09.21
2015年9月21日 孝行
19日から23日までの5連休。世間ではシルバーウイーク、と言っているそうだが、そういわれると、ジジババの1週間、という気がして、何となく盛り上がらない。他の呼び方はなかったのか?
まあ、盛り上がらないのは私だけかも知れなくて、世間は相変わらず連休を遊びに使おうという健康な方々が多いようである。ために、「らかす」を訪れていたく方々も減っているような……。
いや、それは私が書く話がつまらないからかも知れないのだが。
浮かれる世間様と違って、私は何となくせわしない日を過ごしている。
平日より休日の方が忙しい、とは以前に書いた記憶がある。それはいまでも同じで、19日から始まった連休、別に頼まれたわけでもないのに映画のコピーを作ってみたり、Blue-Rayディスクの記録面保護膜はDVDのそれの5分の1と薄く、ために傷に弱いので、できれば記録面が宙に浮くハードケースに収めるか、Blue-Ray専用に作ってある、記録面に接する不織布が柔らかいファイルケースを使うかした方がいいとの話を仕込んで、
「何でBlue-Rayのディスクをそんな仕様にしちゃったんだ? 値段は張るかに高いのに」
と毒づきながら、仕方なくBlue-Ray専用ファイルケースを買ってシコシコと移し替えたり。これ、結構高いんだよね。
はたまた、本日は、娘の旦那が営む歯科医院をバリアフリーにすべく、8月にスロープを作る際に桐生の我が家から持ち出し、先日持ち帰ってきた工具やねじ、クギ、サンドペーパーなどを片付けたり。
かなりたまっていたセルDVDを
「ケースに入ったままだと嵩張るから、録画した映画と同じファイルケースに入れちゃお」
と整理を始めたり。
というわけで、なかなかギターにさわる時間もない、という日々である。
それに加えて、
「ありゃまあ」
ということが起きた。
九州・大牟田にいるお袋が死にかけた。
突然の電話が来たのは、19日土曜日の午後9時過ぎである。私は昼間の働きを終え、この日は休肝日だからビールも飲まず、「らかす日誌」をアップし終えて映画を見始めたときだった。
「お袋がトイレで倒れたっちゃもん」
電話の主は弟である。この春、務めを定年退職した。
「えっ、どうしたんだ?」
「トイレに入って、いくら待っても出て来んで、女房がトイレに行きたいとば我慢しとったとよ。それでも出て来んもんやけん、ドアばあけようとしたらあかん。無理矢理あけたら倒れとっとやもん。そんで救急車ば呼んで、いま乗せたとこ。俺もこれから病院に行くけん」
「意識はあっとか?」
「うん、意識はある。ばってん、だんだん薄らいどるごたるけん」
「分かった。何か分かったら電話をくれ」
お袋は大正11年というから1922年の4月21日の生まれである。この春誕生日を迎えて93歳。この半年ほど、本人は
「もう96になったけんね」
と、自称96歳であるが、戸籍によればまだ93歳である。
が、96であれ93であれ、平均寿命を遥かにオーバーしたかなりの高齢であることに変わりはない。つい1ヶ月ほど前、弟夫婦と一緒にバリ島から帰国し、来月は再びバリに行くはずだった。一時帰国は、観光ビザしかとれず、滞在が3ヶ月までに限られるためで、弟は
「何とかずーっとおられるようにするつもりたい」
と話していた。それが、倒れた……。
すぐに駆けつけるといっても、ここは群馬県桐生。動ける時間ではない。翌20日に九州に向かうとしても、この連休だ。飛行機のチケットがすぐに手に入るか?
次の電話は11時過ぎだった。
「脳梗塞やて。多分、心臓の近くでできた血栓の脳まで飛んでいってから、脳の太か血管に詰まったち医者は言いよる」
「で、いま治療は?」
「血栓ば溶かす薬ば入れとる。医者は、これで血栓の溶けてくるっとよかばってん、溶けんときはカテーテルば入れて血栓ば取らんとでけんちいいよる。ばってん、高齢やけん、血管の弱くなっとるけんがカテーテルば入るっとは危なかというとたい。カテーテルば脳まで送り込む途中で血管の破れて内出血ば起こしたり、感染症にかかったりとか、いろいろ危なかこつの多かけん、出来ることなら、カテーテルは使いたくなか、ちいいよる。家族がどうしてもやってくれちゅうとならやるばってん、ちいうとばってん、どげんしたらよかと思う?」
「えっ? どげんしたら、ち言われたって、俺も医者じゃなかけん、よう分からん。お前はどげんしたらよかと思とっとか?」
「俺が分からんけん、長男のあんたに聞きよっとやろが。医者は、カテーテルを入れるとなら、血栓ば溶かす薬を入れながら同時にやった方がよか、といいよるたい」
「そういわれてもなあ……。医者は、カテーテルは入れたくないと言うんだな?」
ま、このあたり、標準語と大牟田弁がチャンポンである。私も相当に動揺していたものと思われる。
「うん、結局、俺もお前も、どういう治療がいいかはわからん。であれば、医者に頼るしかないんじゃないか? お前はどうしたい?」
「うん……」
「いずれにしても、93歳の高齢だ。万が一のことあるかも知れんが、93歳なら仕方ないともいえる。俺は医者のいうごとしたほうがよかと思うバッテン。とにかく、血栓を溶かす薬が効いてくれるのを祈るしかないぞ」
「……、うん」
私は19歳で大学に進み、以来、お袋と離れて暮らしてきた。考えてみれば一緒にいたのはわずか19年。離れての暮らしは50年近い。
が、弟は、仕事でお袋の元を離れていた時期はあったが、日本に戻ってからはお袋の元を根拠地とした。家族は常にお袋と一緒に暮らしてきた。いまは顔を合わせると喧嘩をする毎日と言うが、お袋への思いは私より遥かに篤いのではないか。
「わかった。いま治療中やけん、治療が一段落したら電話するわ」
次に電話がかかってきたのは午前零時を過ぎていた。
「薬の効いたごたる。意識もはっきりしてきて、とりあえずは心配なかち医者が言うてくれたけん、とりあえず病院ばでてきたとこたい」
「ということは血栓が溶けて血液が流れ始めたと言うことだな。よかった。お前にばかり面倒をかけて済まないな。だけど、とりあえずよかった」
「明日も病院に来るけん、そしたら電話する」
翌20日の電話では、お袋は回復に向かっており、意識の混濁も見られない。脳梗塞の後遺症が心配だったが、手の指先はまだあまり動かないが、少なくとも肘までは自由に動くという。
「お前がすぐに救急車を呼んで治療を受けたからだな。ありがとう。よかった」
「ただ、医者がいうとには、年も年やし、脳梗塞をきっかけに急速に惚けの進んで家族の顔も分からんようになるかもしれんち、身内にはいっとけ、ちゅうことたい」
「あるかもしれんな。いずれにしても、近々行くわ。いつ頃行ったらいいか、見通しがついたら連絡をくれ」
てな顛末の連休を過ごしながら、改めて思った。
私は親不孝な長男である。これは否定できない事実だ。
考えてみれば、田舎で生まれた人間は、世間に羽ばたきたいと思えば都会に出るしかない。そのようにして親元を離れ、孝行とは無縁になって自分の家族をつくり、さらに親孝行から遠く離れる。
では、都会に生まれればよかったのか?
生まれた家がそこそこの資産を持ち、2世帯、3世帯同居ができる條件があれば、それなりの孝行はできよう。だが親にそれほどの資産がないとすれば、子どもは自分で家を持つしかなく、いまの給与体系では親元を遠く離れたところにしか家を持てない。
いずれにしても、親孝行がしづらい時代である。
このような時代、子どもは
それなりに充足した人生を送るのが最大の親孝行
と考えて自己弁護するしかないのかも知れないと思い当たった次第である。
そうそう、啓樹と瑛汰に
「スター・ウォーズの英語」全3巻
「小学生までに読んでおきたい文学」1、2巻
を、amazonを通じて送った。
彼らがすくすくと、健全で健康な良識ある若者に育ってくれるのが、何よりの私への孝行になる、と思ってのことである。
心せよ、啓樹、瑛汰、璃子、嵩悟!