09.11
2014年9月11日 社長の仕事
いま、朝日新聞の社長であるとは、どのようなことなのだろう? 木村伊量君、できることなら教えていただきたい。
今日、ちょうどのこの時間、朝日新聞は東京・築地の本社で記者会見を開いている。慰安婦報道に続き、福島原発事故の吉田所長調書の報道にも間違いがあったということで、それを訂正するらしい。さて、謝罪もするのかどうか(追加=謝罪しちゃった)。
木村君、最高責任者として、自分で記者会見に臨むのか? (うん、自分でやったそうだ)
社長になって2年目。木村君はそれだけの時日を積み重ねて、
「社内体制は心配がなくなった」
と判断したのだろう。
で、内側に懸念がなくなったら、外に向かって打って出る。それは、経営者として当然のことである。
ただ、気の毒なことに、外に打って出る第1弾が、先輩諸氏が頬被りしてやり過ごしてきた、かつての誤報への対応だった。
これに決着をつけなくては、朝日新聞の未来は開けない。木村君は、恐らくそう考えたはずだ。その誤報を書いた記者、それを紙面に掲載した上司。いずれも木村君の先輩のはずである。あるいは、誤報と分かりながら知らぬ顔を決め込んだ歴代の経営者、編集幹部も、木村君の先輩であろう。
だから、誤報を誤報と認めることは先輩諸氏の顔に泥を塗ることになる。それでも、正すべきは正す。そう決断した木村君の勇気を、私は大いに評価する。
が、だ。そこから先がまずかった。
従軍慰安婦報道についての検証記事は、新聞、週刊誌、月刊誌、あらゆるメディアから袋だたきである。あれだけ中途半端な、しかも己の責任をほとんど認めず、謝罪もしない姿勢に終始した以上、やむを得まい。
そして、池上彰問題が来た。これには謝罪してみたが、「らかす」をはじめとして、世間の評判はすこぶる悪い。
それに加えて、今度は吉田所長調書についての訂正(ひょっとしたら謝罪も)である。
よかれと思って始めたことが、やればやるほどドツボにはまる。木村君、今ごろ
「ボクちゃん、ちっとも悪くない。朝日新聞のために、世の中のためになろうとしたのに、なぜボクちゃんが叩かれるの? 神様、教えて。ボクちゃんって、不幸な星の下に生まれたんですか?」
などと切歯扼腕しているのではないか。
だけど木村君、今週の週刊誌(文春だったか、新潮だったか)によると、池上原稿を、現場の長は
「これで行きましょう」
と了解したのに、掲載差し止めは上から来たとあった。直々に申し渡したのはヒラメ族として知られる杉浦という編集局幹部の役員で、ヒラメ=ごますりであるだけに、
「これは木村社長の意を汲んだ行動だ」
というのが、週刊誌の分析だった。
くわえて、現場の長は
「この池上原稿を掲載しなければ、朝日新聞は終わりです!」
と抵抗したそうだ。それでもヒラメ杉浦は耳を貸さなかったとあった。
まあ、週刊誌の記事である。100%正しいとは限らない。
それでも、だ。朝日を率いる社長として、木村君、起きたことへの全責任はあなたにあるのであるぞ。朝日新聞の未来のために始めたはずが、朝日新聞の未来を閉じてしまいそうになっているのは、あなたのせいですぞ。
ここまで来れば、一連の騒ぎは
「朝日新聞社の体質が引き起こしたもの」
といわれかねない。いや、いわれても仕方がない。
では、企業体質とは何か。それは、自分が、自分たちがこの企業を動かしていると思い込んでいる経営者、幹部社員と幹部候補社員だけに了解されている合意である。そして、それを作り出すのは、人事である。
どのような仕事をして、どのような成果を上げた人間を評価するか。それが人事の基本で、企業の目的に沿った成果を上げた社員をきちんと遇していれば、企業はそんなにおかしくはならない。
ところが会社が安定期にはいると、いま権力を持っている役員、幹部社員の好みで行われるのが人事である。恐らく、朝日新聞もその段階にある。だから、ヒラメが偉くなり、ゴマをする人間が優遇される。
企業体質とは、いま企業内で権力を持つ輩が作り上げてしまうものなのである。
私の理解が正しいとすれば、木村君、あなたのやるべきことははっきりしている。
まず、あなたの側近を切る。次に、あなた、あるいはあなたの側近に気を使った、はっきり言えばごまをすろうとしたがために一連の対応を間違った連中を切る。
そうすれば、いまの幹部社員はほとんどいなくなってしまうかも知れない。が、これはやらざるを得ない。そして、その仕事が終わったら、己の辞表を書く。
ん? その後誰が経営するのかって?
ご心配な。一般論でいえば、朝日新聞は人材の宝庫であるそうだ。それはあなたたちが勝手に言っていることである。それが正しければ、誰でも、あなたより多少ましに朝日のマネジメントをする程度の能力はあるはずだ。
それに、週刊誌報道を信頼すれば、
「この池上原稿を掲載しなければ、朝日新聞は終わりです!」
と上司に直言した、立派な社員もいるではないか。次の経営は、彼らに任せればいいのである。
組織が飛躍するには、大きな試練を乗り越えねばならない。朝日新聞はいま、多分そのような時期に来ている。木村君、朝日新聞の捨て石になる勇気が、あなたにあるかな?
書きながら思った。
木村君の今の立場は、かつてのソ連のゴルバチョフに似てないか?
ゴルバチョフはソ連変革のきっかけを作った。が、事態が動き始めると、歴史の表舞台から引きずり下ろされ、どうでもいい人になっちゃった。
そう、木村君、あなたは朝日新聞のゴルバチョフになれるかな?
おっと。ここまで書いて朝日新聞DIGITALを見たら、ヒラメ杉浦が職を解かれ、木村君も
「改革と再生に向けた道筋をつけた上で、進退を決めます。その間の社長報酬は全額カットします」
とあった。
うん、それしかないよな。
己の進退を決める際には、これまでのごますり集団を引き連れて行っていただきたいと御願いするのは、
「他にまともな新聞はないしなあ」
と嘆息する私である。