09.01
2016年9月1日 新居
昨日、知人からメールが来た。
「『らかす』、更新されてないね。夏の引っ越し、夫婦合わせて133歳の引っ越し、つい1ヶ月前は動けないほどだった腰痛を引きずっての引っ越し、って悪条件が重なってるから、読者の皆さんも心配してると思うよ。あいつら、無事か、って」
表現の巧拙、悪趣味の程度を脇に置けば、まあ、そのような趣旨のメールであった。
いわれてみればそのとおりである。「らかす」の更新は26日を最後にぱったりと途絶えていた。にもかかわらず、本日ただいま現在の来場者数は17万2425人。更新が滞っていた間だけでも、目分量だが500人を超える方々が、相変わらず「8月26日」のままのトップページを訪れていただいた。
「なんだよ、まだ更新してねえじゃねえか」
とがっかりされた方、悪態まで口にしてしまわれた方、いろいろだったであろう。なかには、友が指摘するように
「あら、お引っ越しが大変なのかしら。そうよねえ、お年だもんねえ。一晩寝れば疲れが吹き飛んでいた若い頃とは違うわよねえ。それに、お腰の方も相当お悪いようだし、ひょっとして再起不能なのかしら?」
とご心配いただいた方もおられたろう。いや、嘲笑っておられた?
いずれにしても、ヘレン・ケラーばりの3重苦に苦しんでいたとご理解いただければ幸いである。
新居に移って6日目。やっとにして広々と布団を弾ける空間が確保でき、パソコンに向かう気持ちのゆとりも生まれた。
なので、ざっと引っ越し騒動を振り返ろう。
8月27日。引っ越しの日通さんは朝9時前に到着された。ほぼ同時に
「手伝いますよ」
と名乗りを上げてくれたK君、彼の友人のK嬢も我が家に着てくれた。荷物の運び出しが始まった。
11時半にはすべての段ボール箱がトラックに運び込まれた。2トン車3台。すでに子供たちは全員巣立ち、老夫婦だけの世帯である。にしては半端な量ではない。67年の年輪というべきか。これほど大量の老廃物を引きずりながら生きてきたというべきか。
荷物が出て、応援の2人と近くの回転寿司で昼食。回転寿司にもかかわらず、4人で1万円。妻は小食、私は普通食。と考えると、応援のK君の食欲の並でないことが一目瞭然だ。
ま、今日は応援だ。食えるだけ食ってくれ。文句は一切いわぬ。
午後1時過ぎ、新居に行くと、日通さんが待っていた。玄関を開けると、鉄砲玉のような勢いで段ボール箱が運び込まれる。
「奥さん、これ1階ですか2階ですか?」
「旦那さん(どうやら、私のことらしい)、このサイドボードはどの部屋へ?」
家具の配置は事前におおむね決めていた。が、何事も現場は大事である。事前の計画がうまく行かないと判明すれば、現場では直ちに新しい、現場に適した判断を下さねばならぬ。それができなかったのが、あの戦争で日本がアメリカに大敗した一因である。ここは私の踏ん張りどころである。
が、どれほど現場での即時の判断が正しかったとしても、日本はアメリカに負けていたであろう。そもそもの生産力が段違いだったからである。基礎条件の劣勢を現場の判断や戦闘員の能力でカバーするといっても限度がある。その限度を超えた相手に戦いを挑めば、必ず負ける。日本軍は負けるべくして負けたのである。
そして、私の戦いもかつての日本軍と同じであった。なにしろ、これまで住んでいた家は延べ床面積が150㎡を超えていた。そして新居は110㎡足らず。基本条件に、かつての日米間の生産力の差と同様の格差があるのである。かくして、やがて結論が見えてきた。
「荷物が、入らない……」
私の事務室兼寝室に使う予定の畳敷き8畳間に、家具屋さんからデスクが届いた。カリモク製で、店舗で見たなかで一番大きな事務机であった。
そして、この部屋には書籍、文具類、ギター、ギタースタンド、膨大は楽譜、工具、撮り貯めたブルーレイディスク、服、布団、鞄……。私の身のまわりものもと仕事関連のものが運び込まれる。たちまち段ボール箱の山ができる。開けても開けても、ちっとも減らない。
「今晩布団を敷く空間は確保できるか?」
キッチンに行くと、こちらも混乱を極めていた。玄関から運び込もうとした冷蔵庫が、キッチンへの通路にもなっているダイニングルームの入り口を通らない。縦にしても横にしても頑として入場を拒む。
いまの冷蔵庫は、おおむね横幅68.5㎝で統一されている。あらゆる家庭に買ってもらわなければ電機メーカーは困る。だから、どこの家庭にも運び込めるよう、いつの間にかできたスタンダードである。なのに、この家はスタンダードを拒否する!
日通さんの機転で、冷蔵庫はダイニングルームの窓を取り外して入れることになった。庭木の枝が邪魔だったので鋸を出して切り取った。こうしてやっとキッチンに運び込まれた冷蔵庫ではあるのだが、それで身を許すようなヤワな家ではなかった。
冷蔵庫の設置場所と思われる一角の横幅が、なんと65㎝しかない! おいおい、今時、ごく普通の冷蔵庫は400リットル以上だろう。だったら、横幅は68.5㎝だろう! お前に常識は通用しないのか!
とわめきたいのだが、わめいたところで65㎝が68.5㎝に成長してくれるわけではない。
困惑をグッと押し殺し、
「ここ、白雪姫を助けたこびとの家?」
と嘆くだけである。
キッチンからは洗面所、風呂場に通じるドアがあった。
「このドアをはめ殺しにします」
これが状況に応じた現場判断である。現実的に、そこにしか冷蔵庫を置ける場削がないのなら、殺さねばならぬ、ドアを。
かくして、日通さんにドアノブの取り外しを御願いした。冷蔵考設置場所であるはずの場所には冷凍庫を納めた。
テレビが運び込まれた。であれば、アンテナ線を繋がねばならぬ。ところがこの家、地上波とBS・CSの出口が違う。やむなく、事前に用意しておいたアンテナ線2本を録画機、テレビまで延ばし、結線した。
「まず、録画機1につないで、録画機1から録画機2に繋いで、録画機2からテレビに繋ぐ、んだったよな」
自作のテレビラックの裏に座り込み、薄暗い場所でコードと格闘する。
作業をしながら思った。この作業、老眼には辛い。
使っているのは中近両用の眼鏡である。これ、目線を上下すると焦点の合う距離が変わる。目線を下に向けると近いところがよく見え、上に上げると遠くが見える。
さて、ラックの裏側で結線作業をした経験がある方であればご理解いただけよう。録画機はどうしても下の方に設置する。これをラックの後ろからのぞき込むと、視線はどうしても上向きになる。つまり、遠くはよく見えるが、近くはぼやける目線である。つまり、すぐ近くにある録画機の背面の文字がよく見えないのだ。
「ん、これは地上波、それともBS?」
「えーっと、こちらが地上波のアンテナ入力か。いや、これは出力? あれ、BSか?」
目が霞むと、混乱が起きる。そして私は混乱した。
結線を終えたと思って前に回り、テレビをつける。
「あれまあ、映らない!」
夕方4時。
「それじゃあ、荷物は全部運びましたので、私たちはこれで」
日通さんが引き上げた。
「はい、お疲れ様でした。ありがとうございました」
そう挨拶を交わして玄関を入ると、一方の壁に段ボール箱の残骸がうずたかく積み上がっていた。左に曲がってダイニングルームに足を踏み込むと、一方の壁にダイニングテーブルが押しつけられ、他方の壁の前には椅子、段ボール箱が積み上げっている。
リビングに行くと、ここにも段ボール箱が10箱近くある。隣の、私の寝室兼事務室に至っては、10数個の段ボール箱が重なり、バリケードとなって人の接近を阻んでいた。
「おい、ここで寝られるか?」
思わず自らに問いかけた。
こうして、引っ越し第1日は夜を迎えたのである。
ねえ、大変でしょう?
でも、本当に大変になるのはこれからなのですぞ!