07.26
鰻が蕎麦に化けた話をしよう。今日のことである。
隣の足利市まで鰻を食べに行き、なぜか蕎麦と天ぷらを食って帰ってきた。今日のことである。
論理が混乱している話のきっかけは数ヶ月前に遡る。
「足利には安くて美味い鰻がありますよ」
と口にしたのは、その足利市に住むI君だった。
私が
「桐生は鰻が美味い。『こんどう』の鰻はとびきり美味いのだが、最近値段が上がってね。昔は鰻重の上でも2000円そこそこだったのに、いまじゃ3300円だよ。鰻の稚魚が捕れないっていうから仕方がないけどねえ。まあ、鰻を食わなくても死ぬことはないからいいけど」
と、最近の鰻情勢を語ったのに刺激されての一言だった。多分。
ん? 足利の鰻? 食ったことがないなあ。いわれてみれば足利も海のない町である。桐生と同じように織物で栄えた町でもある。だとすれば、淡水で育つ鰻の食文化が根付いていてもおかしくはない。
くわえて、近年の経済力を比較すれば、どうも足利に軍配が上がる。桐生ではついぞ見かけないしゃれた飲食店が生き残っているだけではなく、新しく開店してもいる。文化一般は蓄積された富が腐り始めて生まれるものだし、食文化はその地域の経済力が支えるものである。だとすれば、足利に美味い鰻があっても不思議ではない。
しかも、安いのだという。だとすれば、一度口にしなければならないのではないか?
という私の論理に迷いはなかった。ん? 論理に迷いなんてあったかなあ?
「そうなの。じゃあ、一度行こうよ。連れてって」
と頼んでその日は別れた。
そのI君から
「大道さん、明日は暇ですか?」
と電話が来たのが昨日昼過ぎである。私に「否」があるはずはない。
「相変わらず暇だけど、何か?」
「じゃあ、足利の鰻を食いに行きましょうよ」
「うん、行こう。俺が迎えに行くよ」
とトントン拍子で話がまとまったのである。
彼の提案で、12時半に彼を迎えに行くことになった。会ったのはJR小俣駅の近くである。この近くに住むらしい。彼を助手席に乗せ、その道案内で裏道を通りながら鰻屋を目指す。
「そこ、一方通行の道を入って。うん、もうすぐです」
道沿いに駐車場があった。車を入れる。すでに満車常態である。期待が膨らむ。
降りて施錠をして店に向かう。店舗の外見は古い。入り口に下がる暖簾にもなんだか時代が織り込まれている。いや、染みついているというべきか。ひょっとしていいんじゃない、この店?
引き戸を開けた。
「あら、すいません。お昼の鰻、全部出ちゃったんですよ。これから夜の仕込みなんですけど」
顔を出した中年過ぎの女性が、別に申し訳ないという顔をするわけでもなく、淡々と口にした。
「えっ、俺たち2人なんだけど、だめ?」
I君が取りすがった。が、
「なにしろ、仕込んだ鰻が全部出ちゃったんでねえ。出せるのがないのよ」
客に向けた愛想がないのは全国の老舗の通例である。足利もその例外ではないらしい。
「よし、だったら次の店に行きましょう」
なにしろ、我々は鰻を食べに来たのである。I君は次の鰻屋を指示した。指示に従い、私は車を翔る。
「あそこ、あそこなんだよ」
言われたとおり車を操る。
「あれー、暖簾が引っ込んでる!」
こうして我々は3店の鰻屋に門前払いを食らった。
「うーん、仕方がない。まだ食べたことはないけど、一度行ってみたいと思っていた鰻屋に行きましょう」
その鰻屋はつい先ほど通り過ぎたところである。うん、彼が食べたことはなくても気になっていた鰻屋なら何とかるかも知れぬ。それに、先ほど通り過ぎた時は営業していた。我々は鰻を食しに来たのであってみれば、この際、味は二の次にしてもいいのではないか?
「よし、行こう!」
再び車に戻った我々は一路、その鰻屋を目指した。あった、着いた。
「こっちの駐車場に入れてもいいのかな。聞いてきて」
I君が店に入った。出てきた顔が暗い。少し離れた駐車場に行けって言われた?
「営業時間が終わったんですって」
時計を見る。1時10分過ぎ。え、1時を10分過ぎると足利では昼食に鰻を食べることができないのか?
さすがに4軒も断られると、彼にも行くあてがなくなったようである。
「大道さん、何食べます?」
詰まるところ、最終的に向かったのは彼の自宅からほど近い蕎麦屋であった。2人で天盛りを腹に収め、再度車中の人になった時、時計の針は午後2時を回っていた。
「味、どうでした?」
「……」
以上が、鰻が蕎麦に化けた怪異譚である。
そう、あとは後日譚。
この日の支払いは私がした。2週間ほど前、私事に極めて近いことで彼にお世話になった。だから、この日の支払いは彼への感謝も込めて私がしようと決めていたのである。3000円也。
「だけどさ」
支払いを済ませた私は彼に通告した。
「今日の不始末は君の時間設定の甘さにある。あと30分早く設定しておれば我々は鰻を口にすることができたはずだ。よって、我々は当然リターンマッチを試みるが、その際の支払いは君に任せる」
彼が任されてくれるかどうかは神のみぞ知ることである。
そういえば最近、鰻には振られ続けである。M君が
「大道さん、いる?」
と川口市からやって来たのは21日だった。昼前に到着したので
「昼飯食いに行こうか」
と2人で出かけた。何を食べたいかと尋ねた私に、彼は答えた。
「鰻にしようよ」
行く先はもちろん「こんどう」である。我が家から車で10分。前を走っていた車が「こんどう」の駐車場に入った。我々も続こうとした。
「あれ、入れないわ」
運転していたM君がいった。我々の車だけでなく、我々の前に入っていった軽自動車も止める場所がなくて戸惑っていた。
「土用の丑だもんね、今日は。だから鰻だと思ったんだけど、桐生の人って土用の丑にはきっちり鰻を食べるんだ」
いやはや。前に書いたように、鰻なんて食べなくたって死にはしない。他にも美味いものは沢山ある。鰻が食えなければ他の美味いものを食べればよろしい。この日M君と向かったのは寿司屋であった。彼は新子(コハダの小さいヤツ)を別注して
「やっぱ、美味い! 食えるの、この時期だけだもんね」
と喜んでいたから、新子が随分高価だったことを除けば(支払いは私がしたから……)、私に不満のあるはずもない。
が、何となく鰻に避けられているような、嫌われているような気がして、モヤモヤするのはどういうわけか?
足利の鰻が、前にも増して恋しくなった私であった。