくれさえすればいい」

と企業は考える。それが今回の事件を引き起こした。

企業への忠誠心とは、ひとつの企業に滅私奉公することではない。自分が働く企業を通じて世の中に役に立つことを喜ぶことである。多くの人に喜ばれる仕事を自分も支えているという自覚である。それをプライドという。働く人一人一人がそんな忠誠心、プライドを持てば、その企業からおかしなものが出て来るはずがない。

だが、いつ職を失うかという不安を常に抱えざるを得ない契約社員に、そのような喜びや自覚を持つことが出来るか?

企業は企業だけで存在しているのではない。世の中の一部としてしか存在していない。企業の都合と計算だけで物事を進めると、思わぬところからしっぺ返しを食らう。

無論、逮捕された男と同じ立場にいる人は、残念なことにアグリフーズにも沢山いる。その人たちが犯罪予備軍であるといいたいのではない。逮捕容疑が真実であれば、全責任はこの男にある。

だが、である。
逮捕された男が正社員であったら、この事件は起きたか?

私はまだ、岡林信康の世界から抜け出せないのかなあ……。岡林は最近、この歌は絶対に歌わないのに。