2017年11月11日 差集め算

らかす日誌

昨夜、いつものように映画鑑賞にふけっていたら、突然iPhoneが鳴り始めた。手に取ってみると瑛太である。

「瑛太、どうした?」

「ボス、あのう、いいお知らせがあります」

「いいお知らせ? 何だ、それ?」

「あのね、塾の算数のテストで100点を取りました。1番でした」

どうして電話では瑛太の言葉は敬語になるのか。瑛太の不思議な現象だが、それはそれとして、瑛太、でかした!

よくやった。がんばったな。100点は瑛太だけか?」

「あのねえ、もう一人いたんです」

「それでも瑛太、100点だったら1番だもんな。最近、算数の調子が上がってきたな」

という会話を紹介するだけなら、単なる自慢話である。なので、もう少しお付き合い願いたい。

会話を終えて、私は再び映画を見始めた。英国映画「ブラインドサイト」(チベットに住む盲目の子ども達が、チョモランマの隣にある標高7000mの高山に挑むドキュメンタリー)を見終わり、寝るにはまだ時間があったので「アイ・アム・キューブリック!」を見始めたら、再び瑛太から電話が来た。

「あのう、ボス。分からないところがあります。教えてください」

日頃瑛太には、

「自分が何を分かっていないか、が分かるようになることが勉強の始まりだ」

と諭している。ソクラテスを引きずり出して

無知の知

を論じるためではない。
自分にできないのは何なのかが分からなくては、何を勉強したら良いのかを自分で判断することができないからだ。できないことを自分で探し出し、それが分かるようになるにはどうしたらいいかを考えて、実行する。少なくとも私は、そのように勉強したし、いまは、分からないことは人に聞くことを実行している。これも、分からないところを自分で見つけ出さなければ実行不可能なのである。

だがこれまで、瑛太は

「○○がわからない」

といってきたことはなかった。瑛太のテストの答案を見て、間違っているところを手がかりに

「瑛太はこれが分かっていないのではないか」

とこちらが判断して勉強させるしかなかった。
その瑛太が、自分が分からないところを教えてくれという。

「何が分からないんだ?」

「サアツメザンが分からないんだけど」

「サアツメザン? 何だ、それ?」

サアツメザン、初耳である。

「どんな字を書くんだ?」

瑛太の解説では、「差集め算」と書くらしい。普通、漢字で書けば何となく分かるものだが、これ、漢字で書いてみてもまったく分からない。が、瑛太が頼ってきたのである。応えねばならない。

「どこが分からない、っていえないんだ。なんか、全体がモヤモヤしていて、差集め算のどこが分からないかがよく分からなくて」

ふむ、塾の授業で教えられて、練習問題を解かされて、家に帰ってテキストの問題を解いていて、頭の中がすっきりしないらしい。

「よし、その問題を送ってこい」

映画を途中で放り出し、ネットで差集め算を検索した。何でも、数値の問題を図形の面積に変換することで解く手法らしい。へーっ、そんなもん、俺やったことないけど、塾っていろいろなことを教えるんだなあ。どうせ教えるんなら、生徒がちゃんと理解するように教えればいいと思うのだが、そこまで手が回らないってか?!

例えばこんな問題である。

「A君は毎朝8時に家を出て学校に行きます。毎分75mの速さで行くと始業時間より4分早く学校に着き、毎分50mで行くと学校の手前75mの地点で始業時刻になります。学校から家までの距離を求めなさい」

差集め算を知らない私は、これを方程式で解く。

始業時間を8時x分とすると、

75×(x-4)=50x+75

これを解いて x=15
75×11=825

である。
ところが差集め算は、これを面積で解く。縦軸に時間、横軸に速度をとり、速度75で歩いた時、縦軸をxとして四角形を作る。この面積が学校までの距離になるわけだ。
この図に、速度50、縦軸15の四角形を重ねる。しかし、こちらはまだ学校まで到達していない。だから、この細長くなった□の上に、面積75の四角を継ぎ足す。これでやっと学校までの距離が面積になった。
ここまでの図を描くと、二つの重なった四角形が共通部分とはみ出した部分に分かれる。速さ75の四角形の右側にはみ出した部分と、速さ50の四角形の上にはみ出した部分は同じ面積になる。
ということで解いていく手法を差集め算というのだそうだ。

ポイントは、

(速さ)×(かかった時間)で出てくる距離を、面積に置き換えたところだ。
瑛太に送る答案には、しつこいほどこのポイントを指摘した。

今朝電話をしたら、

「うん、分かった」

といってくれた。

またまた書き方がしつこくなったかもしれない。だが、お伝えしたかったポイントは離さなかったはずである。

子どもはぐんぐん成長する

それが本日のポイントなのである。
自分が何を分かっていないのかが表現できなかった瑛太が、自分で分かっていないところを自分で見いだし、私に向かってきちんと表現できた。先週末に横浜へ行った時はできなかったことだ。これは瑛太の知的成長なのである。

恐らく、私も同じようにして成長してきたのだろうな、と思いつつ、瑛太のさらなる成長を願う私であった。

だが、だ。だんだん算数も難しくなってきた。私、いつまで瑛太の師であることができるのだろう?