2017
01.18

2017年1月18日 声

らかす日誌

珍しく、朝日新聞の「声」欄に目が止まった。一番下にある「どう思いますか」というコーナーである。12月24日に掲載されたNHK批判の投書に対する意見を、これもまた投書で募ったものである。

目が止まったのは、常々

「NHKは堕落した!」

と私が憤っているからである。ほほう、私のような人がほかにもいるのか、に興味をひかれた。

まず、このコーナーのきっかけになった投書氏は何を問題にしていたのか。

「民放の真似が目につきすぎる。真面目なテーマをお笑いにしたり、朝からセックスの話題を取り上げたり。さらにはニュースに効果音やワンフレーズを多用し、マイナースポーツは取り上げない。番組宣伝が多すぎるのもいかがなものか」(77歳)

なるほど。やや薄っぺらな感じもするが、そういうとらえ方もあるか。
これに対する投書は、多分、朝日新聞的バランスの表れなのだろう、賛否が1通ずつ、中間派が2通である。

まず、賛成から。

「お笑い芸人にはげっぷが出るし、多すぎる番組予告にもうんざりする。大河ドラマ、朝ドラは変わり映えしないし、紅白は金をかけたどんちゃん騒ぎに過ぎない。ナレーションも思い入れが過ぎていかがなものか」(75歳)

反対派は

「いまの番組は若者たちに親しんでもらう努力の現れ。見ると、誰にでも分かりやすく、核心に迫った番組が多い」(19歳)

中間派は

「それほど悪い番組ばかりではない。番組宣伝が多いのは問題だが」(62歳)

「朝からセックスの話題を取り上げるのは民放では無理。NHKだからできた真面目な番組だ。時間をかけて造ったドキュメンタリーなど良質な番組も多い。中には視聴者に迎合したような番組もあるが、NHKも時代に合わせた変化は必要なのである」(53歳)

もちろん、カギ括弧で来るんだとはいえ、それぞれの投書は私が勝手に要約したものである。趣旨はそれほど外していないと思うが、間違いがあったらお許し願いたい。

さて、それで、である。
最初に驚いたのは、年代層で見方が完璧に分かれていたことだ。きっかけになった投書は77歳。これに賛意を表した投書は75歳。ふむ、70の坂を越えた高齢者にNHK批判が多いらしい。
一方で、NHKは素晴らしいというのは19歳である。そして、いろいろあるけど、まあ相対的にいいんじゃないのという中間派は、年齢も中間の53歳と62歳だ。
唖然とするほど、年代で見解が違うのである。

NHKとしては、早めに視聴者でなくなる方々から批判を受けても、これから長く視聴者でいてくれるはずの年代から支持されているとすれば、これほどありがたいことはない。

「やった! 若者のテレビ離れを食い止める手を打ってきたが、それが当たった!」

てなものである。よかったね、NHK!

が、である。本当に喜んでいいのか、NHK?

私はいまの家に引っ越したのをきっかけに、受信料の支払いを始めた。その経緯はその頃書いた。それから4ヶ月。

「受信料の支払いを始めて良かったのか?」

という思いが日々募っている。番組の劣化が、そう思わせる速さで進んでいる、と私の目には映る。

見るのは朝7時のニュース、夜7時のニュース、それに大河ドラマと朝ドラのみである。見ようと思って見るのは大河ドラマだけで、あとは食事の時間だからテレビをつけておくだけだ。それも、同じ時間にやっている民放の番組がひどすぎるから、結果としてNHKにチャンネルを合わせているに過ぎない。その程度の視聴者である。
それでも、劣化の進み具合が分かる。恐ろしいところだ。

ニュース。あの思わせぶりな第一声は何のためか?

「○○さんはいまどこにいるのでしょう?」

と始めて、

「東京都世田谷区の▽▽さんの長女、8歳の○○さんが誘拐されてから、今日で3ヶ月。警察の必死の捜査が続いていますが、いまだに有力な手がかりは得られていません」

などと続く。恐らく、我々の耳を惹きつけるフレーズを冒頭に持ってきているつもりなのだろうが、聞いている(見ている?)方としては、

「一番大事なことから言わんかい!」

といらつく。

知事選や市長選が始まると、

「……などを巡って論戦が繰り広げられる見通しです」

という定型フレーズが、必ず出て来る。あなたの地元の首長選で論戦が繰り広げられるのを聞いたことがありますか? 私は、ない。あるのは、できるのかできないのか分からない、無責任と壁一枚しか隔てられていない公約の、一方的な乱発である。これを論戦というか?

「成り行きが注目されます」

というのもよく聞くフレーズだ。おいおい、これからどうなるかが気になるから、あんた、そこで取材しているんじゃないの? それね、「なりちゅう」原稿と言って、何かを語っているようで、実は何も語っていない。物書きは避けるべき表現なんだぜ! と突っ込みを入れたくなる私である。

未解決の事件のニュースでは、

「○○が▽▽して、■■が◇◇になった△△事件」(この▽▽、△△がやたらと長い)

という、無様な原稿が多出する。しかも、体言止めである。人は普通、離す時に体言止めは使わない。文字の世界では、体言止めが多い文章は下品である。
そんな文章を読まされるアナウンサーも大変だろう。時には

「これ、こう言えばもっと簡単、明瞭に表せますが」

と意見具申してもいいのではないかとすら思う。どいつも真面目なサラリーマンで、やってないんだろうな、そんなこと。

地方ニュースになると、もう何でもありだ。番組宣伝がニュースとして頻繁に登場する。昨年の大河ドラマ、真田丸では、群馬県にはゆかりの沼田市があるため、様々な真田丸関連ニュースが流れた。かと思うと、ローカルの観光案内が頻出する。

「何じゃこれ。NHKのローカルニュースって、広告枠なのか? まさか金は取らないだろうが」

とあきれ果てた私は、とうとう午後6時40分からのローカルニュースは見なくなって長い。この時間は夕食の時間なので、仕方なく民放にチャンネルを合わせるのである(これも、どこを見ても「酷い!」のオンパレードだが、本日の趣旨とは違うので触れない)。

出来そこないのドキュメンタリーがニュースの時間に放映される。

「地震です。落ち着いて下さい。まず火を消して下さい。津波の危険があります。火を消し終わったら直ちに高台に逃げて下さい」

などと、何度も繰り返される避難誘導。おいおい、修羅場にテレビを落ち着いてみているゆとりなんてあるのか?
そのフレーズが最初だけならまだ良い。だが、地震が起きて5分も10分もたっても同じフレーズを繰り返す。揺すられた人たちはとうに逃げてるって!
これ、どう考えてもNHKの自己満足でしかない。

ニュースに関してもの申したいことはまだまだあれど、さらに酷いのがドラマである。

朝ドラ。いま放映中の「べっぴんさん」は中学校の学芸会レベルである。何かというと、つぶらな瞳をカメラに向けるだけで固まってしまう主人公を始め、登場する俳優たちの演技のひどさは筆舌に尽くしがたい。輪をかけてどうしようもないのが、シナリオである。主人公を含めた女性たちの旦那連中はいつもつれだって同じ飲み屋で酒を飲み、愚にもつかない雑談を繰り返す。いや、雑談が愚にもつかないのはどこでも同じだろうが、話の中身を少し聞いていると、何故この人たちが、自分たちの会社を大きく育てることができたのか、全くの謎である。人としての教養、夢、覇気、戦略。企業を育てるのに必要だと言われる資質が、欠片ほども見つからないのだ。単なるアホウにしか見えないのである。

大河ドラマは、司馬遼太郎の作品と並んで日本人の歴史観を形作る。啓樹や瑛汰はいま、ドラマとしてよりも、歴史として大河ドラマを見ている。
ああ、それなのに、それなのに。これ、歴史か?

おんな城主 直虎」。これ、放映前から

「実在しなかった」

という指摘が出た。まあ、500年近く昔のことだから、分からないことも多かろう。一部の歴史資料によれば女であった可能性も捨てきれないのかも知れない。
だが、ドラマは直虎は女であったことで話が始まった。女でなければならないシナリオに沿ってである。
幼児の直虎には親の決めた許嫁がいる(いたのか?)。この小娘が、今川家に追われる立場となった許嫁を逃がす知恵の働きを見せる。という具合に話が進んでいるのだが、女であったことすら疑わしいとすれば、このあたりは全くの作り話ではないか。それでいいのか?
まあ、その程度は「ドラマ」なのだから、フィクションが紛れ込むのもやむを得まいが、前提となる事実関係が不明確だとしたら、この分はいったい何なんだ?
しかも、だ。この許嫁が今川に追われるのは、井伊家の重臣だった父親が、反今川の陰謀を企てたからだという。が、重臣が陰謀を企てたのに、なぜ井伊家は存続が許されるのか?
見ていると、素直にそんな疑問が浮かぶのである。それもドラマとして番組中で納得のいく説明があればいいのだが、ない。

昨年の「真田丸」も、これでいいのか、というシーンは多々あった。信繁があれほど淀君に気に入られ、迫られていたとしたら、秀吉には子種がなかったと言うから、秀頼の父は信繁なのか?
大阪城で大野治長の母親がやたらと政治にくちばしを入れる。大阪城に集まった浪人たちを信用してはならないとか、真田も裏切り者だとか軍議の席でやたらめったらしゃべりまくり、出城としての真田丸構想をつぶすのもこの女である。
あの時代、女がこれほど政治に口を出し、影響力を振るうことがあったのか? 周りの男どもは、それを黙って見過ごし、従っていたのか? 一方では英邁な君主だと持ち上げた秀頼が、結果的にはこの女に引きずり回されて墓穴を掘ったのはおかしいではないか? もしそれが事実なら、暗愚な君主でしかなかったのではないか?
という具合に、歴史としては突っ込みどころ満載の、ドラマとしても納得いかない愚作でしかなかった。

かつてNHKは優れたドラマを造っていた。「新宿鮫」は目が離せなかったし、若山富三郎を使った「事件」は出色のテレビドラマだった。

NHKは劣化している。ニュースでもドラマでも(ドキュメンタリーはまったく見ないが)、目で見えるほど劣化している。
私も、番組宣伝は多すぎると思う。チャラチャラしたお笑いタレントが出てきたら、テレビを消す。だが、そんなことより、組織総体の劣化を遥かに懸念する。
NHKよ、お手軽路線を走って何処に行く?

と書いてきて、ふと気がついた。
上で、NHKへの態度を年齢階層別で分類した。批判的なのは70代以上であった。ということは、私は67歳にしてすでに70歳以上の感性を持つほどに精神的老化が進んでいるのか? 私の頭脳は高齢化したのか?

いや、若さより透徹した判断力の方が大事であるぞ、と自らを慰める私であった。