2017
11.02

2017年11月2日 自衛隊

らかす日誌

自衛隊をテーマとして追いかけ続けているルポライターに、杉山隆男さんがいる。
私はガキの頃から平和憲法擁護派で、日本は軍隊など持つべきではないと考え続けてきた。自衛隊とは軍隊が名前を変えただけのものであってみれば、私の立場からは自衛隊などない方がよろしい存在であり続けた。

それなのに、何故か杉山さんの

「兵士に聞け」

「兵士を見よ」

など、一連の自衛隊ルポを読み続けている。己の主義主張に沿わぬ自衛隊を何故知ろうと思ったのか、今となっては記憶にない。ひょっとしたら、

「否定するには、否定するものの中身を知らねばならない」

などと、殊勝なことを考えたのかもしれない。あるいは、

「思考の幅を広げるには、好ましくないものも知らねばならぬ」

と、自己形成を目指したのかもしれない。

「どうせ詰まらぬ本だから、読んでこき下ろしてやる」

戦闘意欲に駆られていたか。

いずれにしても、最初の1冊を読んだ。多分、もう10年以上前のことだと思う。ページをめくると、まったく知らなかった自衛隊の姿があった。それは、かつてのにも例えたくなる、美しく立派な人たちの集まりであった。

杉山さんが書いている自衛隊が、自衛隊の全体像だとは思わない。23万人近い大所帯である。有象無象の集まりでもある。普通の会社にも、優良企業と呼ばれるところにもどうしようもない奴らは一定割合いる。だから自衛隊にも、箸にも棒にもかけたくない隊員もいるはずである。
それでも、だ。杉山さんが描き出した自衛隊員も存在していることも確かである。

杉山さんの著作で、私の自衛隊感は完全に変わってしまった。それだけでなく、彼らの美しさに、読むたびに涙を誘われるようになった。元左翼がそのように変身し、杉山さんの新刊を待ちわびるようになった。

兵士は起つ」(新潮文庫)

2015年8月の発行である。多分、出版されてすぐ、中身も確かめずにに買ったはずだ。いままで読まなかったのは、

「読むとまた泣いちゃうからなあ」

と、自分でブレーキをかけていたからである。
だが、積ん読期間がずいぶんたった。そろそろ読もうかな、と手に取ったのは10日ほど前のことである。

兵士が起つ。ずいぶんとおっかない題名である。クーデターを起こそうという集団が自衛隊にいたのか? いや、少なくともそんな報道は目にしたことはない。では、海外派兵のルポか? いや、イラク派遣は「兵士に告ぐ」のテーマの一つだったはず。じゃあ、何だ?

そんなことを思いながら、読み始めた。
これは、東日本大震災という未曾有の災害に直面した自衛隊員のルポであった。

あの日からすでに6年半が過ぎた。被災され、いまだに元の暮らしに戻れない方々には申し訳ないが、これだけの時間がたつと、あの天災があったことを思い出すことがずいぶん少なくなる。時折のニュースで被災者の姿に接し、

「そういえば」

と記憶を新たにする程度である。冷たく、つれないようであるが、多分、人間とはその程度の記憶力しか持ち合わせていないのだと思う。それとも、これは私だけの特性か。

その私に、「兵士は起つ」は、地震と津波の恐ろしさをまざまざと思い起こさせた。これまでのどんなニュース、どんな報道番組より、ありありと私に地震と津波を体験させてくれた。

「兵士は起つ」は、1000年に1度の大災害に直面した自衛隊、被災地に駐屯していた自衛隊員達が大災害に立ち向かった姿を追ったルポルタージュである。

2011年3月11日、大地が立っていられないほど揺れた。次は津波が来る。

「別命なくば駐屯地に急行せよ」

それは震度6以上の地震に見舞われた時の自衛隊員の行動基準なのだそうだ。
海から約2㎞離れた場所にある陸上自衛隊多賀城駐屯地(宮城県多賀城市)の隊員達は、一糸乱れず行動を開始した。バイクで、車で駐屯地に向かう。だが、非難の大渋滞に巻き込まれ、動くに動けない。そこに津波が押し寄せる‥‥。

津波の濁流に巻き込まれ、身体の芯まで凍えそうな海水に翻弄されながらも、自らを省みず人命救助に力を尽くす隊員達。
何とかたどり着いた駐屯地から、何度も何度も救助に出動する隊員達。
携帯電話が繋がらず家族の安否がわからない。一刻も早く家族の元に駆けつけたい気持ちを押し潰して遺体の捜索に尽力する隊員達。
そして、壊れてしまった福島現島原子力発電所との闘いに出動する隊員達。

読み進みながら、肌が泡立つほどの恐怖感を味わい、隊員達に深々と頭を下げたくなる。そして自問する。

「あの日、あのとき、私がそこにいたら、私は彼らと同じことができたか?」

彼らは自衛隊員である。国土と国民を守るのは彼らの仕事である。だが、「仕事」の一言で、彼らが現実に展開した活動を現すことができるか? 私は、仕事の一言で、自らの命、家族の安否確認を捨てて、寝る間もないほどの救助活動、遺体の捜索、原発への注水に身を挺することができたか?

この人達、私とは別種の人間ではないのか?

そんなことを何度も考えさせられた本である。

あの災害を忘れないために読んでいただきたい。
人間の美しさを確認するために読んでいただきたい。

無論、読んだからといって自衛隊を容認する考えを持つ必要はない。日本の平和を維持するために自衛隊は邪魔者だという考えを持ち続けてもいいのである。

だが、自衛隊とは、こんな人たちもいる組織である、ということを知ることは決して無駄にはならないはずだ。

そうそう、読みながら我が国のマスメディアのどうしようもなさをまた一つ思い知らされた。
被災後、混乱に乗じて盗みを働くような不届きものはまったくいなかった、と報じたのはマスメディアであった。それが

「我が国でこのようなことが起きたら、必ず集団窃盗、暴動が起きて社会の秩序が乱れる。日本は凄い国だ」

という、海外からの日本礼賛報道につながった。

ところが、なのだ。「兵士は起つ」によると、被災直後の被災地では、やっぱり盗みがあった。捜索に入った自衛隊員は、コンビニから食料や水を持ち出す住民の姿をいくつも見た。

「きっと、あとでお金を払いに来るんだ」

と自分を納得させようとした隊員がいた。

「食料も水もないこんな時だからなあ‥‥」

と、呆然と見ていた隊員がいた。

被災後、マスメディアは、いったい何人の取材記者を被災地に送り込んだのだろう。現地で取材した記者達は、盗難が起きている事実を知らなかったのか? 取材はしたが、遠慮して書かなかったのか?

数百人、ひょっとしたら数千人のマスメディアの連中が見逃したため、誤った情報が海外にまで伝わった。それをたった一人の杉山隆男という取材者が正した。

誤った情報で上がった日本株は、正しい情報が世に出た瞬間に急落する。その程度のことも考えない連中が

「私はジャーナリスト」

と思い込んでいる。

情けないことになったものである。