08.26
2016年8月26日 最終日
家中段ボール箱となった。いよいよ明日が引っ越し日。今日は午後から、日通の作業班が我が家を訪れ、家財道具のほとんどを段ボール箱に詰めてくれた。リビングの窓際には、保護シートでくるまれた棚が立ち、紐でカーテンレールに結わえられている。倒れては事故になりかねないからだ。運び出す時は紐をとけばよい。
もう、いつでも引っ越しできる。
いやあ、引っ越しとはなかなか忙しいものである。昨日は引っ越し先に行き、表札を取り付けた。
当初の計画では、煉瓦でできた塀に接着剤で貼り付ける作業だった。家主さんの表札が取り外され、そこだけコンクリートがむきだしになっていたので、表面が平らでないコンクリートに平らに接着するのは難しかろうと考えたのである。
が、家を出る直前に考えを変えた。
プラスチックの表札を、接着剤で煉瓦に貼り付けることはできる。だが、いずれは出ていく家である。そのとき、接着剤で貼り付けた表札をきれいに剥がすことができるか? ひょっとしたら煉瓦の一部が欠けてしまうことにならないか? プラスチックの破片が残ることならないか?
それは大家さんに失礼であろう。そこで、元の表札を取り外してできたくぼみに、まず板切れを接着、その板切れに表札を貼り付けることにした。これなら取り外しは簡単なはずだ。そのつもりで、自宅から木ぎれをもっていった。先日解体した、妻女殿のベッドの一部である。
計算が狂った。入らないのである、くぼみに板切れが。ほんの数㎜、縦が長すぎる。
であれば、木ぎれの寸法を変えねばならぬ。まず、その辺のコンクリートで削ることを試みた。コンクリートに板切れを何度もこすりつけた。ま、これでも少しずつは削れる。だが、実感としては、本当に少しずつしか削れない。これでは日暮れて道通しである。
ふと思いついたのは、小黒のじいちゃんに作ってもらった切り出しナイフだ。幸い鞘つきなので、あれ以降いつも鞄に入れている。
「それって、銃刀法違反でしょ?」
という人もいて、ひょっとしたらそうかなと思わないでもないが、まあ、そのあたりは適当に無視して携帯していたのが幸いした。これを取り出して、木ぎれを削り始めた。
もってきたのはなかなか硬い木であった。怪我をしないように慎重に削る。
「もういいかな?」
と表札あとのくぼみに押しつけてみる。まだ入らないので、また削る。押しつける。そんな作業を5、6度繰り返したら、ギリギリで入るようになった。で、木ぎれに接着剤をつけて押し込み、次に我が表札に接着剤をつけて木ぎれに押し当て、テープで固定。
ふむ、仕上がりはなかなかである。たった3000円のプラスチックのペラペラが、塀から浮き出していてなかなか見た目がよい。
が、だ。真夏の炎天下での作業である。たったこれだけの仕事で私の全身はにわか雨にでも降られたかのようにずぶ濡れになった。汗である。
作業をしているうちに、頼んでいた電気工事屋さんが来てくれた。この家、どうしたわけか地上波とBS・CSのアンテナ線が別々になっており、BS・CSのアンテナが出ているのはリビングルームだけなのである。BSで映画や音楽番組を録画する私としては、これでは困る。両方のアンテナからの信号を混ぜ合わせて屋内ケーブルに流し、どこでも両方の電波を取り出せるようにしなければならない。で、工事を御願いした。
工事屋さんは家に上がり込み、天井裏につながる点検口を探した。屋内の各部屋に地上波の信号だけは来ているので、どこかにその分配機があるはず。その線でBS・CSも流すのなら。分配機も取り替えなければならない。
「おかしいなあ。点検口がないですね。そんなはずはないんだがなあ」
天井裏の物置まで探した。でも、分配機は見つからない。使い勝手が実に悪い家である。
「しょうがないねえ。だったら、居間に出ているBS・CSの信号をケーブルで各部屋に運ぶしかないなあ。配線はむきだしになるけど、それでいいですか?」
いいも悪いもない。それしか手段がないのなら、そうするしかない。屋内のむきだし配線は美しくないが、まあ、私の家ではない。多分、終の棲家でもない。妥協するしかない。
「わかりました。ところがねえ、私、どういう訳かこのところ仕事が詰まってましてねえ。作業できるのは9月の7日すぎになるけど、いいですか?」
これも、いいも悪いもないのである。この工事屋さん、あのO氏の友人である。無闇に取り替えるわけにはいかぬ。桐生滞在を決めた私である。そのうち友人になるか洩れない。
それに、なかなか面白い人でもある。
趣味は車。それも古い車をリストアするのが芯から好きなのだという。いまリストア中なのは、1972年のポルシェ。燃料タンクの錆を落とし、燃料パイプをきれいにし、エンジンに……、と1人で古いクマを生き返らせているのだ。
「車をいじり始めると、なんか、ほかのことはどうでもよくなっちゃうんだよね。それで、仕事だよ、ってよく叱られるわ」
ということは、古い名車のリストアを仕事にすればよかったのに。ところで、車のことはどこかで勉強したの?
「そんなもん、するわけない!」
だったら、どうして車をいじれるの?
「見よう見まねさ。これはこうなってるから、こうなるに違いないって考えながらばらして組み上げる」
だけど、それじゃあわからなくなることもあるでしょ。しかも車だから、ちゃんと組み立てられてないと危ないと思うんだけど。
「ああ、隣町にポルシェ博士がいてね。わからなくなると教えてもらいにいく。もとは三洋の技術者だった人だけど、趣味でポルシェにのめり込んだんだって」
まあ、こういう人である。愛さずにいられるか?
話がそれた。目先にあるのは引っ越しである。
で、9月7日すぎまでやってもらえないんじゃ、まあ、その間を何とか凌ぐしかない。BSの取り出し口が1つしかなくて、さて、どうやって録画を続けるか。そんなことを考えながら自宅に戻った。
今朝は、まず事務所のデスク周りの整理から始めた。このデスク、ここに残していかねばならぬ。私ものと会社のものを峻別し、自分のものを段ボール箱に入れる。
一段落して買い物に出た。取り出し口が1つしかないBSに対応するため、アンテナ線を買ってきた。
午後、引っ越しを御願いした日通から沢山の人が来て、荷造りをしてくれた。今日使うものは残し、ほかはすべて慣れた手つきで荷造りされた。流石にプロである。見る見るうちに段ボール箱の数が増え、2時間後には冒頭に書いたがごとく、我が家は段ボール箱で埋め尽くされた。
「あ、そこに箱を積み上げもらってもいいんだけど、そこまで広がっちゃうと、私の寝る布団が敷けなくなりそうなので、もう少し上に積み上げてくれる?」
程度しか私の口出しすることはない。
しかし、である。我が家にはこんなにものがあったか?
さて、いまは1日の労働を終え、入浴と夕食を済ませた。あとは映画を見て本を読んで寝るだけだ。そういえば、この家で寝るのも今日で終わりか、といえば私らしくない。
どこで寝ても、本質は寝ることだから関係ない、といえば私らしくなるか。
夕刻、四日市から
「Facebookにアップしたから」
と電話。啓樹と嵩悟のピアノの発表会だったそうだ。
啓樹はどういう訳か、恐れを知らぬ6年生に育った。ピアノの発表会があっても、練習が不足していても
「何とななるよ」
という自信派である。Facebookの動画を再生したら、それなりに弾いていた。なるほど。
驚いたのは嵩悟だ。ママがいなければ夜も日も明けぬ甘ちゃんだが、再生動画を見る限り、舞台に乗ってびびることもなく、無事弾きおおせていた。それも、指導者のミスで1曲目は椅子がピアノから遠く、足は床に着かずブラブラ状態。腕をいっぱいに伸ばしての不安定な演奏にもかかわらず、困惑した風もなかった。
遊びに来ても、いまだにボスと寝ることができず、夜になるとママに寝かせてもらう嵩悟である。だが、こんな一面も持ち合わせていたか。
「先々が楽しみ」
と書いてしまっては身びいきが過ぎるかな?