08.02
川場村の釣り堀は、どの池を選んでも入れ食い状態であった。
夕刻、5時半になって、今日は昨日の続きを書くと約束していたことを思い出した。午後7時には、今日から始まった桐生祇園祭に行かねばならぬ。間に合うか……。
旅行2日目の7月29日、次女一家は朝からキャニオニングに出かけた。キャニオニングとは初めて聞く言葉だが、川遊びの一種らしい。戻ってきた璃子に聞くと、岩場から2メートルほど下の川に飛び込んだり、川の流れに身を任せて流れ落ちたり、を楽しんだとのことだ。夏休み中はファミリーコースしかなく、
「物足りなかった」
とは戻った璃子の言葉である。現場でもそう口走ったのだろう。
「秋になったら一般コースを始めるから、また来てね」
と営業をかけられたそうである。璃子、後生畏るべし。
正午前、キャニオニングを終えた次女一家とホテルで再び合流。さて、午後は何をする? 璃子と瑛汰の次のリクエストは魚釣りである。川場村にある釣り堀がターゲットだ。
にしても、もう昼である。
「昼飯、どうする?」
再び運転手に戻った私は聞いた。
「キャニオニングの人に聞いたら、なんか、美味しい蕎麦屋さんがあるんだって」
ということで、再び山道を走ってその蕎麦屋へ。「か○○」という店だったと思う。人里から離れた山中にあるにもかかわらず車がたくさん駐車し、満員で順番待ちが出来ている。
「へー、こんな蕎麦屋もあるんだ」
と中に入って私たちの順番を待つ。待ちながらパンフレットを見て少し不安になった。「へぎそば」とあったからだ。「へぎそば」には苦い記憶がある。
仕事で長岡市に行ったときだった。昼頃着き、まずは腹ごしらえをしなければならない。しかし、初めて訪れた町であり、何を食べたたらいい思いが出来るのか分からない。せっかく長岡まで来たのだから、地元の美味いものを食いたい。そう思って、なぜか駅前の交番で聞いた。
「と思うんですが、長岡では何を食べたらいいですかねえ?」
さすがにお巡りさんである。自分の味覚をひけらかすようなはしたない真似はしない。特定の店を推奨するような、公務員にあるまじき振る舞いもしない。実に公正・中立な立場で、言い換えれば味も素っ気もない態度で答えてくれた。
「長岡の名物は、一応へぎそば、ってことになってるんですよね」
であれあば「へぎそば」なるものを試さねばなるまい、と私は考えた。近くにあるへぎそばの店に入り、へぎそばを注文したのである。
はっきり言って、不味かった。そうか、長岡の方々は、このような食べ物を名物とされておるか。それから「へぎそば」は避けるべき食べ物として私の記憶に刻み込まれている。
その「へぎそば」である。大丈夫か?
食べ盛りの瑛汰と璃子がいる。蕎麦。各人1人前では足るまい。しかし、写真を見るとかなりの大盛りである。であれば
「とりあえず6人前にするか?」
やって来た女店員にその旨を告げた。
「6人前? 少し多いのではないですか? とりあえず人数分の5人前にしていただき、足りなかったら追加注文していただければ」
理にかなった説明である。そうした。野菜天ぷらもエビ天も
「それぞれ1人前で十分だと思いますが」
というのでそうした。やがて、次々と注文の品が運ばれてきた。
そばは5人前が同じざるに乗せてある。山盛りのそば。壮観である。
早速箸をつけ始めた。2、3口食べたとき、前に座った璃子が私を見た。目が話している。私の目には
「これ、美味しくない」
と聞こえた。それで私は、首をひねってしかめっ面をした。
「うん、不味い」
というメッセージを送ったつもりである。璃子は頷いたように見えた。
減らない。山盛りの蕎麦がなかなか減らない。6人前頼むつもりで5人前にした蕎麦が、一向に減らない。見ると、全員がなんだかうんざりした顔をしている。
「天ぷらは美味しいね。璃子もエビ天食べてみろよ」
蕎麦は残ったままである。箸の運びも途絶えた。
「いいわ。食べられないんだったら残そう」
というわけで店を出た。車に乗った。珍しく、全員の意見が一致した。
「不味かった!」
私が付け加えた。
「そばつゆは鰹出汁って書いてあったけど、塩の味しかしなかった。色つき塩水だなあ」
このような山中の蕎麦屋が流行る。世の中とは不思議なものである。
車を川場村に向けた。一路釣り堀を目指す。高速は使わず、くねくねと曲がった田舎道を走った。やがて沼田市に入り、渋滞を抜けて著名な「川場村田園プラザ」という道の駅を通り過ぎ、しばらく走ると着いた。
「さあ、璃子、釣りをしよう!」
貸し竿200円、餌が300円。ただし、釣った魚は放してはならず、すべて持ち帰る、とある。持ち帰るには重量を量り、自分で釣った魚を買い取るシステムである。
ふむ、璃子と瑛汰にはたくさん釣らせたい。しかし、今夜もみなかみで泊まるのである。魚を持ち帰ったら腐ってしまう。であるから、釣れる魚は少ない方がいい。あちらを立てればこちらが立たず、というはた迷惑なシステムだが、仕方がない。
「ねえ、どの池が食いが悪い?」
できるだけ釣れる魚を減らし、持ち帰る魚を減らす作戦に私は打って出た。腐る魚を思えば、それしか選択肢はなかった。
「ええ、この池はみんなが釣るんで魚がすれているから、食いが立ってないですよ」
そうか、狙いはこの池か。
「璃子、この池で釣ろう」
璃子の竿に餌をつけてやる。左手で竿、右手で針を持って池の縁まで行き、針を池に入れる。それまで針を持っていないと、思いもかけないところに針がかかって怪我をする。そう注意して璃子をリリースした。釣れないと文句を言い始めたら、釣れる池に移って1、2匹釣らせる。そしてこの池に戻る。それが私の立てた作戦であった。
璃子、1投目。釣り竿を始めて持つ璃子はぎこちない。針がなかなか思ったところに行かない。
それでも、なのだ。数秒後、私は叫んでいた。
「おっ、璃子引いてるぞ! 竿をあげて!」
みごとに空振りだった。横では瑛汰が釣りの準備中である。
璃子の針に餌をつけてやり、2投目。
「あーっ、引いてる、引いてる!」
璃子が竿をあげた。みごとにヤマメがくっついている。
「璃子、釣れたじゃん!」
ニコニコ顔の璃子を横に魚を外し、再び餌をつける。璃子、3投目。
「ボス、また釣れたよ!」
横で釣りに挑む瑛汰は、何度浮きが沈んでも、みごとなほど魚をばらす。1匹も釣れない。
「お兄ちゃん、璃子はもう3匹も釣ったんだよ」
「いいんだよ。俺の竿、なんか変なんだわ」
瑛汰が1匹目をつり上げたとき、璃子は確か5、6匹釣っていた。兄貴の面目丸つぶれである。
ん? しかし、この池はあまり釣れないといったのではないか? しかし、針が池に沈んだかと思う間もなく、浮きは水面下に引き込まれ続ける。この状態は入れ食いと呼ばれるものではないか? 俺、詐欺にあったか?
「ああ、入れ食いですか。おかしいな。陽気のせいかな?」
結局餌がなくなるまでに、2人で11匹釣り上げた。こんなにたくさんの生魚、どうする?
焼いてもらった。生ならすぐに腐り始める。塩焼きにすれば、腐り始めるまでの時間を少し稼げる。何とかして桐生まで持ち帰ろうとの作戦である。
焼いてくれているお兄ちゃんに聞いた。
「この魚、どこから持って来てるの?」
「ああ、ヤマメはここから少し離れた場所で、うちで養殖してるんです」
「だったら、釣り堀用だけじゃなく、市場にも卸してるんだ」
「はい、卸してますよ」
「いくらぐらいで卸すの?」
「そうですね。100g250円前後というところですか」
ということは、店頭に並ぶときは1匹600円程度か。それが11匹だから6600円。焼いてもらっているから、手数料が1匹100円として7600円。
最後に会計をした。貸し竿、餌の代金まで入れて、何と7700円! 私の計算のなんと正しいことか。
焼いた魚はトランクに入れると暑さで腐り始めるだろうということで、次女が車内に持ち込んだ。私たちは、焼き魚の香りで充満した車で、その日の宿である「尚文」に向かい始めた。
いかん。まだ旅行記が終わらぬ。続きは再び明日とする。