03.06
2016年3月6日 訃報
敬愛する人生の先輩の息子さんが亡くなった。先週末、弁護士である彼の勤め先の法律事務所からファックスが入った。まだ58歳だった。
早すぎる。ファックス機が吐き出した紙を見ながら、しばし呆然とした。とにかく早すぎる。
あれからもう30年近くなる。
その日私は、超有名企業の社長であったこの先輩の家に図々しくも上がり込み、雑談をしながら酒を飲んでいた。ふと時計を見ると、そろそろ日付変更線が変わる。
「ああ、こんな時間だ。そろそろ失礼しますわ」
明日は、お互いに仕事のある身である。いわれるまま、出されるままにビールやウイスキー、ブランデーを流し込んで酔いに身を任せていた私にも引き時をわきまえる程度の頭の働きは残っていた。
「何だ、君は。俺はせっかく気分がよくなってきたのに、もう帰るのか。それはないだろう?」
当時、私は40歳前。先輩は50代後半であった。あんた、確か社長だけど、この時間からさらに酒を飲んで、明日の仕事は大丈夫なのか? 二日酔いの社長が会社をつぶすことになりはしまいな!
とは思ったが、挑まれて引き下がるわけにはいかない。何しろ、目の前に座っているのは人生の先輩なのである。若輩の私が尻尾を巻いては様にならない。
「わかりました。じゃあ、ちょっとトイレに行かせて下さい」
それから席に戻り、再び杯を上げ始めたのはいうまでもない。お互いに酔っている。さて、それから何を話したのか、記憶は定かではない。
やや朦朧とし始めた私に、先輩が語り始めたのは、午前1時を回っていたのではないか。
「いや、君を引き止めたのは、今日は俺の長男に会って欲しいと思ってな」
私はこの先輩、社長さんの知りあいである。その縁で自宅に上がり込み、こんな時間まで酒を飲んでいる。その私に、息子に会えって? 俺にはその必要はないんだけど。
「実はな、うちの長男は優秀でな。いや、優秀すぎてな」
えーっ、この時間から息子自慢かよ!
「高校は東京教育大付属で、現役で東大の文一に入り、3年の時に司法試験に通っていまは弁護士だ」
ふーっ。私の数十倍俊才じゃないの。
「そんなだからな、この長男、挫折というものをまったく知らなかった。挫折を知らない男には陰影がない。長い間、俺はこの長男が可愛いと思えなくてな」
普通、出来のいい子供は可愛いはずである。だが、本来可愛い息子も、でき過ぎると可愛くなくなるのか? 幸か不幸か、そのような子供を持ったことがない私には、想像もつかない世界である。
「それがな、この間離婚したんだ。いやあ、あいつ、苦しんでた。悩んで苦しんで、考えて呻吟して、その結果離婚した。あいつにとっては、人生で初めての挫折だろう。その悩む姿を見て、吹っ切れた姿を見て、俺は、親爺として初めて、こいつを可愛いと思えたんだ。だから、いいか、今日はお前に会って欲しい」
私の何処がそれほどまでに見込まれたのかは、私のあずかり知らぬところである。あずかり知らなくても、ここまで言われたら、あとは酒を飲むしかない。飲み続けて、その長男のご帰宅を待つしかない。
彼が帰宅したのは、午前1時半を回っていただろう。自分で運転する車でのご帰還だったから、夜遊びをしてきたのではない。恐らく仕事で遅くなったのである。
彼は、私が先輩と呑んでいる部屋に姿を見せた。
「ああ、はじめまして」
「こんばんわ」
その程度の挨拶しかしなかったと思う。それから1時間ほど雑談をして、私が辞去したのは午前2時半頃ではなかったか。
あの彼が亡くなった。
私が交流を深めたのは先輩と、である。その長男である彼とは賀状を交換する程度の仲であった。
それでも、先輩の家を訪れた際に顔をあわせたこともあり、先輩ご夫妻を我が家にお招きしたときは、彼が車を運転して両親を迎えに来た。
実に親爺によく似た息子で、2人で並んで歩く後ろ姿を見て
「ほう、同じ形のケツをしてるわ」
と思ったことがある。
我が妻女殿に相続問題が生まれたときは、赤坂の法律事務所を訪ねて相談に乗ってもらったこともある。何かと法律用語、彼らの業界用語を多用して客を煙に巻く弁護士が多い中、普通の、暮らしの中で使われている言葉で法的な問題を語ることができる弁護士だった。法を自家薬籠中のものにしていなければできないことである。
だが、そもそも、私が親しくなったのは彼の親爺である。我々の相談に真摯に応じてくれたことに感謝こそすれ、彼との関係がそれ以上深まることはなかった。
その彼が死んだ。
これまで、多くの知人、友人が身罷った。いってみれば、そのひとりがまた増えただけである。それなのに、なんだがか、彼の死を受け流せない。
親と子。人はいつ生まれていつ死ぬかを自分で決めることはできないとはいうものの、この世から身罷る順序を間違えて先にいってしまった息子を持つ親の無念さは、想像するにあまりある。私が敬愛する先輩は、どのような思いで長男を見送られたのだろう。
先輩への敬愛の念がそんな思いを生むからなのか?
知らせを受けてすぐに、その先輩に電話をしようかと考えた。
だが、電話をしてどうする? 先輩の悲しみを少しでも癒す力が私にあるか? かえって傷口に塩をすり込むことにならないか?
近く、先輩に手紙を書こうと思う。しかし、何を、どのようなことを書いたらよかろう? 思いは乱れるばかりだ。
彼は、名を智久君という。
「人間なんて、死んだらただの物よ」
と思い定める私ではある。
が、智久君、やすらかに眠れ、と祈る私が、いま、ここに、確かに存在するのである。