10.08
2017年10月8日 またまたパエリア
とあるご町内に頼まれ、今日はパエリアを作った。80人前である。
そのご町内とは、仕事を通じて仲良くなった。パンフレットの作成と、夏祭りの写真撮影を、こともあろうか、私に依頼してこられたのだ。当然ながら
「私でいいんですか?」
と確認してお引き受けした。この夏のことだ。
「で、大道さん、10月8日にパエリアを作っていただきたいのですが」
とお声をかけてこられたのは町内会長さんだ。
「もう60年も仕舞いっぱなしになっている祭り用の屋台が使えるかどうか、町内で点検作業をするのです。その日の昼食に、と思っているんです。集まるのは30人ほどですが、お土産に持っていってもらいたいとも思っているので、できるだけたくさん作っていただけると助かります」
この町内会長さん、夏の仕事が縁となって「らかす」をお読みいただいている。どうやらそこから、私がパエリアを作ることをお知りになったらしい。
「はい、私、あのパエリアが食べてみたくて」
とまでいわれて断る勇気を私は持ち合わせていない。
「いやあ、桐生でも何度か作ったのですが、いつも失敗と紙一重でして。それでよろしければ」
依頼されてまず逃げを打つ。私の常套手段である。
ということで、本日は我が妻殿も駆り出し、ご町内の女性軍のヘルプも受けながらパエリアを作った。50人前の鍋と30人前の鍋を同時に作る。私としては初めての取り組みである。
出来上がったのは、もう1時近かった。試食した限り、できは60点から70点である。減点分はやや水が多かったらしく、水っぽく仕上がったこと。加えて、50人前の方は塩がやや甘かったことである。
にもかかわらず、皆さんには大変喜んでいただいた。紙皿で食べていただいたのだが、ほとんどの方がおかわりを所望され、中にはなんと3回もおかわりされた方までいらっしゃる盛況で、80人間前のパエリアは、3人前を残して完売した。
素人シェフとしてはこの上ない喜びである。
かかった材料費は約2万7000円。80人前のつもりで作ったから1人前で約340円の材料費がかかったことになる。商売としてこのパエリアを販売すれば、少なくとも1人前800円から1000円はいただかなければ採算に合わないはずである。
だから皆様には安価に豪華な昼食を楽しんでいただいたというべきか。それとも、60点から70点の自己採点だから、出費と見合った昼食を食べていただいたと考えるべきか。
にしても、九州生まれの山猿が、何でこんなに桐生に溶け込む? 桐生も山に囲まれた土地だから、桐生の方々も私と同じ山猿の一種なのかな?
そうそう、戻りに、町内会長さんから、材料費はもとより、法外な調理料をいただいた。想定外の収入である。この場を借りて厚く御礼申し上げる。
今朝のNHKニュースを見ていて、目頭が熱くなった。知性の衰えが目立つNHKにしては、実に素晴らしいレポートを見せてくれたからである。
塗魂ペインターズ
登場した彼らのグループ名である。要するにペンキ屋さんの集まりなのだが、この方々がボランティアでリトアニアに赴かれた。そこには、第2次大戦中、ナチスの圧迫を受けた約6000人のユダヤ人を日本に逃がし、いまでも人道主義の鏡として我々の記憶に新しい杉原千畝がいた大使館がある。ずっと保存されているのだが、老朽化が進んでいる。それを知った塗魂ペインターズが
「じゃあ、俺たちが塗り直してやろうじゃないか」
と出向いたというレポートである。
いい話である。日本人であることを誇りたくなる話である。だが、なのだ、お立ち会い。私の涙腺はその程度の「善行」で緩むほど柔ではない。それだけの話であったら、
「ふーん」
で終わっていたはずである。感動したのはその先なのだ。
塗魂ペインターズ。彼らは落ちこぼれの集団だというのである。一人はヤクザの準構成員だった。一人は暴走族を率いていた。紹介されたのはその2人だけだが、おそらく、ほかのメンバーも似たような経歴を持っているのだろう。
その彼らが、身銭をきってリトアニアまで出かけ、ペンキの刷毛を握って嬉嬉として働く。
「俺たちねえ、ずっと認められたいって思っていたと思うんですよ。いまこんなことやってるでしょう。そうすると、みんな認めてくれるんです。それが嬉しくて。ああ、他の人から認めてもらうってこんなに嬉しいことだったのか、って。ねえ、俺たち、悪してたときは誰も認めてくれなかったもんねえ」
いや、テレビで見たのだから、正確に記憶しているわけではない。「 」で紹介しながら
「ん? 彼らはこんなことまで言ったっけ?」
といぶかりながら書いているのだが、私の記憶にはそういう風にすり込まれている。
人は、人に認められたい生き物である。褒めてもらいたい生き物である。認める人がおらず、褒めてくれる人もいなければ、生き方が荒れる生き物なのである。
悪からの生還。おそらく悪から足を洗おうと職業を探し、ほとんど選択肢がなくてペンキ屋になった人たちである。
その彼らに、誰かが知恵を授けた。人に認めてもらえる働きをしてみなよ、と。そこで、ボランティアのペンキ塗りをやってみた。喜ばれた、褒められた、認められた。
「ここに、生きていける場所がある!」
と気がついた。
そして、生きることが楽しくなった。
リトアニアで懸命に壁塗りをするそんな彼らの瞳の輝きが、私の涙腺を緩ませたのであった。
塗魂ペインターズのホームページにリンクを張った。クリックして、是非訪れていただきたい。