04.05
しかし、酷いことになってきたものだ。世界がコロナウイルスに占領されている!
本当に酷いことになってきた。新型コロナウイルスはまだ止まるところを知らない。ただいま現在の死者数を挙げれば、全世界で6万1142人。それも時々刻々増え続けている。
国別で並べれば
・イタリア:1万4681人
・スペイン:1万1744人
・アメリカ:7406人
・フランス:6507人
・イギリス:4313人
というところがワースト5である。日本も東京の感染者がとうとう1日100人を超えた。明日はどうなるのか。
となると、何となくニュースが気になる。傍観者といってもよい私ですら時折テレビをつけてNHKのデータ放送で最新ニュースをチェックするほどだから、ニュース番組の視聴率は軒並み上がっているのに違いない。
となると、寄ると触るとシングな多コロナウイルスの話である。
木曜日、つまり今月2日に突然声がかかり、飲み会に出かけた。
「大道さんも呼んで」
といったのは、桐生の総合病院に今年から勤め始めた新米医者である。2日から整形外科に回され、
「今日は初日なのに手術を4件もこなしてきました。おかげで腰が痛い」
という程度のホヤホヤである。
しかし、医療の現場にいれば、いつコロナウイルスの感染者と濃厚接触しないとも限らない。私たちとはレベルの違う危機感を持っているはずである。
「年寄りって酷いですよ」
と、私に向けたエイジハラスメントとしか受け取れない発言をするのは、いつも彼が先頭である。この日もそうだった。
「何が酷いんだ?」
当てこすられているような私は、そう反問せざるを得ない。
「無症状なのに、心配で仕方がないから検査しろってくるんです。症状がないから検査をしても仕方がない、と何度説明しても、『不安で不安で仕方がないから、どうしてもやって欲しい』と言い張って帰らないんです」
ほう、桐生にはそのような分からず屋の年寄りがいるのか。どうやら「酷い年寄り」とは、私のことではなさそうだ。
しかし、総合病院なんだから、町医者の紹介状がなければ診察してもらえないだろう?
「それが、救急外来に来るんです。救急なら紹介状がなくても診察しますから」
なるほど。分からず屋であるだけでなく、知恵が回る年寄りでもあるのか。ふむ。
という彼がいま、何より不安に思っているのは日本での医療崩壊である。すでに慶応大学付属病院では院内感染が出た。その前には永寿総合病院でも集団感染が発生している。
「病院で感染が起きると、その感染者と接触した医者や看護師は隔離されます。1件感染が発生すると、10人、20人の医療従事者が現場を離れるんです。しかも、ウイルス感染を専門にしている医者が現場を離れることになる。医者っていったって専門分化が進んでいるんで、感染専門の○○先生がいなくなったから、整形外科や産科の医師に代わってもらうというわけにはいかない。だって、医者といったって彼等はウイルスには素人なんですから、どうしたいいか分からないんです」
と続いた彼の話は、だんだん悲観的な未来につながっていった。
まあ、先の見通しについては、彼もウイルス感染の専門医療はやったことがないので素人である。つまり、我々の素人談義の域を出るものではない。それに、あまり不安を煽っても仕方がないのでこれ以上は書かないが、いずれにしても現状は深刻である。
なのに、テレビに顔を出すアナウンサー、キャスター、それに様々な肩書きを持つテレビ芸人たちは、不安を煽ることに躍起になっている。
「事態の深刻さを多くの方にご理解いただこうと」
などと弁解するのだろうか、なーに、深刻ぶった顔をしてはしゃぎ廻っているだけではないのか?
と日頃苦々しく思ったいる私は、3月31日の朝日新聞に掲載された佐伯啓思・京都大学名誉教授の投稿に思わず膝を叩いた。少し長くなるが、転載する。
結果的にパニックを助長したのはテレビの報道番組でもあり、その大半は、私にはドタバタ劇としか思えなかった。たとえば、ある報道番組では、ある識者(私なら「テレビ芸者」と表現する=大道注)安倍晋三首相の休校措置を批判し、ちゃんとした根拠を示すべきだと、唐突な決定では現場が混乱するだけだ、という。ところがそのすぐ後で、中国、韓国からの渡航制限の決定に対しては、遅すぎる、もっと事態を深刻に受け止めてリーダーシップを発揮すべきだ、という。また別の識者は、これが排外主義につながることを危惧する、というわけで、万事、まったくチグハグなのである。
また連日、恒例の「今日の感染者数」の報告がなされ、事態の深刻さを訴えるかと思えば、専門家の「感染者数より死者数が問題だ」という見解を報道する。ここ2週間が目途だと首相がいった。で、2週間が過ぎたが目途が立たないとなると、それはあたかも政府の責任であるかのゆうな口ぶりである。政府の対応が場当たり的でその場しのぎだと批判するが、私には、政府を批判する報道番組も相当に場当たり的であるように見えた。政府を批判しつつ政府に依存し、問題の解決を政府に委ね、できなければ政府の責任を問うというこの構造は、今日の情報化社会のデモクラシーの姿そのものである。こうなると、政府の説明不足も含め、情報化とデモクラシーがパニックを増幅しているということも可能だろう。
さらに、この一節も味わっていただきたい。
(新型コロナ騒ぎの一方で、暮らしにゆとりが戻った一面もあるということをうけて)上の実感が正直なものだとすれば、今日のグルーバル資本主義のなかで、われわれはすっかり余裕もゆとりも失っていたということになる。市場経済や効率主義や過剰な情報文化は、われわれから思考能力も「常識」も奪い取っていった。人々と顔を突き合わせて話をし、家族や知人とゆっくりと時間を過ごす日常的余裕がなければ「常識」など消えてしまう。それだけではなく、この間の市場主義は、医療や病院という公共機関を高率にさらすことで、医療体制にも大きなダメージを与えてきたのである。
私の雑文とは月とすっぽんで、メデイアの問題、懸念が強まる医療崩壊の根源を的確に指摘する論文である。読んで頭が下がった。是非皆様にも目を通していただきたい。
ということで、今日もコロナ、多分明日もコロナ。NHKのデータ放送を見ても、ほとんどがコロナウイルス感染のニュースだもんな。当面、コロナから逃れることは出来ないということか。
おやすみなさい。