09.08
2016年9月8日 運動効果?
腰の薬が残り少なくなって、今は朝から整形外科医にいってきた。
「で、どうですか?」
ここの先生の第一声は、いつも決まっている。どうですか。この問いに答えるのが患者である私の義務である。そして、答えは簡単明瞭であるにこしたことはない。
「おかしなことに、いいんですわ、調子が」
この解答が簡単明瞭であるかどうかはさておき、そうなのである。腰の具合が、本人も驚くほどいい。もちろん、痛みがなくなったわけではない。朝起きた時に、腰に強いこわばりを感じるのもこれまでと同じだ。
「でもね、私、調子がいいのでロキソニンの服用を自主的にやめたんです。それでも日常生活に問題がないんですわ」
そうなのだ。ロキソニンを飲まなくなってもう20日ほどになろうか。
7月、神経痛とも思われる、左腰と足の付け根前部の強い痛みに襲われたことはご承知のことと思う。こわごわリリカを服用、治りかけた時、恐らくソファと食器棚の解体作業に取り組んだため痛みが再発、またもや整形外科医を訪れてリリカの処方を頼んだ。これもお知らせしたことだ。
ほかに選択肢がないためリリカの服用を再開した。恐る恐る、の選択だった。その際、リリカを飲むのだから、とロキソニンの服用をやめた。薬はできるだけ飲まない方がよろしい。
2度目の発症は、1度目に比べると治りが早かった。14日分処方されたリリカを9日分だけを飲んで
「もう大丈夫だろう」
と自己診断を下し、リリカの服用はやめた。肝心なのはここからである。リリカの服用はやめたが、ロキソニンの服用を再開しなかった。
私は臆病者である。チンピラから脅されると、オシッコをちびりそうになる。すぐあとに襲いかかりそうな痛みを想像しただけで震え上がる。その程度の男である。
だから、ロキソニンを復活しなかったのも
「まあ、試しにやってみるか」
程度の乗りだった。胸をはって痛みに立ち向かう覚悟なんてさらさらない。幸い、ロキソニンは飲めばすぐに効く薬である。腰が痛み始めれば即座に服用を再開すればいいではないか。
それが、なのだ。ロキソニンを飲まなくても平気なのだ。ロキソニンの服用を続けていた時と同じように、日常生活ができる。
だから、医者にいった。
「先月の27日に引っ越しましてね。腰を心配しながら、ひょっとしたら痛みがぶり返すんじゃないかと怖がりながら作業をして、おまけに棚を3つも作っちゃったんですけど、腰は悪くならず、ロキソニンを断ち切ることができた。狐につままれたような気分ですわ」
医者としては、患者の容体が改善することは喜びであろう。
「それはよかったですね」
うん、よかった。でも、なぜ腰が改善したのか?
「私は、2ヶ月前から始めた漢方薬の服用が効果を現し始めたのかなあ、って喜んでるんですが、友人の中には『君の腰痛は運動不足が原因だったんだよ。引っ越しで身体を動かして汗を流した。それで運動不足が解消されて腰が改善したんだぜ』っていうやつもいて」
その友人とは、かのO氏である。
「ま、どちらが原因であっても、腰がよくなってくれればそれでいいわけでして」
私はお調子者である。話がここまでトントンと進むと、ついつい次の一言を発してしまう。
「で、最後に残った薬のトラムセットですが、これもやめてしまうって、ありですかね?」
医者は即座にいった。
「いや、それはまだ早すぎるか、と」
ははあ、これは先を急ぎすぎましたかな。まだトラムセットだけは飲み続ける、と。
まあ、トラムセットまでやめたら、この病院に来る理由もなくなるもんね。となると、あなたは患者をひとり失い、収入が減る。まさか、そのために発言ではないでしょうな。
ま、それでもだ。腰の調子がここまでよいと、これから始めようという事業も、ひょっとしたらうまくいくのかなと思えるから、人間とは、いや私とはかなり単純である。これを前向き志向というのかな?
昨日は、テレビのアンテナ線の工事をやってもらった。どこかに書いたが、この家、BSの信号が出ているのはリビングルームだけである。日曜日午後6時から、食卓でビールを飲みながら「真田丸」を鑑賞するのが生活習慣である私には、この視聴環境は不便極まりない。ために、リビングで2つに分けた信号をダイニングにまで届けてくれるアンテナ線の工事を御願いしてあった。御願いの先は、O氏のかつての同級生、Eさんである。
ま、工事の方はどうでもよろしい。壁に穴を開けてケーブルを通し、BSの信号をダイニングルームにあるテレビまで届けるだけである。10年前、私がもっと若かった頃なら、自分でもできた工事ではないかと思う。
話題はこのEさんである。彼、カーマニアであるらしい。それも、かつての名車をリストア、つまり動かなくなった車を整備して動くようにし、乗り回すのが好きらしい。いま手がけているのは、1972年製のポルシェ。
「へえ、車の整備はどこかで勉強したんですか?」
動かない車を動くようにする。並大抵の力量でできることではない。
「いや、そんなものしないさ。見よう見まねだね。こう、ばらしていくとね、ああ、ここがいけないんだ、って何となく分かるんだよね。だから、そんなところを磨いたり、部品を取り替えたりして元のように組み立てると、動くんだなあ、これが」
はあ、はらして磨いて組み立てると、動かなかった車が動く?
「でも、どうしても、何故これが動かないか分からない、とか、いったいここはどうなってるんだ、って頭を抱えることだってあるでしょう?」
「あるね。そんなときは、佐野にポルシェ博士がいるんだわ。趣味でポルシェばかりいじっててね。もともとは技術屋だから、技術のことにはめっぽう詳しい。それが趣味でポルシェをいじってっから、詳しいのなんの。それに人もよくてさ、『教えて』って頼むと、喜んで教えてくれるんだわ」
ははあ、その程度のことで、動かぬポルシェが動くか。
「こいつの前はねえ、1975年のポルシェをやってさ、それ、友だちがもっていって乗り回してる。返してくれないんだわ」
私、いい人と知りあいになったのかも知れない。BMWの次は、年代物のポルシェのハンドルを握るのかも知れない。
だけど、ポルシェは原則2人乗りだよなあ。荷物はほとんど積めないよなあ。だから実用性は限りなくゼロに近いよなあ。そんな、遊びにて徹した車に私が乗る? うーむ。
車を2台持てれば考えてもいいけれど……。
とりあえず、いまの車のリストアが完成したら乗せていただくよう御願いした。1年後には、1972年ポルシェで東北道を疾走、横浜に向かっているか?