11.13
2015年11月13日 女子トイレ
ミャンマーで国民民主連盟(NLD)が過半数の議席を取り、政権の座につくことが確実になったようだ。長年続いてきた軍事政権が、平和のうちに打ち倒されたことを、まずは喜びたい。
だが、先日の日誌で指摘した心配はつきまとう。
そこで、改めて考えてみたい。 民主党政権の何が問題だったのか?
あの森喜朗を経て、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と続いた自民党政権は、末期症状を呈していた。
サメの脳みそ、ノミの心臓、オットセイの下半身と揶揄された森喜朗が自民党のイメージを真っ黒にしたあと、 小泉純一郎は
「森のあとなら、誰だって支持を集められる」
といわれながらも高い支持率を続け、地に落ちた自民党のイメージを救ったことは疑いない。
だが、続く3人の首相が、改めてイメージを落とす。何しろ、腹痛で降板したり、よくわからない理由で突然辞任したり、 かと思えば次は数々の失言を重ねたりで、自民党のイメージは救いようがなくなった。
もとはといえば、長年政権の座にあったため、自力では処理できなくなった負の遺産や奢りが積み重なり、身動きがとれなくなっていたともいえる。いずれにしろ、国民の多くは、
「とにかく、自民党に政権の座から降りて欲しい」
と考えていた。そして、自民党に代わりうる政党は、民主党しかなかった。
民主党に清新なイメージがあったことは確かである。数々の自民党の失政を攻める舌鋒は鋭かったし、とにかく、民主党は自民党ではなかった。有権者の多くは、
「自民党ではない」
から民主党を選択したのだろうと思う。
確かに、民主党は自民党と違っていた。だが、変わること、自民党と違うことにマイナス面があることに、政権交代を実現した国民は思い至らなかった。
何しろ、民主党は一度も政権運営をしたことがなかった。だから、霞ヶ関の官僚との距離のとり方すら知らなかった。行政に関する知識、実績の蓄積なら、官僚に遥かに分がある。頭の回転だって官僚の方がずっと早い。どうしても振り付け通りには動かない大臣は干すことだって官僚の選択肢にはある。時ならずして、民主党の面々は官僚の思うがままに動かされ始める。あまつさえ、あからさまに省益を主張し始める大臣まで出た。
何のための政権交代だった? 国民は疑問を持ち始めたと思う。
国民との距離の取り方すら、民主党には分かっていなかった。沖縄の問題である。
米軍普天間基地を辺野古に移す。自民党政権の間は、反対の人の渦が起きる中、閣僚級の政治家が何度も沖縄に足を運び、地元との話し合いを重ねた。カタツムリの歩みにも似て遅々とした動きではあったが、確かに普天間移設に向かって事態は動いていたと思う。
ところが民主党は突然、
「少なくとも県外」
と言ってのけた。
えっ、そんなことができるのか?! それは素晴らしい。自民党はそんな選択肢さえ示さなかったぞ。やっぱり自民党はダメなんだよ。民主党にしてよかった。
私ですら喜んだ。その発言には何の裏付けもなく、ただ言ってみただけ、ということを知るまでのぬか喜びであったことを知るのに、たいした時間はかからなかったが。
それに、だ。
国としての基本方針の抜本的な変更を打ち出しながら、民主党政権は地元沖縄と何度話し合いを持ったのか?
無責任な発言で各方面に多大な迷惑をかけた鳩山首相が沖縄を初めて訪れたのは、普天間基地を国外、県外に移設することを断念したあとだったのである。
これ、政治オンチ、と罵倒するしかない。首相としての振るまいと言うより、人としての振る舞いのABCを身につけてないという他はない。
民主党初代首相にしてこの体たらくである。しかも、だ。私が見るかぎり(違う意見の方も多かろうが)、民主党政権で最もまともな首相が鳩山であった。菅に代わり、ドジョウ野田が引き継いだ政権は、目も当てられない失態を続ける。
なぜ、このような悲惨なことが起きてしまたのか?
ひとえにかかって、民主党の経験不足であろう。彼らは野党として、時の政府を批判することにはたけていたかも知れない。だが、
1.日本が進むべき道を見極め、
2,それに向けた施策をたて
3,実行に移し
4,実現のためにあらゆる努力を重ね
5,うまく行かねば責任をとる
という習慣が皆無であった。
ただ言葉の世界で、自民党の失政をあげつらうことで満足していた。一言で言えば、自分たちでは政治家のつもりであったのかも知れないが、実態は、活字を通じてしか現実を知らない学生のままであった。
さて、私はミャンマーの国民民主連盟(NLD)のことはまったく知らない。だが、彼らが長年政権の座についたことがないことに危惧を感じるのである。
日本では時をおかずに民主党への支持が急落し、自民党が政権に返り咲いた。民主党に失望してしまった国民は自民党に戻るしかなかったのである。そして、安保法制があろうと、TPPがあろうと、民主党の支持は低空飛行のままだ。民主党が再び政権を奪い取る芽は、顕微鏡で探しても見いだせない。
ミャンマーで同じ事が起きれば、再び軍事政権が誕生する。しかも、一度そうなれば、変化は当分凍結されてしまう。
それが私の心配である。
できることなら、国民民主連盟(NLD)は、日本の民主党のアホさ加減を反面教師として欲しい。それができれば我々も、
「日本は困ったことになったが、でも、ミャンマーの役には立った」
と自分を慰めることができそうな気がするのだが……。
まあ、まったく驚いた訴訟があるものだ。
経済産業省に勤める性同一性障害の男性が、
「女子トイレを使わせないのは不当な差別だ」
と国に損害を賠償するよう求めた、というのだ。
おいおい、ちょっと待ってくれ。だってあんた、性転換手術は受けてないそうじゃないか。ホルモン注射をし、女性用の服を身につけているとはいえ、外見上は男だよな。それが女性用トイレに入る?
まあ、トイレについては世界に様々な習慣がある。中国には男女別どころか、ついたてさえないトイレが多いというし、映画で見るかぎり、アメリカにはトイレのドアを閉めずに排尿、排便する習慣がある。見られても平気らしい。
だけどさあ、少なくともいまの日本では、多数が使うトイレは男女別というのが当たり前だ。そして、男は男用に、女は女用に入る。私が女性用トイレに入れば
「キャー」
という黄色い声が上がり、警備員が駆けつけて手が後ろに回る。その日本で、あなたが女性用トイレに入る?
私が経済産業省の偉いさんで、トイレの使い方についての権限があったら、さて、この性同一性障害の男性の求めをどう処理するだろう?
「分かった。女子トイレを使っていいよ」
といえば、女子職員から総スカンを食うことは明らかである。それどころか、セクハラで訴えられかねない。それに、世の中には私のようにけしからぬ男が沢山いるわけで、
「えー、実は俺も性同一性障害なんだよ。だから、俺も女子トイレに入るからな」
と言われたら?
だからダメだと言ったら、訴えられた……。
まあ、手っ取り早く解決しようと思えば、どこか1つの女子用トイレを、この性同一性障害男性専用トイレとする、ぐらいしかないわなあ。でも、複数人が使うことを前提に設計してあるトイレをたったひとりに専用させるのはいかにも不経済だ。女性陣からは
「不便になった」
という苦情も出そうだし。
あなただったら、どう対処します?
各人が自分の権利を100%主張できる世の中は、ある意味では素晴らしい。しかし、まとめていくのはたいへんであるなあ、と感じ入った次第である。