01.28
2015年1月28日 白鳳
が審判部を批判した。
「子供が見ても分かる。なぜ取り直しになったのか。2度とないようにやってもらいたい」
13日目の対稀勢の里戦の取り直しの一番についてである。
子どものころはテレビで(ただし、我が家にはテレビがなかったので、ご近所のテレビで)相撲にかぶりついていた。当時は、子どもの遊びは数多くなく、相撲は定番だった。その中で、やせっぽちではあったが背は高かった私は、強かった。
確か小学4年生の時、近くの熊野神社で開かれた奉納相撲大会に町内の代表として出場、見事我が町内が優勝を飾った。選手だった私は町内の銭湯にただで入れただけでなく、それに続く優勝祝賀会で、優勝カップになみなみと注がれた酒を、大人たちに飲まされた。記憶によると、すべての取り組みで負けることなく優勝に貢献した私に対するもてなしは、当然であったといえる。
そういえば、個人戦にも出た。学校で友人の戸倉君とあたり、必死で勝ちを探っているときに、土俵際にいた大人から声がかかった。
「大道、右ば取れ。右上手ば取らんかい! そげんせんと力の出んやろが!!」
土俵で勝負中の私に、何故かその声が綺麗に届いた。聞き届けた以上、大人に返事をしないという乱暴さは、当時の私になかった。
「はい、分かっとるとばってん、取れんとです」
その試合、勝ったのか負けたのか、あるいは引き分けだったのか、記憶は定かではない。ただ、個人戦で優勝したという記憶はないので、相手が戸倉君ではなかったかも知れないが、どこかで負けたのに違いない。そして、当時の私は
「俺が優勝するのが当たり前」
という自意識があったことも確かである。だから、個人戦で優勝できなかったのは
「ちょっと、まずったなあ」
とは反省したものの、多分、団体戦での優勝にかき消されたものと思われる。
すっかり脱線した。話を元に戻す。
話を元に戻す前の私に比べれば、いまの私は相撲に覚めている。リアルタイムでNHKの中継にかじりつくことはまったくない。午後7時のNHKニュースを見ながら
「あれ、また相撲が始まったのか。なんだ、遠藤はまた負けたんだ」
「逸ノ城、図体はでかいくせに、まったくダメだな」
と独り言を言う程度である。だから、白鳳が優勝回数で大鵬を抜こうと、日馬富士が横綱を務める一方で大学院生になろうと、
「はいはい、よかったね」
とつぶやく程度で、さしたる関心もない。
が、だ。白鳳の審判批判は、私のどこかがピピッと反応した。
いや、正確に言えば、白鳳の審判批判に対する世の風当たりが、
「おいおい、それは違うだろう」
と私に言わしめたのである。
日刊スポーツのページから拾うと、白鳳はこういった。
「疑惑の相撲が1つあるんですよね。これはいかがなものか」
これは、というのは13日目の対稀勢の里戦である。
「(私が)勝ってる相撲ですよ。帰ってビデオを見た。子供が見ても分かるような相撲。なぜ取り直しになったのか。もう少し緊張感を持ってやってもらいたい」
「ビデオ判定の方も、元お相撲さんでしょ。取り直しの重みも一番分かっているはずじゃないの。2度とないようにやってもらいたい。本当に肌の色は関係ないんだよね。土俵に上がって、まげ結ってることは日本の魂なんですよ。みんな同じ人間です」
私にいわせれば、至極まっとうな発言である。褌1本、土俵で己のすべてを表現するのが相撲取りである。命を削って勝負に挑んでいるのに、土俵の回りで薄らぼんやりと土俵を見上げている審判員たちに、勝ち負けで茶々を入れれて気持ちがいいはずがない。それも、自分では買ったと思った相撲が、薄らトンカチが物言いをつけたために取り直し。
「お前ら、目は見えてんのかい!」
といいたくなるののは当たり前ではないか。
ところが。
白鳳は正しいと思った私は、ひょっとしたら少数派かも知れない。白鳳の発言は「軽率だった」という評価が、少なくともマスメディアでは定番となった。
「大鵬は微妙な裁きで連勝が止まった後も『ああいう相撲を取ったのが悪かったよ』と不満を口にしなかったという」
と書いて、
「最強横綱だからこそ、さらに心を磨く努力が求められる」
とまとめたのは、日刊スポーツである。
おいおい、審判の誤審を指摘するのが、心を磨いていないことになるの? 相撲取りの美学がやせ我慢の代名詞であってほしいのか?
北の湖理事長は
「審判は5人で見ている。ビデオ室で外からも見ている。そういうことを踏まえて、考えて発言しないといけない。横綱はそういう相撲を取ったら『もう一丁、来い』という気持ちでやらないといけない」
と述べたという。
5人が見ていても、薄らトンカチの5人では見ていないに等しい。まあ、百歩譲って、横綱の心の持ち方としてはそれでもいいのかも知れないが、だが、誤審はどうするの? 力士が必死に戦っているのだから、
審判にも
「絶対に誤審はしない」
という緊張感は必要ではないのか?
挙げ句、横綱審議会の内山斉委員長は
「良くない。審判は、スポーツの世界で厳正なもの。批判することは、自分の未熟さをさらけ出している。反省すべきは横綱本人です」
と断罪したのだという。こいつ、自分のいってることが理解できてるのか? 野球だってサッカーだって、審判にクレームをつけるのは、いまや当たり前のことではないか。誤審をなくそうと、ビデオ判定を取り入れるのも、スポーツでは当たり前になっている。相撲でもビデオ判定はあるらしいが、それはすべて
誤審をなくす
ためではないか。ビデオ判定まで取り入れている大相撲で、それでも「子どもが見てもわかる」誤審があったのだ。どうする? それを指摘するのは未熟さの表れか? バカも休み休みいうがいい。
で、この内山というのはどういうヤツだとググったら、はあ、読売新聞の元社長だと。そうか、読売新聞とは、こんなトンチンカンが率いる新聞か。その前の社長のナベツネは、怪物だとは思うが、できれば避けて通りたい人物であった。その怪物にごまをすって上り詰めたヤツなら、まあ、この程度でも仕方ないか。
可愛そうなのは、こんなトンチンカンに批判された白鳳。
見返せ。見返すには勝つしかない。50回の優勝を目指して頑張れ!
人質事件、1人は殺されちゃったというし、さて、残り1人はどうなるか。
冷たいようだが、危険を承知で現地に飛びこんだ日本人1人を解放するために、ヨルダンの国民を多数殺したテロリストを釈放しろと我々が迫るのも、何だか筋が通らないよなあ、と思ってしまう私である。