2014
08.27

2014年8月27日 季節の変わり目

らかす日誌

のためか、何となく体が落ち着かない。

いや、何処といって悪いところはない(はず)なのだが、何となく体が重い。突然に足が弱ったかのようである。

いまいち、気分が乗らない。何をやるにしても、億劫さが先に立つ。という割には、今日も高校入試数学に挑み、たった1問の立体問題に数時間かけてやっと解き方を思いついたのではあるが。

関節の自由度が落ちている。ギターを持って引き始めると、左手の手首が痛む。そりゃあ、かなり無理な姿勢もとらせることがある。人差し指で1フレットを押さえ、小指で5フレットを押さえるなんてのは、手首をかなり曲げるのに加え、人差し指と小指を間を思いっきり開くから、手首の関節に響く。でも、この痛み方はこれまでなかったぞ。

先週末、本当に久しぶりに太田胃散を買った。胃がもたれるのである。ホンの先日までは、朝8時に朝食を終わると、午前11時半には空腹を覚えていた。それが、12時半になっても何となく胃がもたれる。おまけにげっぷまで出る。俺、そんなに冷たいものを胃に入れていじめた覚えはないが。

眠い。朝6時半、7時に目は覚める。何となく眠気は残っているのに、布団に横になっていても眠れるわけではない。仕方なく起き出す。が、体の真にある眠気は1時間ほどは残ったままだ。
流石に昼間に居眠りすることはないが、夜になるといけない。午後9時頃から映画を見始める。始まって20分ほど立つと強烈な眠気が襲う。我慢しきれずにトロトロすることもしばしばで、10分ほど寝て眠気が覚めた後で、10分間の中断はなかったが如くそのまま映画を見続けるという器用なことを繰り返す。
もっとも、金ラベルをあげたくなるいい映画を見ていると、不思議なことに眠気は襲ってこないのではあるが。

腰の調子もいまいちである。動けないほど痛むことはないが、常に

「俺はここにあり、病んでおるのだぞ」

と主張を繰り返す。ために、夜寝るときは

「明日も立ち上がれるかなあ?」

などと無益なことを考えながら横になる。朝起きて朝食を済ませ、腰の薬を服用するのが待ち遠しい。

踏切で一旦停止し、その先30mほどにある信号が赤であることに気を奪われ、踏切の前で一旦停止し続けた。後ろに車が来たことに気がつき、ふと我に返って、踏切で停車し続けていることに驚き、信号の停止線まで車を進めた。今日のことである。俺、惚けてる?

今年は季節の変わり目が早い。例年、9月半ばまでは酷暑が残っていたのに、今年はすでに涼しさが漂い、今日など10月の気温だそうだ。どうにも天候が不順だ。

だからなのよ。私の調子がおかしいのは、すべて季節の変わり目のせいである。体が急速に訪れた秋に違和感を覚え、戸惑っているのである。

「へっ、何を馬鹿なことを。あんた、それ、老化。あんたが言っている一つ一つは、すべて老化現象でしかない。認めな、老化を」

どこかで誰かが、私の中では私が、そういう声をあげる。私は

「ふん、65なんて、まだまだ洟垂れ小僧だよ。老化なんてまだまだ先の話だ」

と声を無視する。恐らく、当分の間、そのやりとりが続くはずである。


それに引き替え、我が妻女殿は最近お元気だ。最近、「プリザーブドフラワーアレンジ」というのに凝っておられる。一言で言えば、生花を干してミイラにし、ミイラ化した花を箱やグラスの中に寄せ集めて飾り物を作る遊びである。ミイラを沢山展示する大英博物館の私家版というところか。ま、あちらは人間を元にしたミイラ、こちらは花のミイラではあるが。
ま、好きになったのなら、トコトン遊べばよろしい。

「家具の本田に連れて行って欲しいんだけど」

とおっしゃったのは、先週の木曜日である。なんでも、出来上がったものを見て、近くのイタリアンレストランのおばちゃんが

「わあ、いいわね。それ、作ってくれない?」

と所望されたらしい。自分が作ったものが評価されて気をよくするのは、賢い人も、賢くはない人も同じである。妻女殿がどちらであるかの判定は、ここでは避けるが。
だから、

「ちょっと待ってて。作るから」

という返事をしてもおかしくはない。が、作るためには、ミイラ化した花を中に入れて飾り立てるケースがいる。

「本田でそのためのグラスを買いたいの」

お連れしたのはいうまでもない。

「太田市のジョイフル本田に行きたいんだけど」

とおっしゃったのは日曜日のことだ。イタリアンレストランのおばちゃんに完成した一品を差し上げ、次を作ろうと思ったら、材料となる花が不足したらしい。

「来週でもいいんだけど」

と遠慮されたが、まあ、欲しいものは欲しいときに欲しいのが人の常である。

「別に来週まで待たなく立って、明日(月曜日)に行けばいいではないか」

と月曜日、車で出かけた。

今日は、

「週末に横浜に行く時の土産に」

と、洋菓子のマリー・ポールにお出かけになった。無論、私が専属運転手を務めるのは変わりない。

つい先日まで、我が妻女殿が自宅を出るのは、定期健診で前橋日赤に行くときに限られていた。それに加わるのは、皮膚科や耳鼻咽喉科、内科、歯科などの医者にお出かけになるときである。
ために、食品をはじめとした日用品の調達係は私で、私はスーパーにも、農協の直販所にも、ショッピングセンターにも、妻女殿に命じられるままに、1人で買い物に通っていた。
なのに、

「ああ、どっか行きたい。温泉に行きたい。私が出かけるのは病院だけだからつまらない」

と、己が自宅を離れないのは私が原因であるかのようにわめき立てられていた。
もちろん私は、聞こえても聞こえない風を装っていたのではあるが。

それが、1週間に3回のお出かけ。しかも、自宅に戻っても

「ああ、出かけなきゃよかった。足が痛い、腰がいたい」

などの泣き言は一切口にされない。現在は、プリザーブドフラワーアレンジの資格を取ると張り切っておられる。資格が取れたら弟子を募るのだとか。
そうか、これまで我が家の家計は専ら私の収入で支えられてきた。それが、数年の内には妻女殿の収入で支えられる。それも一興である、と私は期待するのである。

しかし、私の体調が不調なのに、妻女殿の体調は上り坂。これほどリズムが食い違っても夫婦であるとはいかなることか?

人生、楽あれば苦あり

を絵に描いたようでもある。