07.18
2017年7月18日 限界
15日土曜日から横浜へ行き、昨日戻ってきた。
今回の横浜行きの目的は、一つは長男夫婦にやっと生まれた一粒種、あかりのお食い初めに出ることであった。
主役のあかりはまだ、乳離れができない。離乳食も始まっていない。そんな子の前に、赤飯や鯛の塩焼き、刺身などが並べられ、
「平安時代に始まった儀式でございます」
という儀式であった。
それぞれの食べ物をひと箸ずつあかりの口に運ぶ。運んでこられたって、あかりはそんなものには何の関心もない。口にくっつけられるだけでも嫌である。
要は、関係者が集まって昼飯を食うだけの儀式であった。
俺、俺の子のためにそんな儀式をしたことはなかったし、しようと考えたこともなかったのだが。ま、世代が交代しつつあるということか。
「そうなの。来るんだったらお願いしたいんだけど」
といったのは、横浜に住む次女である。瑛太の家庭教師を頼みたいというのである。
私は終生、塾というところに顔を出したことがない。学習はもっぱら自己流で進めた。塾に通うゆとりが我が生家にはなかったからである。
それに、当時は塾に通う子はそれほど多くはなかった。塾なんぞで無駄な時間を使うより、友だちと遊んでいる方がよほど楽しかった。
最近は違うらしい。塾に行っていない子の方が少数派に陥落したそうだ。夕方になっても、近くで子どもの声が聞こえないのは、社会の高齢化が進んでいるためだけではない。
で、5年生の瑛太も塾に通う。毎回のようにテストがあって、できなかった問題は塾で復習し、自宅でも復習する。塾での説明でも瑛太が理解ができない問題は、最近では母親である我が長女の手に余るらしく、私のもとにテスト問題が写真で届く。
「この問題を分かりやすく解きなさい」
という指令である。いわば、遠距離家庭教師で、しばらく前からの現実である。その遠距離家庭教師に、たまにはスクーリングしてほしい、つまり顔をつきあわせてやってほしい、というのが次女のリクエストだった。
算数の成績は最近、上昇傾向にある。が、できる分野、なかなかできない分野があり、瑛太は図形と順列・組み合わせを不得意とする。ここをクリアしたい。
ために、瑛太にはこの二つの分野の基礎問題からやらせた。基礎問題を解いて分野の全体像をつかんだらレベルが一段上の問題に進んで、考え方、解き方のパターンになれる。それが終了したら難問に取り組ませようという計画である。
いまのところ、中級レベルまでは自力で解けるようだ。とすれば、次回横浜を訪れたときは、上級クラスの問題を解かせてみることにしよう。上級問題になると、私も手こずるかもしれないが。
国語は、今回は手つかずであった。ただ、瑛太は字が読めるようになったときから本の虫である。とにかく読書が好きだ。ボスが来ると本をねだり、ボスが来ないと図書館に行って本を借り出す。時間さえあれば本を開く。このような子に、国語の問題が解けないはずがない。
見ていて、問題点は3つあることに気がついた。自分の言葉で説明することが不得手なことと、やや早とちりすること、それに読む本のほとんどが子ども向けの小説だということである。
さて、これをどうしたら良かろう。今回は書店に連れて行き、中高生向きの本を買い与えた。社会問題、地球の歴史など、分野は様々である。事実を積み上げ、論理を駆使する本を読むことに慣れさるためである。
また、芥川龍之介、太宰治などの本も買った。小説における人間心理の描き方、それも成人向きの小説での描き方に親しませるためである。
早とちりは、自分で修正するしかない。何度も失敗すれば自ずから身につくだろう。
文章力は自分で書かなければ身につかない。瑛太は面倒くさがり屋である。これも文章力を磨くにはマイナスだ。さて、どうしたものか。少し考えることにする。
で、だ。
せっかく横浜に、しかも2泊3日の日程で行ったのである。であれば、やらねばならないことがもう一つあった。ウッドデッキの解体だ。
13年前、美しく完成したウッドデッキ(見出しの写真をご覧じろ)ではあるが、その後なんの手入れもしなかったため、歳月がかなりの部分を腐らせてしまった。乗るとブカブカし、悪くすると踏み抜いてしまう。瑛太と璃子はこのウッドデッキのある猫の額ほどの土地で遊ぶこともあり、ここまで朽ちてしまったウッドデッキを放っておけば、怪我に繋がりかねない。ために、解体は数年前からの課題であった。
というわけで、まず15日土曜日、昼食を済ませると解体に取り組んだ。電動ドライバーで木ねじを緩めれば簡単に解体できると踏んでいたのに、やってみるとほとんどの木ねじがさびており、ドライバーが空回りする。どうやっても木ねじが外れないから、仕方なく力に任せて板を引きはがすしかない。
「私も手伝う!」
という璃子(アルバイト料を100円取られた)と作業に入り、およそ5分の3を解体したのが午後3時頃。出てきた板切れはまだ木ねじが残ったままのものが多い。このままでは危険なので電動丸鋸で切ってビニールのゴミ袋に詰めた。詰め終えたのが4時半頃か。
「今日はここまでにしよう」
と作業を切り上げたが、汗が止まらない。加えて、何だか足もとが不確かである。
屋内に入り、シャワーを10分ほど浴びて熱を持った身体を冷やした。出てタオルで身体を拭いたものの、それでも汗は止まらない。加えて、全身の疲労感は半端ではない。
「これ、熱中症!」
まあ、意識がはっきりしているから熱中症ではないだろうが、それでも立っているのさえしんどいほどの疲労感である。
バスタオルを1枚持ちだし、床に敷いた。その上に大の字に寝そべる。そう、この体調でできるのはこのポーズしかない。そのまま寝そべっていると、うとうとしてくる。瑛太は塾、璃子はスポーツ教室である。寝そべっていられるのはいましかない。
30分も寝そべっていたろうか、やっと生気が蘇ってきた。やがて璃子が戻ってきた。
「ボス、でんぐり返しやろう!」
立って、璃子の両手をつかむ。璃子は私の身体に足をかけて登り、くるりと1回転する。
まあ、これだけのことができるようになったのだから、少しは回復したか。
夕食を済ますと、今度は瑛太の勉強だ。塾から持ち帰った算数のテストで、瑛太ができなかったところを解きにかかる。ところが、だ。これが解けないのである。図形の面積比の問題なのだが、なんとも頭が動かない。塾の回答を見ても頭がついていかない。これで家庭教師か?
はあ、身体は何とか回復したものの、頭脳はまだ熱中症のままか?
翌日は「お食い初め」であった。2時頃戻り、瑛太と璃子は近くのプールに泳ぎに行っていたので再び解体作業を始めた。なにしろ、解体作業を瑛太と璃子の安全確保が最大の目的なのである。腐りかけたウッドデッキの5分の2を残しておいては、2人の安全は確保できない。熱中症になろうがどうしようが、やるべきことをやり遂げなくては目的は達せられなのである。
3時間ほどかかったろうか。ウッドデッキの残りもすべて木くずとなり、ビニール袋に納まった。
「風呂を沸かしてくれ」
前日はシャワーで済ませたが、それだけでは心許ない。こんな時は、やっぱり風呂である。ああ、日本人!
早めに瑛太、璃子と風呂に入った。瑛太と璃子は水鉄砲を持ち出して遊んでいた。こちらにはそんな元気はない。2人が遊ぶのを見ながら、ひたすら湯船に身体を沈めた。
不思議なことに、この日は前日ほどの疲労感は残らなかった。瑛太の算数の問題も解けたし、瑛太と将棋もできた。
なまった身体が、前日の激しい労働で少しは動くことに慣れたのか?
という次第で、昨夕、桐生に戻った。日誌を書こうかとちらりと考えたが、おっくうでやめた。2日目には労働に多少は慣れたとはいうものの、身体と脳の底の方には、疲労が蓄積していたらしい。
ウッドデッキを作ったときは、こんな疲労感はなかったけどなあ、と思う。だが、これがいまの私の限界であるらしい。
あれから13年。身体は、脳は、13年分、間違いなく老いているということか。
とはいえ、今日は日誌を書いている。これから飲み会に出かける。その程度の疲労、で済んでホッとしている68歳である。