04.03
2016年4月3日 世界文化遺産
ここ群馬県の富岡市にある富岡製糸場が世界遺産になったのは2014年6月であった。
世界文化遺産登録を目指す動きが活発化した頃から、私には抜くに抜けない違和感があった。言葉にすれば
「富岡製糸場が、なんで世界遺産?」
ということになる。
富岡製糸場が日本の近代化に大きな役割を果たしたことはよくわかる。明治における日本の近代化は絹製品の輸出がもたらした富が支えたからだ。よって、我々日本人にとっては、近代化の象徴ともなる大事な文化財である。
だが、世界遺産? 富岡製糸場、何か世界の役に立ったか? 近代化した明治日本は清国と戦端を開き、続いて凍らない港を求めてアジアへの進出を狙っていたロシアの野望を砕いた。だが、その勢いが中国大陸、そして東南アジアへの領土の拡大につながり、ついには無謀な太平洋戦争に結びついたのではなかったか?
富岡製糸場がなければいまの日本はなかったろう。だが、世界はずっと平和だったのではないか? なのに、世界遺産?
私の乏しい歴史知識による推論である。間違いがあるかも知れない。だが、どう考えても、富岡製糸場を世界が、ということはイタリアの人びとが、ベルギーの人びとが、ブラジルの人びとが、ガーナの人びとが、大事に保存しなければならないと考える理由が思い当たらない。
行政や政治が、あれこれの皮算用を重ねて登録を目指すのはまだわかる。登録されれば観光客が増えて地元は潤うだろう。俺たちが動いて実現にこぎ着ければ選挙で票が増える。いや、地元が豊かになれば献金だって増加するに違いない。
まあ、ちょいちょいと動いて水揚げを増やす。まるでヤクザと同じ論理だが、同じような世界で生きていらっしゃる方が多いことを思えば、それもやむを得まい。
理解できなかったのは、登録するか否かの決定権をお持ちになっていらっしゃる選定委員(というのが正式名称かどうかは知らない)の方々が、どういう理由があったのか、とうとうお認めになったことだ。富岡製糸場を世界遺産にしてやることで、何らかの見返りがあったのか? とでも疑ってみたくもなる。
同様に不思議だったのは、マスメディアがこぞって指定を後押ししたことだ。世界遺産とは何か。世界遺産に相応しいのは何か。富岡は世界の遺産たる資格があるのか。
そのような初歩的な問題意識は、いまの自称ジャーナリストには探しても見あたらないものらしい。県が、市が動く。動くことそのものに疑問を感じなければならないはずなのに、
「県も市も力を入れている。だから我々も」
と、県や市の広報誌、広報番組のような記事、ニュースが量産された。これだけメディアがあって、すべてのメディアが同じ方向を向いて大同小異の情報を垂れ流す。
「それは、ちょいと違うんじゃないの?」
というメディアが一つもない。
おいおい、言論の自由って、自由な言論で甲論乙駁するから大事なのではないのか? すべてのメディアが同じ事しかいわないのなら、メディアは新聞が一つ、テレビが一つでいいんじゃないか? 君たちは、本当にメディアなのか?
少なくとも、群馬県で動いているメディアは、富岡製糸場と心中した。いまだに電波を出し、紙を発行しているのは、メディアのゾンビに違いない。
などと、かつても書いたような記憶があることを再び書き記したのは、昨日の上毛新聞を見たからだ。あ、間違った、ゾンビ上毛新聞を見たからだ。
それによると、世界文化遺産になった「富岡製糸場と絹産業遺産群」(これには富岡製糸場を始め4施設が含まれるらしい)の昨年度、つまり昨年4月から今年3月までの観光客が、1年前より15.9%も減ったのだそうだ。ご本尊である富岡製糸場も、14.4%減の114万4706人とあった。
あれまあ、指定から2年目にして早くも失速しちゃったの!
それにしても、である。資産を抱える自治体は、どこも
「ブーム後の想定内」
とのんびり構えているというのだから、開いた口が塞がらない。
だって、指定は2014年6月。今回の数字は、[2014年4月—2015年3月]対[2015年4月—2016年3月]の数字だ。指定前の2ヶ月と指定されてからの10ヶ月、と比べて16%も減っているのである。
ブームって、こんなにあっさり引いていっちゃうのかね?
いや、そもそもブームと呼べるほどのものが起きたのかね?
それに、だ。ネットで見ると、富岡製糸場の休場日は年間3日だけ。つまり1年で362日は営業している。ということは、1日当たりの入場者数は3162人。
登録前の3、4倍になっているというが、それでもこの数字である。これ、「ブーム」といえるのか?
ま、客観的に見るかぎり、富岡製糸場に観光地としての魅力はない、という解答を観光客が下した、と見るしかない。
数字を離れても、ここ桐生でも評判は芳しくない。
「1000円払ってはいったんだけど、15分で見終わっちゃうんだよね」
「お土産ったって、買いたくなるものが何もないから……」
「もう絶対行かないわ」
行く気も見る気もない私に、
「あれは一度見ておいた方がいいよ。お土産はこれとこれが魅力的で」
などと話してきた人は1人もいない。ために私は、恐らく富岡製糸場に一度も足を運ばぬまま群馬を去ることになるはずである。
さて、戦い済んで日が暮れて、期待した経済効果もないとすれば、あの時あれほど世界遺産ブームを煽っておられた方々はこれからどうされるのだろう? あの時の意気込みと、いまの姿を比べながら
「世界産とは何か? 富岡製糸場はそれに相応しかったのか?」
と反省も含めて考え込む人はきっと1人もいないのだろうが……。
人が来ない観光地。一攫千金を夢見て開いた土産物屋は、やがて当てが外れて廃業に追い込まれる。商店の賑わいもない観光地からはますます人の足が遠のく。そして……。
「世界文化遺産指定」
と書いてあるかどうかは知らないが、世界遺産の看板が風に揺れてカランコロンと音を立てるだけの施設の未来が目に見えるような気がする私である。