2014
05.04

2014年5月4日 キモ、冷える

らかす日誌

昨夜のことであった。

しばらく日誌を書いていない。まあ、いつものことながら連休中はアクセスが減る。読者がサボっているのなら、筆者がサボって何が悪い。

と開き直るのもひとつの選択肢である。その論理の正しさは重々承知してる私ではあるのだが、どういう訳なのだろう。間が空くと、何となく天下国家に悪いことをしているような、不思議な気分になる。

「あ、そろそろ書かなきゃな。でも、何を書く?」

と思案しながら、愛機iMacの前に座る。最初の一行を思いつけば、あとは、あることないこと(いや、ないことを書いた記憶はありません。ここは言葉の勢いということでご容赦下さい)書けばいい。

昨夜もそんな夜であった。何しろ、ひとつ前の日誌は4月27日である。その後、飲み会が続いて二日酔い状態が持続、とてもじゃないが頭が正常に働かなかった、という天下に通用する言い訳はある。が、

「あんたの頭が正常に働いていないのはいつものことではないか」

とまっとうに反論されると、黙り込む私ではあるのだが。

というわけで、昨夜は日誌を書こうと思ったのである。そして、実際に書き出した。そして、おおむね3分の2を書き終えたときだった。ふと思ったのだ。

「あ、外付けのHDD(ハードディスク・ドライブ)を初期化しなきゃ」

うん、ここは昨日書きつつあった日誌を目にされた方はいらっしゃらないのだから(昨日は、iMacのHDDを、2人の若者に取り替えてもらった話を書いていた)何のことかおわかりになるまい。よって、何故にそのような思いが脳裏に浮かんだかを、これからしばらく書く。

我が愛機iMacの調子が悪く、ためにお医者さんを呼んだ、という話はすでに書いた。その話の通り、2人のお医者さんが4月29日、我が家を往診、手術を断行して病が進みつつあった内臓HDDを取り外し、新しいHDDを組み込んでくれた。新しいHDDにはOSをインストール、取り外したHDDはケースに収めて外付けHDDとした。ここまでは通常の手順である。

さて、愛機iMacは脳の記憶部位がリフレッシュされ、元気になった。とはいえ、記憶する場所がリフレッシュされただけで、実は何も記憶していない。私がiMacに蓄積してきた記憶は、いまや外付けとなってしまった、かつての内蔵HDDに貯まったままである。これをリフレッシュされた内蔵HDDに戻してやらねばならない。
幸いMacには「移行アシスタント」という純正ソフトがあり、いまや外付けとなってしまったかつての内蔵HDDと本体をUSBケーブルで繋ぎ、マウスをちょいちょいと動かすと、自分で作ったファイルだけでなく、ソフトウエア、各種の設定、あちこちのID、パスワードなど、パソコンを使うのに必要なすべてが、自動的に内蔵HDDにコピーされる。
途中で電源コードを引き抜いてしまうアクシデントはあったが、これは無事に済んだ。

というわけで、29日の夜から、わが愛機iMacは、購入当初と同様に、さくさくと動き始めたのである。

とはいえ、知的資産の移行は、すべて機械任せであった。機械は人間より正しく事務作業を進める、とはいえ、私も人間の端くれである以上、プライドをかけても機械に100%の信頼は寄せぬ。機械だって、ひょっとしたらミスをするかも知れないではないか。
というわけで、いまや外付けとなった、かつての内蔵HDDには、かつての記憶をすべて抱かせ続けた。ひょっとしたら、への備えである。

それから5日。
昨夜日誌を書きつつあった私は、何故か突然

「5日もたったのだから、もういいだろう」

と考えた。もういいだろうとは、いまや外付けとなったHDDに記憶を保持させ続ける必要はなくなった、という判断である。何しろ、過去の資産を持たせ続ける限り、利用できる記憶容量が小さすぎて実際の用には立たない。すべての記憶を消して、新たに沢山のデータを蓄積してもらわねばならない。
そこまで行き着いて、私は

「あ、外付けのHDD(ハードディスク・ドライブ)を初期化しなきゃ」

と思い立ったのであった。

思い立てばすぐに実行する。引き延ばせば、物忘れが進んだ年齢の私である。忘れっぱなしで放って置く危険がある。そう、思い立ったが100年目、なのだ。意味はよくわからないが。

で、直ちに実行した。HDDの初期化なんて、あっという間にできちゃうのだ。
私は、ひとつの作業が終わった満足感に包まれながら、日誌の先を書き継ごうとした。
ところがその直後から、「らかす」の作成に使っているDreamweaverが不可思議な挙動を示し始める。

と書いて、

「不可思議な挙動って何だっけ?」

と思いだそうとしたら、あら不思議。頭の中に何も残っていない。えっ、だって、おかしくなったから日誌を書けず、どうやったら元に戻るかを試行錯誤し、何ともならずに、あちこちにヘルプ信号を出しながら、焦り狂ったんだろう? と自分で考えても、最初に出たのがどのような不具合であったのかが、トンと記憶から抜け落ちている。はっ、なっちゃったのね、俺もそんな歳に。

記憶にあるのは、次の通りである。
Dreamweaverは、サイト上のサーバーに私が作ったページをのっけるだけでなく、私のパソコンにも、サーバー上にあるのと同じ原稿や写真を保存する。それはローカルフォルダと呼ばれる場所に保存されるのだが、そのローカルフォルダがどうやっても開けない。どうやら、中身は空っぽのようだ。ということは、あれか。いまや外付けになった、かつての内蔵HDDからすべての記憶を、新しく内蔵されたHDDにコピーしたはずだったのに、そこだけコピーができていなかったのか?

それでも心配はない。サイト上には私が作った原稿や写真がある。だから皆さんに読んでいただける。こいつをローカルフォルダに落とせばいいのだ。何の問題がある?
ところが、だ。エラーが起きて落とせない。何度やっても結果は同じである。

Dreamweaverの解説書を引っ張り出した。が、ローカルフォルダを作る説明はあっても、作ったローカルフォルダが押しても引いても動かないときの対応策は書いてない。つまり、全く役に立たない。2580円もした分厚い本なのに、これではまるで詐欺である。

この事態は、己の力では乗り越えられない。その諦めが体にしみ込むと、やや遅れて悟りが沸き上がる。

「いいんじゃない? これで『らかす』をやめる立派な理由ができたじゃない。ねえ、これまで、ある種の義務感で書いてきたんだろ? 頭と体力と気力と金と時間を使って書き続けて、でも一銭の収入もないし、書いたことで世の中が変わるわけでもない。無駄、無駄。この際、やめちゃおうよ。やめたらもっと映画が見れるし、本も読めるぜ」

魅力的な悟りであった。
うん、そういう一面もあるな、と思いつつ布団に入った。

なのに、である。布団に横になると、

「だけど、何がいけなかったんだろう? あのエラーは何故に起きるのか? そういえば、ローカルフォルダをダブルクリックしても何事も起きなかった。ひょっとしたら、目で見えるローカルフォルダって、アクセスできなくなってるのか? だから、サーバー上のデータを落とし込めないのか? 誰に相談したらいいだろう? だれなら、正常に動くようにしてくれるだろう?」

頭に浮かぶのは、どうしたら次に日誌を書けるか、だけであった。どうやら、魅力的な悟りがあるにもかかわらず、私は「らかす」の継続を請い願っているのであるか?

仕方なく、今朝を待って、桐生市の元有力者、O氏に電話した。ネットやホームページ作成に詳しい知人がいると、彼が話していたことを思い出したからだ。

午後、その知人が我が家に来てくれた。ディスプレーに現れるエラー情報を見ながら、

「うーん、これはこのはずだよな。だったら、これをこうすればうまく行くのか?」

などとブツブツ言いながら、1時間足らずの作業で正常に戻してくれた。やっぱり、既存のローカルフォルダがいけなかったらしい。HDDを取り替えたことで、なぜかこれが使い物にならなくなっていた。新しくローカルフォルダを作ると、サーバー上のデータがすべて落ちてきた。おかげで、いま、こうして日誌を書き継いでいる。

聞けば、今日彗星の如く現れたウルトラマンは、知り合いの息子さんであった。東京でソフトウエア関係の仕事しており、現在は連休で帰郷中。いいときに、いい人が帰郷していてくれたものである。
やはり、日頃善行を積み上げているためか。

「いやあ、こんなもの、どんどん専門的なって分かり難くなってますからねえ。私だって、自分の専門分野以外は触りたくないですよ、怖くて」

というのがウェブ制作の現状らしい。

お金をお支払いするのは失礼だと考え(私がウルトラマンなら失礼だと思うから)、たまたま買いおいていたウイスキーを彼にお持ち帰り願った。タイミングが合えば、O氏を入れて酒を飲もうとも話した。

というのが、連休2日目の私である。
そういえば、昨日も貯まっている私事に追われて、数学に取り組む時間もギターに触る時間もなかった。今日も同じであった。何してるんだ、俺?

連休は残り2日。明日からは、あるべき本来の連休の姿に戻ろう、と固く決意する私である。