08.23
2016年8月23日 最終週
いまの家で暮らす最後の週になった。今週土曜日、我々夫婦はこの家を出る。啓樹も瑛汰も璃子も嵩悟も、もうこの家で遊ぶことはない。
今日は朝から、雨を押して太田のジョイフル本田に行ってきた。頼んでいた表札を引き取り、新居で事務机の下に引くカーペットを購入するためである。
表札は、プラスチック製のペラペラの安物にした。引っ越す家は借家で、終の棲家ではないのだ。堅固な表札はいらない。
「これ、プラスチックだよね。野ざらし雨ざらしで、何年ぐらい持つかね?」
と聞いたが、確たる返答はなかった。こんな基礎的な質問をする客はいないらしい。まあ、それでも3000円程度の品である。5年持つとして、桐生滞在がそれ以上に延びたら、買い換えればいいと考えた。
絨毯は、事務机を畳の部屋に置かざるを得ないため購入した。畳の部屋で事務机、キャスター付きの椅子を使えば畳が傷む。ために、敷物を使用とあれこれ考え、絨毯に落ち着いた。200×250のサイズで、これなら椅子を多少動かしても畳の上にはみ出すことはあるまい。2万円。車の後部座席を倒し、積み込んだ。
という具合で、最終週というのに、引っ越し準備はまだ整っていない。今朝は不燃ゴミを大量に出したし、アルミの空き缶も近く公民館まで運ばねばならぬ。明日は、妻女殿が長年お使いになったベッドを解体する。粗大ゴミとして出すためである。
このベッド、長男が使った二段ベッドの片割れである。妻女殿は長年、このベッドで寝てこられた。
「もっとちゃんとしたベッドに買い換えたら」
と何度も申し上げたが、
「これ、すごくいい二段ベッドを買ったんだから」
と頑としてお聞き入れにならなかった。1度言い出したら、どれほど論理が破綻しようとも孤塁を守る、というのが妻女殿の人生スタイルである。私は、論理を辿る力量に問題があるのではないか、と疑っている。真実は神のみぞ知る。
それなのに、今回は何故に愛用のベッドを廃棄されるのか。これも不明である。新居では、新しい、といってもすでに我が家にある畳ベッドをご使用になる。
妻女殿の母君は長男と同居されているが、一時、
「かあちゃんの面倒を見るもの限界だから、姉ちゃんも手伝って」
とクレームが来た。いまから思えば、義父が残した遺産相続についての思惑があっての発言だったのだが、その時、私は、であれば我が家で引き取るしかなかろうと考えた。障害は妻女殿の持病である。
「お前、いまの健康状態でおふくろさんの面倒を見れるか? 俺は桐生で同居しても構わないぞ」
と提案。そりゃあ、妻女殿にとっては母親である。多少の無理はしても世話をしたいとお考えになったのであろう。合意ができて義母を桐生に連れてくるため、義母用に買ったのがこの畳ベッドであった。年寄りには、マットレスより畳が似合う。
そうやって準備万端整えたのだが、いざ桐生にお招きしようとしたら、弟のトンチキ野郎が突然、
「かあちゃんは絶対に渡さないから!」
とわめいた。ために、わけもわからず取りやめとなった。
自分から言い出しておいて、まったく訳のわからんトンチキ野郎だが、まあ、そういうわけでこの畳ベッドはほぼ新品のまま、我が家にあり続けていたのである。
まあ、それはそれとして、明日のベッド解体は、電動ドライバーは買ったし、電動丸鋸もあるし、ガーッ、ガーッで簡単に片がつくはずだ。
同時に、9月からの私の桐生市における役割も準備を始めなければならない。私の役割——桐生を売ることである。
どこかで書いたかも知れないが、エコノミック・ガーデニングという手法をとりたい。米国コロラド州リトルトンという町で始まり、あちこちに広がりつつある手法だ。
うろ覚えながら概略を説明する。
この町だったかどうかは不確かだが、このプロジェクトが動き出す前、地方の活性化手法を検証したところがあった。地方の活性化といえば企業誘致、工場誘致が主流だったが、
「本当にそれで町おこしができたのか」
を調べた。
企業や工場を引っ張ってくるには、引っ張る方にもそれなりの負担がかかる。ほかとの競争で誘致するのだから、様々な優遇策を用意しなければならない。やれ土地はただで提供するだの、そこに建てる建物の建築費を助成するだの、道路は新しく作るだの、税金はほんまに安くしまっせ、だの、とにかく、ありとあらゆる手法でほかの自治体と競うのだ。
で、その結果の収支をまとめた。すると、新しく企業や工場が来て、雇用が生まれて税金が入ってきて、というのが「地方活性化」につながるはずなのだが、計算してみると、誘致するのにかかった費用が、誘致の結果得た収入より多かった。
何のことはない。締めてみたら赤字決算だったのだ。
「そりゃあなかんべ」
うん、それはあってはならない。
では、企業や工場を誘致しても、結局は赤字になって地方の衰退を食い止められない、いやますます衰退するばかりだとすればどうしたらいい? と考えられて出てきたのが
エコノミック・ガーデニング
なのである。
細部をはしょっていえば、
「だったら、いまここにある企業を育てた方が効率的だ」
という考え方であり、であれば地元企業を育てる工夫を積み重ねなければならない。
と考えたリトルトンは、15年で雇用は2倍に増え、税収は3倍に増えた。だからいまリトルトンが注目され、エコノミック・ガーデニングが注目されているのである。
で、それを知った私は、桐生でこれをやってみたい、いや、やんなきゃまずいんじゃないの? と考えたわけである。
が、だ。
こんなこと、私ひとりでできるはずはない。多くの人々と力を合わせるしかない。それは自明の理だが、では、私はその協力体制の中の何を担うのか?
それが、いま私が私に突きつけている問いである。そして、
「とりあえず、桐生を売るホームページを作ってみっぺ」
が当面の答えなのだ。
いや、本当にいいものがあるのだ、桐生には。なのに、桐生の方々が最も不得意とされるのは、いいモノをいいモノとして世に知らしめる情報発信である。ために、いいものがいいものとして世に知られていない、というのが私の仮説である。
だから、私というフィルターを通してみた桐生のいいものを、新しく作るホームページで発信する。それがとりあえずの計画なのだ。
それを足がかりに、できればエコノミック・ガーデニングを実践している地域を見てみたい。見て、聞いて、桐生の参考になるものを積極的に取り入れたい。そんな地域とのネットワークも構築したい。
いろいろ思いはある。
さて、その活動資金をどう調達するか。そもそも、私にそんな能力があるのか。
はてさて、いずれにしても67歳にしての新たな挑戦。ま、思いの10分の1でも実現できればもってよしとすべきだろう。そして、残りの部分は私を桐生に引き止めた方々に担っていただく。
てなことを考えながら、今日は午後、新しいホームページの原稿の準備を始めた。そう遠くない未来に、皆様のお目にとまるものである。
「こんな原稿でいいのかな?」
と沢山の疑念を抱きながらキーボードをたたいていることを知っていただければ幸いである。