2014
09.04

2014年9月4日 半世紀

らかす日誌

さて、先月末に横浜に帰った主旨は、顔を合わせるのは半世紀ぶりの連中と顔を合わせることであった。秋葉原にヒューズを買いに行ったのも、瑛汰に教育的指導をしたのも、ついでといえばついでである。

その会合は8月30日午後1時半から、銀座で開かれた。1964年、そう、東京オリンピックの年に、朝日新聞に選抜されて「派米少年」なるありがたい団体名をいただき、アメリカに渡った10人が、50年ぶりに顔を合わせようという会合であった。

思い立ったのは、当時は北海道代表だったのにいまは神戸に住む大学教授である。彼がこの春、桐生の我が家を尋ねてくれた。飲んで食って語り合う内に、

「今年って、あれから50年だよね。節目の年だから、もう一度みんなで集まった方がいいのでは」

と、彼の主張で話がまとまり、神戸に戻った彼が、あちこちに呼びかけてくれて実現した。
最も活躍したのは、50年前団長を務めてくれたOさんである。茨城県牛久市の自宅でネットを活用、音信のなかったかつての仲間を捜し出し、連絡を取った。連絡が取れないところには、神戸の彼が足を運んで捜索したらしい。

過去は振り捨てて生きるタイプであるらしい私は、全く役立たずであったことをご報告しておく。

こうして8人が集まった。1人はすでに鬼籍に入っており、残りの一人はどうしても行方がたどれなかったのだという。
せっかく金をかけて10人の少年をアメリカまで連れて行ったのなら、主催者である朝日新聞が、10人のその後をきちんとフォローしていばいいのに、と恨み言のひとつもいいたくなるが、ま、その会社、派手やかなことは得意だが、地道で表に出ない裏方の仕事は楽しまないらしい。それも会社の性格の1つのタイプだ。
それ、何の因果か、私が勤める会社なのだが。

午後1時過ぎに、会合場所の居酒屋に着いた。入ろうとすると、何故か店の前に数人のオヤジどもがたまっている。

「おいおい、ここは舗道上であるし、お店にとっては入り口であるぞ。こんな所にたむろしていては通行の邪魔、お店の営業妨害ではないか。いい歳をして、そんなことが分からんか、バカ」

と心の内で罵りながら店に入ろうとしながら、不逞の輩どもの顔をチラッと見た。

「ん?」

なにやら、ひっかかる。これは、チラッ、で通り過ぎては後悔しそうだ。薄汚いオヤジどもを見ながら、何故か山手線で絶世の美女に出くわしたときのような反応をしてしまった私は、いったい何?

「ひょっとしたら……?」

「あ、ひょっとしたら…、大道さん?」

「ああ、やっぱりそう? あなたは……」

「斎藤だよ、分からない?」

なんと、薄汚いオヤジの集団と見えたものは、50年前の仲間たちであった。集合場所が分からない人がいてはいけないと、店の前で待っているのらしい。ま、それが分かっても、薄汚さがなくなるわけではない。
しかし、50年。かつての紅顔の美少年たちが、いまや薄汚いオヤジに変身している。ということは、あれか。私も、他人から見れば薄汚いオヤジということか……。

懐石料理の席だった。瞬時に50年の時を乗り越えようと、一人5分見当で己の50年を語る。

「学生結婚をしたのだが、その時御願いした仲人の薦めで、我々をアメリカに連れて行ってくれた朝日新聞に入った。就職試験の2ヶ月前までは全く考えていなかったんだが、急に『この会社がいい!』と熱気に囚われて受験したものの、見事にはねられた。2ヶ月の受験勉強では仕方がないかと諦め、もう1年大学に残って再受験しようと思っていたら、結婚から半年で妻が『できちゃった』というので、やむなく福岡の西日本鉄道に就職。働きながら2回目の試験を受けたら通っちゃって、これは宝くじに当たったようなものだと喜んでこの会社に入った。でも、5年前に定年になり、いまは1年契約の社員として同じ会社で働いております」

これが、私の自己紹介の趣旨であった。

中には、

「大学に行く気はなかったので、高卒で就職した。皆さんとアメリカに行ったときの楽しさが忘れられず、『ただで海外に行ける会社は?』と、JTBを選んだ」

というヤツもいれば、

「アメリカにいったのがきっかけで英語を極めようと思い、外語大に進んで留学をして、そのまま大学に残り、いまは福岡の私大で副学長」

という俊才もいた。

十人十色の50年。すっかりふくよかになった体、薄くなった髪、浮き出たシミ、乾燥した肌と、それぞに年輪の重ね方は違ったが、間違いいなく皆、「派米少年」に選ばれた誇りを胸に納めつつ、50年を生き抜いてきたのである。

当時、引率企業が撮ってくれた写真をデジタル化して持ってきてくれたのは、団長だったOさんである。私は1眼レフカメラを持参して、いまの「元派米少年」を撮った。
双方を合わせて、CDを作ったのは私である。一昨日、7人に発送した。今ごろはみんなの元に届いているはずだ。

で、私はせっかくいただいた、50年前の私をとらえた写真を、家族限定のFacebookで活用している。
毎日1枚ずつアップ、

「『ボスは何処だ?』ゲーム」

を始めたのである。
昨日アップした分には、こんなコメントが来た。

「えいたとりこわかったよ」

「けいじゅとしゅうごは、判別不能でした」

まあ、50年前の、15歳のボスである。判別が難しくても不思議ではない。

しかし、50年前の己と久しぶりに対面しながら思う。

「結構いい男ジャン?! なのに、どうしてあの頃、女にもてなかったのかなあ。なにせ、中学から高校にかけて同じ女に3度も振られたもん。世の中は不思議だ」

元派米少年の集いは、アメリカに行ったのが東京オリンピックの年であることを生かし、とりあえず、次の東京オリンピックの2020年に向け、2年に1回開くことになった。

そう、オヤジだって、楽しみがなければ生きる気力が萎えるのである。東京オリンピックまでといわず、皆が元気である間は、できるだけ顔を合わせたいものである。