2017年8月23日 家庭訪問

らかす日誌

昼飯を終えてパイプたばこを楽しむために駐車場に出ていたら、訪問客があった。

「あのー、すいません。ちょっとよろしいですか」

振り返ると、若いお巡りさんだった。年齢はまだ30前か。

「うちの駐在所のものがお訪ねしたことはありましたでしょうか?」

そういえば、ここに引っ越してほぼ1年になる。早いものだ。だがこの1年、お巡りさんの訪問を受けたことはない。1年間も罪を犯さずに過ごしたわけだ。

「そういえばないねえ」

 「そうですか。私、この春からここの駐在所勤務になりまして、早くお訪ねしなければと思っていたのですがなかなかそうもできなくて」

駐在所のお巡りさんの家庭訪問であった。

駐在所の基本的な任務の一つに、管轄内の各家庭の状況を把握することがある。警察として町の隅々まで監視の目を行き届かせるためだろう。
国家権力による監視。住民としてはありがたくないが、かつてはこの任務がきちんと遂行されていた。派出所は、警察は、管内の各家庭の状況を、家族構成から思想傾向までつぶさに把握していた。お巡りさんが各家庭を1軒ずつ回り、雑談を装って旦那の勤め先、仕事内容、組合運動をしているかどうか、息子は左翼、あるいは右翼運動に携わっていないか、聞き出していた。
だから、選挙になると警察は事前に票読みができた。自民党支持者がこの程度、社会党(当時は、こんな名前の政党がありましたのです)、共産党、民社党、それぞれがどの程度の票を集めるか。ちゃんとした警察は、10票単位で事前予測ができた、と聞く。

しかし、世の中は変わった。警察は票を読めなくなった。いまや自民党も民進党も、いっていることが似通っている。だから、雑談程度ではどちらを支持しているのか把握しづらい。それに、何を考えているのか分からない私のようなものが増えた。警察にとってはなかなか難しい時代なのだ。
いや、それよりも、自治体の財政悪化で人員削減が進んだことが大きいのだろう。削減は警察組織の末端である派出所に大きく響き、常駐のお巡りさんはいない派出所がずいぶん増えた。警察は手足をもがれたようなもので、日常調査までは手が回らない。

「そう、ここの勤務になったの。でも、派出所のお巡りさんって、もうほとんどいなくなったんじゃないの?」

そんな会話から雑談が始まった。おっ、これは私の思想傾向を警察が把握しようってか? なーに、相手は若造である。若造相手にしっぽを出すようなドジでは、私はない。

彼は白バイに憧れて警察官になったのだそうだ。願い通り7年間白バイに乗った。挙げ句、白バイ隊員の最古参になり、

「派出所勤務もいいかも」

と書いた書類を出していたら、我が家の近くのここに転勤させられたのだという。

「そう、白バイだったの。そういえば、白バイにはずいぶん長いことお世話になってないなあ」

私は、交通法規をきちんと守るドライバーではない。だから、ハンドルを握っている間はパトカーと白バイには人一倍注意する。サイドミラー、バックミラーでの監視を怠らない。

「来た!」

と気づいたら、速度を落とす。私の得意技である。

 「でも、取り締まりって不公平だよねえ。見つかればつかまるけど、見つからなければ大丈夫。つかまるのはほんの一部だから、世の中には違法運転しているドライバーが溢れていることになる」

 「そうなんです。私は白バイに憧れたんですが、取り締まりをやりたくて白バイに乗ったんじゃないんです。結果的に取り締まりをやらなくちゃならないことに気がついて、これは困ったな、と」

 「へーっ、珍しい白バイだったんだね。でも、やっぱり捕まえたんだ」

「私は、できるだけ捕まえないようにしたんです。でも、署を朝出るでしょう。昼に戻って1台も捕まえてないと、『お前、仕事をしてるのか!』って怒る上司がいるんですよね。いや、よく考えたら、1台も捕まえずに戻った方がいいわけですよ。だって、みんなが交通法規を守って走っていて、違反車両が1台もいなかったということですから。でも、捕まえないと仕事をさぼっていると疑われてしまう。まあ、上司によるんですが、なんか変ですよね」

おや? なかなか話の分かるお巡りさんではないか。物事をきちんと考える下地ができている。

「まあ、仕事の意味を考えず、とにかくノルマ、ノルマ、っていうヤツは、警察だけでなく、どこにでもいるよ。むしろそっちの方が多くて、加えて、そんなヤツに限って出世する。私が勤めていた会社だって警察と大同小異さ」

「そうですか。世の中、そんなものですか。いわれてみれば、なるほど、と思えますけど」

 「君、偉くなりなよ。偉くなって、1台も捕まえずに戻ってきた白バイを褒めてやる、型破りの上司になりなさいよ。いや、なってくださいよ。世の中、少しは良くなるぜ」

 「いやー、私なんかが偉くなるはずはありません。申し訳ありませんけど」

「ねえ、あの東芝だって、物事の理屈を考えない、自分の利益のために目先をごまかすことばかり考えるヤツが偉くなったからあんなになっちゃったでしょう。偉くなれなかった奴らの中には、あなたのようにきちんと物事を考える人たちがたくさんいるはずなんだけどねえ。そんな人がいるから、東芝は大きな会社になったんだが、困った連中がそれを食いつぶしちゃった。あなた、偉くなりなさい!」

 「……」

若いお巡りさんは20分ほど雑談をして帰って行った。
初対面。しかも、どちらかといえば敬遠したい職業のお巡りさん。そして、外気温は32.5℃

その割には、彼の後ろ姿を見ながらすがすがしい思いに満たされた今日であった。