2014
09.03

2014年9月3日 教育的指導

らかす日誌

ということで、瑛汰である。

我が妻女殿の意向に従い、愛車BMWを横浜まで走らせたのは8月29日のことである。すでに9年目に入っているのに、すこぶる調子はいい。そろそろ買い換えたい、などという気には全くならないのが不思議だ。最初は多少高くても、やっぱりいいものを持てば物理的にも精神的にも長持ちし、結局は安くつく。
ま、それはそれとして、当日は平日だけに首都高が混み、桐生を朝8時半過ぎには出たのに、横浜の我が家に着いたのは正午近かった。

「ボース!」

と璃子が飛び出してきた。璃子はまだ夏休みであった。
瑛汰は、この日から学校。

「ボスたち、来た?」

と声を上げながら2階の居間に駆け上がってきたのは、正午を20分ほど過ぎたころだった。すぐに軽く昼食をとって、瑛汰と璃子、それに次女を伴って買い物に出た。
何しろ、事前に璃子から

「ボス、あのさあ、璃子さあ、お財布が欲しいの、アナと雪の女王のお財布。トレッサで売ってるんだ」

と、愛に溢れた電話をもらっていた。

「えっ、アナ雪の財布? それだったら、ディズニーの版権料もあるだろうし、4、5000円するのか?」

とややびびったが、璃子が私にリクエストするということは、事前に次女から

「うん、ボスにおねだりしていいよ」

と許可を得てのことであるはずだ。だとすれば、私に抵抗する術はない。
加えて、瑛汰の誕生日プレゼントがまだだった。

「あのさあ、俺、ブックオフでいっぱい本を買いたいんだ」

えっ、ブックオフ? 何でそんなところで、と思わないわけではなかったが、まあ、本人がそういうのである。誕生日のプレゼントは実行しなければならないから、私に選択肢はない。

「だから、最初にトレッサに行って、それからラゾーナに回り、ママと璃子が買い物してる間に、瑛汰と2人でブックオフに行こう」

と話がまとまったのである。

トレッサに着いた。

「ボス、これ。璃子ね、これが欲しかったの」

璃子が差し出したのは、アナ雪の1シーンがプリントされたがま口であった。本体はビニール製。値札には

380

とあった。ん、欲しかったのは380円のがま口? ああ、年頃のいい女はすこぶる金がかかるが、このいい女には金がかからない。ありがたいことである。

レジのお姉さんにチンしてもらい、がま口は璃子のものとなった。が、がま口は買ったが、中身は空っぽである。

「璃子、中身が空っぽだと寂しいね」

と小銭入れを取り出し、

「どれとどれが欲しい?」

と聞いた。100円玉が2枚と10円玉が3枚、それに1円玉4枚が、私の小銭入れから璃子のアナと雪の女王がま口に移った。

「璃子のお財布、お金が一杯入ってる!」

後に、私の小銭入れからさらに100円玉が数枚、加えて

「そういえば、これ、なかったね」

と私がいって、500円玉まで璃子の財布に住居を変えた。バイバイ!
だが、日曜日には、瑛汰のフットサルの練習に付き合ったとき、

「ボス、璃子が御馳走する」

と、アナと雪の女王財布からコーヒーを御馳走になってしまったことも、璃子の名誉のために付け加えておきたい。


で、瑛汰である。
璃子の買い物を終えて、しばらくトレッサを散策した。そこで目にとまったのが、アナと雪の女王のジグソーパズルであった。

「瑛汰、これやってみたい!」

何しろ、璃子が心から欲しかったアナ雪のがま口を買って大喜びしたばかりである。大喜びする璃子の幸せ感は私にも伝染していて、

「瑛汰、自分でできるか?」

と念を押した上で、300ピースのパズルと、出来上がったときに必要になるパネルを瑛汰に買い与えた。

いや、買い与えたのは、璃子から伝染した幸せ感だけが理由ではない。
瑛汰は、どちらかというと飽きっぽい性格である。諦めが早いともいえる。勉強でもレゴでも、少しばかり難しくなると

「ああ、これできない。もういい」

と他に関心を移すきらいがある。
が、これから成長しなければならない瑛汰は、自分のできることだけを繰り返してはいけない。それでは成長しないではないか。今できることよりほんの少しばかり難しいことに挑戦して乗り越える。でないと、成長は期待できない。
ジグソーパズルは、それほど難しかろうと、とにかく挑まねば完成しない。これって、いま瑛汰に欠けているものを補うツールではないか? と考えたのである。


ブックオフでの、あるいはラゾーナに入っている丸善での買い物は、この際すっ飛ばそう。
瑛汰を中心とした我々がパズルに挑んだのは、土曜日の夜であった。

瑛汰は、ジグソーパズルに関してはほぼ初心者である。であれば、まずノウハウ程度は教えねばならぬ。

「最初はな、周りから作っていくんだ。ほらこうして」

手伝いながら、一番外のピースの組み合わせが完成した。

「次はな、同じような色、模様のピースに分けるんだ。そして、それを組み合わせていく」

と口で言うのは簡単だが、分別までは誰でもできるとしても、それを組み合わせるのはなかなか難しい。逆に言えば、その難しさがジグソーの楽しさでもある。

瑛汰と2人、ポツポツと組み合わせを作っていった。途中から、夕食の後片付けを終えた次女が加わった。妻女殿はほぼ最初からチームに入ろうと努力されていたが、まあ、役に立たないことおびただしい。ために、ベンチウォーマーとして、全員で無視した。

これだけの人数で取り組んでも、パズルは遅々として進まない。

「あった!」

と言う声が時々上がるが、うまくはめ込めたピースは、まだ半分程度である。
しばらくすると、瑛汰がいった。

「これ、難しい。俺、もういい」

ああ、やっぱりそう来たか。予想通りの展開に、私は教育的指導で答えた。
まず、

「バカタレ!」

と怒鳴りつける。これは定石である。で、一喝したあとは、理を持って説かねばならない。

「瑛汰、これは、お前が自分でできるといったから買ったんだよな。そうだろ?」

「だって、難しいんだもん」

「お前は、難しいことは放り出すのか? 勉強でも、難しければ諦めるのか? サッカーで、難しいプレーは最初からやらないのか?」

「だって……」

「あのなあ、瑛汰。パズルでも勉強でもサッカーでも、自分がいまできることしかやらなかったら、ちっともうまくならないぞ? できることだけを何万回繰り返したって、頭のいい人にも本田にもなれない。できないことに挑戦しなきゃ、みんなが凄いという人にはなれなんだぞ」

「……」

「分かった。お前がやらないんだったら、このパズル、捨てろ。全部集めてゴミ箱に入れなさい。ここにあっても無駄だから。ほら、捨てろよ、捨てろったら!」

瑛汰は泣き出した。想定通りの展開である。

「捨てないのか?」

「うっ、うっ、捨てない」

「捨てないんだったら、最後までやるか?」

「うん、やる」

「よし、だったらもう泣くな。ボスと一緒に最後まで作ろう」

パズルは、それから1時間(1時間半?)で出来上がった。

「ほら、瑛汰、これが最後のピースだ。お前がはめろ」

これが、前史である。


日曜日、2人で秋葉原に出かけたことは昨日書いた。私の買い物を終えてヨドバシカメラに足を伸ばし、ジグソーパズルを買い与えたのは、この前史があったためだ。

「瑛汰、ボスは今日桐生に帰る。瑛汰が一人で作るのなら、ジグソーパズルを買ってやる。一人ではできないんなら買わない。どうする?」

前夜、瑛汰はボスに説教された。だけど、パズルを最後まで仕上げた快感は残ったはずである。だったら、その快感を使わない手はない。
多少辛くても、苦しくても、面倒でも、自力で何事かを成し遂げれば、大きな満足感を得るのが人間である。その楽しみを、瑛汰に染みつかせたい。
前日、ジグソーを完成させた満足感が生きている間に、次の課題を与える。今度は自分一人で、ボスにもママにも手伝ってもらわずに仕上げる満足感、快感を味合わせたい。だから、ジグソーを買い与えた。

「これがいい」

といったのは、500ピースだった。だが、300で手こずったのである。直ちに500は難しかろう。

「瑛汰、300を一人でやってみろ。それができたら、必ず500を買ってやるから」


昨夕、瑛汰からFacetime(アップルが提供するテレビ電話)が来た。

「ボス、ジグソーパズル、周りは全部できたよ」

と、自力で組み上げたパズルを画面に映した。

「ね、できてるでしょ?」


瑛汰には、啓樹には、璃子には、嵩悟には、限りなく成長して欲しい。私は、そのためだったらいくらでも踏み石になる。

ん、こんなことを書き記すなんて、俺も老いたか?