02.12
2015年2月12日 戦後以来
いやあ、異な言葉を聞いたものである。
「戦後以来」
おい、その日本語、どっかおかしくないか?
本日、我らが安倍首相が国会でお使いになった言葉である。テレビ、新聞の夕刊、ほぼこぞってこの言葉を見出しに取り上げていた。
そりゃあ、取り上げたくなるわな。変なんだもん。と思ってNHKのニュースを見、朝日、毎日、読売、日経の夕刊に目を通して呆然とした。
取り上げているだけなのである。
「日本の首相ともあろうものが、こんなおかしな日本語を使うなんて!」
と指摘したメディアは、私が知るかぎりひとつもなかったのだ。こんな不思議な日本語を聞きながら、違和感を持ったやつは一人もいないの? 言葉を、日本語を飯の種にするメディアに巣くいながら、
「その日本語、間違ってます!」
と指摘する言葉への感性も、知識も、ひょっとしたら勇気も、何にも持ち合わせていないのが、いまのメディア人なのか?
と書きながら、少し不安になってきた。何しろ、言葉の専門家に喧嘩を売りかけているのだ。
ひょっとしたら、俺の方が間違ってる?
こんな時は辞書を頼りにするしかない。手元の広辞苑を引き寄せて、
「以来」
を探した。
以来:その時からこのかた。
やっぱり私は正しい。
「以来」は、過去の、ある特定の時からあとを示す言葉である。つまり、この言葉は、過去の特定の時がなければ使えない言葉なのだ。
で、だ。
「戦後」
って、過去の特定の時か? そんなことはないだろう。戦いのあとなんてずっと続くのだ。ずっと続く時間が特定の時であるはずがない。
ここでいう「戦」とは、恐らく第2次世界大戦のことだろう。太平洋戦争といってもいい。その戦いが終わったのは、1945年8月15日。日本が降伏文書に署名したのは9月2日だから戦いが終わったのは9月2日であると官僚、あるいは法律家の悪知恵みたいな知識をふりまわす輩もいるが、日本が戦争を継続する意思がないことを表明したのは8月15日の玉音放送である。この日を敗戦の日としておかしいことは何もない。
1945年8月15日に日本は戦争に負けた。だから、その日以降今日までずっと
「戦後」
である。これは論理の指し示すところである。
今年、戦後70年を迎える。この70年間、日本はずっと戦後という時間を生きている。こんな簡単なこと、小学生だって理解できる。
つまり、今日も「戦後」である。そんな曖昧な時を、「以来」に続けてはいけない。「以」とは、広辞苑によれば
以:時・所などの起点
なのである。点は、70年も続いた時間の中には無限大にある。それが言葉の約束である。日本で、日本首相まで上り詰めながら、そんな簡単な日本語を理解していないのか? それって、国辱ものじゃない?
ねえ、安倍ちゃん、
「戦後以来の大改革」
って表現のおかしさ、理解できたかな?
あんたがこんなつまらない日本語の誤用をするものだから、私としては考えざるを得ない。
戦後以来の大改革
で、いいたかったののは何か?
・敗戦(終戦という人もいる)以来の大改革?
・天皇制を廃して曲がりなりにも民主主義を日本に根付かせようとしたGHQ改革以来の大改革?
・所得倍増を実現した池田内閣以来の大改革?
・沖縄返還を実現した佐藤内閣以来の大改革?
・列島改造論を振りかざして日本を高度経済成長に乗せた田中内閣以来の大改革?
・規制緩和で一世を風靡した中曽根内閣以来の大改革?
・単純2分法を多用して日本のアメリカ化を推し進めた小泉内閣以来の大改革?
・政権交代を実質的に初めて実現しただけの民主党内閣以来の大改革?
・それとも、いまの安倍内閣になって以来の大改革?
どれが正解か知らないが、こんなつまらないことで国民を惑わせないでいただきたいな、安倍ちゃん。
で、改めて書く。
文章を書いたり読んだりすることで大枚の金を毎月もらっているメディアの皆さん。もう少し日本語に敏感になっていただけませんか?
こんな言葉の誤用を見過ごすだけでも、言葉の専門家としては罪万死に値する。あろう事か、見出しにまでこの誤用日本語を掲げた新聞は、さて、どう形容したらよかろう?
明日は桐生の同業者の送別会。なんでも若いのが仕事をやめて大学院に行くのだとか。
そう、世の中はいまの仕事だけで成り立ているわけではない。間違った道だったと思えば、人生をもういちど生きなおすのもいいことである。
あわせて、妻女殿の定期健診のための前橋行き。そして土曜日は妻女殿の歯の治療のために横浜へ。
「ボス、欲しい本ができたんだ!」
という瑛汰が待ち受けている。