08.07
2017年8月7日 宴の後
祭が、終わった。
やっと、終わった。
終わって、疲れが残った。
夏の盛り、3日に渡った祭。
「お疲れ様」
今日は、会う人ごとに言葉を交わした。
「お互いに無事で乗り切れて……」
言外に、同病相憐れむそんな意味がたっぷりと込められている挨拶である。私にはそう思えた。
私は3日間、ひたすらカメラマンだった。祭の全てを画像として残す。
と力んではみたが、何しろ初めての桐生祇園祭体験である。誰が、何を、どこで、どうするのか。まったく分からない中で写真を撮り続けた。いや、そこまでは関係者の方々に教えていただいても、現場で何が起きるのかは見てみなければ分からないことが多い。なじんでおれば
「次はこんなことが起きるから、シャッターチャンスはこことあそこ」
と見当がつく。なじみがない私は、とにかく現場に付き従い、
「これ、写しておいた方がいい」
とその時々で判断し、シャッターを押す。どうしても遅れる。撮影位置も行き当たりばったり、である。
これで、いい写真が撮れるわけがない。
祭の山場は夜に来る。宵闇に提灯の灯りが浮き立ち、みごとな鉾を照らし出す。
「これは撮らなきゃ」
だが、夜の写真は難しい。フラッシュなしで撮ると、シャッタースピードを極限まで落とさねばならない。三脚でカメラのブレは防いだとしても、被写体の動きは止められない。結果、ぶれた写真になる。
では、とフラッシュを使う。これも難物だ。鉾だけでなく群衆も写真に収めたいのだが、フラッシュをたくと光量は手前の人たちが基準になり、遠くにある鉾までは届かない。鉾を引く人たちを撮るのも同じで、手前の人ははっきり写るが、離れるにつれて光が届かず、画像が潰れてしまう。ひょっとしたらうまい撮り方があるのかもしれないが、遺憾なことに私には知識がない。
よって、鉾は鉾だけに狙いを定めなければ綺麗な絵にはならない。引き手は横に並んだ写真にしなければうまくない。奥行きのある構図ができないのである。
ということで、さんざん焦りながら1200枚ほどの写真を撮った。
もっと困らされたのが、体力の限界である。
おそらく1㎞もないカメラを提げてひたすら歩く。何でもないことのようだが、晩年にさしかかった身体には響きすぎるほど響く。
それでなくても、私は汗っかきだ。幸い日差しは3日間弱かったものの、3時間もたつと下着からパンツまでぐっしょりになる。タオルも、1時間も使えば乾いたところがなくなり、あとは何度も水洗いして首に巻く。時には頭からかぶる。
それでも、時折立ちくらみ状態になる。慌ててしゃがみながら
「おお、これが熱中症の初期症状?」
と何となく納得する。
夕方にはぐったりである。
夏祭り 体力勝負を生き抜いて
初日、自宅には夜11過ぎに戻った。シャワーを浴び、布団に入ると11時半。本を読む気力も残っておらず、1分もしないうちに寝入った。驚いたことに、夢すら見なかった。
2日目、戻りは11時半。シャワーを浴び、少しだけ本を読んで寝た。驚いたことに、この日は夢を見た。中身は起きた瞬間に忘れたが。
そして昨日が最終日である。戻りは午後2時過ぎだった。ホッとして、エアコンで冷やした部屋で身体をいたわった。いたわりながら1200枚の写真を整理したのは言うまでもない。整理しなければ、カメラマンとしての私の仕事は終わらないのである。
今日、1200枚の写真をUSBメモリーに入れ、町会長さんに無事届けた。町会長さんのパソコンで見ていたら、とんでもないピンぼけ写真が結構あった。フラッシュが電池切れ間近で、カメラに連動して光らなかったためらしい。
ふーっ、こんなカメラマンで良かったのかね?
町会長さんは
「こんな記録写真を残すのは町会で初めてです。画期的です。おかげさまで、みんな喜びますよ」
といってくださったが、ふむ、こんなカメラマンで良かったのかね? と私は反省することしきりである。
まあ、終わったことは終わったこと。今更反省したって覆水は盆には返らない。
と割り切って、いつものように開き直る私であった。
というわけで、今の私は世の中の動きに暗い。安倍政権も小池チルドレンもトランプ氏も関心の外である。
そういえば、四日市の敬樹がショートショートをメールで送ってきた。手を入れてくれ、という。何でも、塾の宿題なのだそうだ。
泥棒一家に生まれた少年が更生するストーリーである。立ち直るきっかけは、見知らぬ老人が食べさせてくれたパン。なかなか良くできている。
これをお読みになった我が妻女殿は
「すごい才能じゃない! パソコンを買ってやらなくちゃ」
とお叫びになった。
つい先日、近いうちにデスクトップを買うので、今使っているMacBook Airを敬樹に譲ると宣言したら、むくれていた方と同じ人物とは思えない豹変ぶりである。
ただ、敬樹もまだ中1だ。日本語の使い方に気になるところがある。送ってきた原稿に(注)を入れて送り返した。それに基づいて直した2回目の原稿にも(注)を入れて、今日送り返した。
少しずつ良くなっている。良くなる可能性がある原稿に、私は手抜きをしない。とことんまで(注)を入れてやろうと思っている。
敬樹、とことんまでついて来るのだぞ。