2020
11.23

焚き火だ、焚き火だ、落ち葉焚き♫

らかす日誌

我が家の前の桜並木が、葉をすっかり落とし終えた。ここ数日の強い赤城おろしで吹きちぎられた。桐生は冬支度完成である。
落ちた葉は春の花びら同様、我が家の駐車場に吹き寄せられる。強い風の中、いつものようにパイプ煙草を楽しむために駐車場で時間を費やしていると、目の前で枯葉が風に踊る日が続いた。面白いもので、時々刻々と変わる風向きに翻弄され続けているかに見える茶色い葉は、やがて隅っこに吹き寄せられる。壁と駐車場の段差で出来た小さな隅っこ、ゴミ入れ用のプラスチックの箱とバケツが作る小さな隅っこ……。よく見ると、駐車場には様々な隅っこがあり、それぞれに分散して寄り集まった落ち葉たちが寄り集まってそれぞれの国家主権を主張しているようでもある。

昨日、その主権国家どもにちりとりを突っ込み、根こそぎにしてやった。ちりとりで掬い取った落ち葉はそのまま桐生市指定のゴミ袋へ。ついでに、どの国家にも所属せずに思い思いの場所を陣取っている無国籍人どももほうきで掃き集め、ゴミ袋に入れた。これで来春の桜の時期まで駐車場の掃除は不要のはずである。

昔は落ち葉をかき集めると、焚き火をした。山となった枯葉に火を着け、サツマイモを放り込む。

焚き火だ、焚き火だ、落ち葉焚き♫

そんな冬の風物詩が姿を消した。火の用心、ダイオキシン対策、様々に理由はあげつらわれるが、何とも味気ないご時世になったものである。すっかり燃え終えてくすぶっている焚き火に木の枝を突っ込み、入れたはずのサツマイモを掻き出す。真っ黒に変身した芋は手に持てないほど熱いが、そこを我慢して二つに割ると黄色い身が湯気を立てて顔を出す。

あちちちち!

あの楽しみを奪われたいまの子供たちは、焼き芋とはスーパーで売っている食べ物の一つとしか知らないのではないか?

そういえば先日、アカデミー作品賞、カンヌ・パルムドールをダブル受賞して話題を一手にさらった「パラサイト 半地下の家族」を見た。格差社会の中での富裕層と貧困層を描き、批評家から絶賛されたと言われるが、私にいわせれば

「つまらぬ」

の一言で済む。だって、途中で一時、眠り込んだようなのだから。

この映画、いったい何を訴えたいのだろう?
シリアスな映画ではない。いつも含み笑いを隠しているような作風とでもいえばいいか。
ベンツSクラスとレンジローバーを所有し、いったい何平米あるのだろう? と首をかしげたくなる大豪邸に住む富裕層一家はどこまでもお人好しである。
一方、この富裕一家にパラサイト(寄生)する貧困層は2世帯あり、どちらも金持ちの栄養素の一部を取り込もうという悪知恵に長けている。しかもどこまでも前向きで、生命力に溢れている。暗さはみじんもない。
この貧困2世帯に利害の対立が生まれ、その衝突が富裕一家を巻き込んで殺人事件にまで発展するのだが、どこにも深刻さはなく、どこかおどけた調子で最後まで突っ走ってしまう。
この映画から、いったい何を受け取れというのか? 貧富の格差が開く一方の現代社会って、ここに描かれているよなものではないと思う私には、まったく理解の届かない世界である。
従って、まだこの映画をご覧になっていない方には、決してお薦めはしない。とはいえ、ご覧になるのは勝手なので、もし鑑賞して私と違う感想をお持ちになった方は、右上の「お問い合わせ」から感想を送っていただければ、私の今後の参考にしたいと思う。

この程度の映画が2冠王。そういえば、アカデミー賞、カンヌ映画祭、ベルリン映画祭、ベネチア映画祭、どれをとっても映画はどうやら、方向性を見失った時代に突入したようだ。

映画よ、どこへ行く?