2016
04.14

2016年4月14日 せいし

らかす日誌

パソコンに向かい、キーボードで

「seisi」

と打ち込む。私のパソコンはローマ字入力だから、ディスプレイには

「せいし」

と文字が現れ、変換キーを押すと

・静止
・製糸
・精子
・生死
・制止
・製紙
・静止
・誓詞
・姓氏
・青史
・正視
・静思
・誓紙

かぎりがないのでこのあたりでやめるが、次々と違った言葉が現れる。
パソコンとは便利な機械である。漢字をうろ覚えでも、変換キーさえたたけば次々に言葉が現れ、やがて

「ああ、これだ、これだ!」

ということになる。そろそろ、記憶するスピードより、忘却するスピードの方が勝り始めた私には、実にありがたい。

が、物事には必ず表と裏がある。衰え始めた漢字力を補うパソコンの機能の裏面は、誤変換である。私はしばしば、

「らかす、面白いんだけどさあ、なんか誤変換が多いよね」

というご注意を受ける。

「何いってんだ。俺の書いたものを無料=ただで読んでるくせして、文句をいうなんて100年早いんじゃないか?!」

と啖呵を切りたいのは山々だが、それをいってしまっては、ただでさえ敵の多い私は、敵の山をますます高く、堅牢にしてしまう。それがわかっているから

「えっ、またあった? メールででも知らせてくれればいいのに」

とにこやかに答えるのである。これも、長く生きたからこそ身についた人生の知恵なのだ。


ま、「らかす」にどれほど誤変換があろうと、何の問題もない。私が恥をかくだけである。
しかし、新聞広告に誤変換があったらどうなのだろう?

10日付けの読売新聞朝刊12ページ(桐生に配られてくる新聞だから、あなたの元に届く新聞とは違うかも知れない)の下段に、書籍広告があった。

「待望の新刊!」

とあり、

「小学校で習った社会科 特別授業 覚えてますか? 日本史」

サンリオという出版社の書籍広告である。
それはいい。

このような書籍広告では、チラ見せが定番である。中身の一部をあえて見せる。女性の下着、中でもスカートのしたにある下着のチラ見せが大好きな私は、「チラ見せ」というだけで嬉しくなる。だから、ついついこんな広告は読んでしまう。敵の思うつぼに、自ら好んで飛びこんでしまう。 

第1問 どっちが先?
キリスト教伝来と鉄砲伝来
御成敗式目と武家諸法度

ん? えーっ、キリスト教伝来は確かフランシスコ・ザビエルで、あれは……。鉄砲は種子島で、でもいつだった? おいおい、そんなこと、小学校で勉強したっけ?

御成敗式目って誰がつくった? 武家諸法度ねえ……。おいおい、そんなこと、小学校で勉強したか?

66歳の記憶力とはその程度のものである。

第2問 私は誰でしょう
私は東洋のルソーと呼ばれた思想家です。
私は富岡製紙工場の設立に尽力しました。

東洋のルソーは中江兆民である。「民約論」の著者だ。いや、いまネットで調べたら「民約訳解」とあった。ん? 俺の頭では「民約論」なのだが。

えーと、次は……。えーっ、富岡って、製工場だけでなく、製工場もあったの?
いや、私は焦った。富岡製糸場はつい先頃、この「らかす」でこき下ろしたばかりである。だが、富岡製紙場、とは初見だ。見たことも聞いたこともない。富岡って、糸だけじゃなく、紙もつくってたのか?

私は焦った。だって、そんな基礎的なことも知らずに富岡製糸工場をこき下ろすなんてインテリの風上にも置けないじゃないか。糸をつくり、紙をつくる。ということは、富岡って、一大工業都市だったのか? にしては、衰退が甚だしすぎるが……。

あわててgoogleで「富岡」「製紙」でググってみた。だが、出て来るのは「富岡製糸場」だけである。googleは、私が「製紙」と入力したにもかかわらず、勝手に「製糸」に読み替えてしまう不届き者である。

が、だ。ということは、常識的に考えれば、「富岡製紙工場」なんてなかったのだ。

ということは、だ。この原稿を書いたオッちゃんかおばちゃんか兄ちゃんか姉ちゃんか知らないが、

「製糸」

と入力するつもりで

「製紙」

とやっちゃった。明らかに誤変換によるミスである。

まあ、こんなミス、「らかす」なら

「またやっちゃったのか」

で済む。
しかし、である、お立ち会い。これ、サンリオという出版社が数百万円、ことによったら数千万円を費やして読売新聞に掲載した書籍広告である。しかも、この本、

「あんた、偉そうな顔して大人ぶってるけど、この程度のことも知らんやろ!」

というのを売りとする。偉そうな顔をしている大人に輪をかけて

「俺の方がもっと偉いで。物知りやで」

という本なのである。
それが、問題文で間違ってどうする? これじゃあ、赤恥、青恥、黄色恥ではないか!

元々の原稿をつくったオッちゃんかおばちゃんか兄ちゃんか姉ちゃんが間違ったのは、まあ仕方がない。しかし、だ。これ、「らかす」と違って大枚のお金がかかった原稿なのである。新聞に掲載するまでには沢山の人が校閲したであろうし、最終的には読売新聞広告部だって、目を皿にして点検、ミスをつぶすのに血道を上げたはずなのだ。それでも、防げないミス。

このミスを見て、この本を買う気になるか? ひょっとしたら、この広告を見たが故に、

「こんな間違いだらけの本に金を払えるか!」

という人が沢山生まれたのではないか?

ねえ、この責任、数百万円、数千万円を費やして、わざわざ本を売れなくした責任は、何処の誰が取るのだろう? サンリオの担当者か? 広告代理店か? 読売新聞か?

あー、いくら間違っても責任を取らなくて済む「らかす」の筆者でよかった、と幸せを噛みしめる私であった。

なお、以上の文章は、富岡に製紙工場がなかったという認識を前提に書いている。万が一、富岡に著名な製紙工場があったら、すべてを取り消す。
そのような事をご存じの方は、ご一報いただきたい。