08.25
2015年11月25日 88歳
いや、私が88歳、米寿を迎えたので、志ある方は祝いを送っていただきたい、という話ではない。
私は昨日、66歳であった。今日も、66歳のはずだ。明日も66歳だと信じて生きている。多分、来年の誕生日までは66歳だろう。それが突然88歳になるのは速度違反である。私は、取り締まりにあたっている善良な、でもはた迷惑なお巡りさんに違反切符を切られたくはない。反則金を支払いたくはない。
すでにたっぷり支払ったと思っている。
「もう過去はいらない」(ダニエル・フリードマン著、創元推理文庫)
は、88歳になった元警察官と、78歳になった大泥棒の話である。すこぶる付きの面白い小説だ。
主人公はバルーク・シャッツ。ユダヤ系アメリカ人である。現役時代は357マグナムを愛用し、数十人の悪人の頭を吹き飛ばした。だが、いまでは老残、と言ってもいい体で、歩行器がないと動きがとれない。身障者同然である。
ある日突然、そのバルークの前に、同じユダヤ系の大泥棒、イライジャが現れた。
「やあ、イライジャ。久しぶりだな」
「おれがわかるかどうか不安だったよ」
「おまえがだれかはわかっている」
「会って驚いたか?」
多少は驚いた。だが、相手を満足させてやるつもりはない。
「もう、なにも驚かないさ」
「最後に話したとき、あんたは約束したな。覚えているか?」
わたしはフォークを卵に突き刺して口に運んだ。
「次にお前を見たら殺すと言った」
「そのとおり。きょうきたのは礼儀としてなんだ。脅しを実行するつもりなら、早くしたほうがいいぞ」
「なぜだ?」
「なぜなら、あんたが殺そうが殺すまいが、おれは48時間以内に死ぬからだ」
どうやら、知りあいという知りあいはみんな、わたしをわずらわせずには死ねないらしい。
このイライジャ、78歳。
若かりし頃2人は、警察官と銀行強盗として対峙したことがあった。それが、なぜ今ごろ尋ねてくる?
そのイライジャは言う。
「助けてほしい」
こうして、88歳の元警察官が、78歳の元銀行強盗の世界に再び巻き込まれ……。
いやあ、2人合わせて166歳の活劇である。ワクワクしながらページをめくったのは、「88歳」への、あるいは「77歳」への親近感のためか?
と、自分で自分を笑いたくなるほど、この小説、面白い。
88歳になって体が動かなくなるとは、どういうことなのか。
88歳になって、記憶力が激しく減退するとはどういうことなのか。
雀百まで踊り忘れずとはどういうことなのか。
そんな細部の描写も見事だし、第一、
バルークがテレビを見ている部屋に、妻のローズが入ってくると
妻はテレビを見た。
「いいニュースはあった?」
「あったためしがあるか?」
クイーンと心に突き刺さる格好良さである。88歳のハードボイルドの快進撃だ。
犯罪者に車をぶつけられ、怪我をしたときのシーンはこうだ。
「撃たれましたか?」
女が聞いた。
「撃たれてはいないと思う」
二カ所の擦り傷を負い、鼻血も出ているようだが、頭がぼうっとしていてよくわからなかった。
煙草を口から出した。血まみれになっていた。わたしは笑った。
「おい、こいつは使用後のタンポンみたいだ」
やるねえ、88歳のじいちゃん。足腰立たなくなっても、口だけは動く。頭も回る。
俺も、こんなジジイになりたい!
と思って読み進みながら、
「ああ、そうか」
と思い当たった。
この爺さん、ハリー・キャラハンのなれの果てだ。そう、あのダーティ・ハリーである。シリーズが5作で止まって、あのあとどうしているかと思っていたら、そう、あんたはもう88歳か。でも、相変わらずマグナムを持ち歩いているんだねえ。
ん? でもあんた。確かアイルランド系じゃなかったっけ? いつの間にユダヤ系に宗旨替えした? それに、あんたの愛用の銃は44マグナムじゃなかったか? 歳をとって、44には耐えられなくなって357に落としたか?
前作、
「もう年はとれない」
に勝るとも劣らない快作である。読書好きの方は是非手にとっていただきたい。
ちなみに、amazonの中古本は、一番安いのが860円。これだと、送料を加えれば新品とほとんど変わらない。中古本を買う意味はないことを書き添えておく。
もっとも、しばらく待てばそれなりの価格に落ち着くと思うが。