02.10
三寒四温。春の足音が聞こえ始めた。ん? ゴジラの足音も……
今日は朝から暖かい。予報だと、この陽気はしばらく続く。三寒四温。3日寒い日があれば、4日暖かい日が続くという季節の到来だ。春がゆっくりとこちらに向かい始めた。遠くに足音が聞こえそうだ。屋外でのパイプ喫煙を強いられる身としては、できる限りピッチを上げて欲しいところである。
足音、といえばゴジラである。という断定は唐突すぎる? あのテーマソングに乗った、ズシンズシンという地響きで人々が逃げ惑う。1954年(昭和29年)に公開され、私の記憶に残る、最初の映画である。当時4歳か5歳だった私を映画館(確か、「大宇宙」といった)に連れて行ってくれたのは誰だったのだろう?
強引にゴジラに話を振ったのには意図がある。これからゴジラ映画の話を書こうというのである。我が家に蓄積されているゴジラ映画13本を昨夜見終わったからだ。保存する映画を選別する日々の作業が日本映画に及び、順番がゴジラ映画のかたまりにぶつかったのであった。
ゴジラブームのきっかけとなった「ゴジラ」(本多猪四郎監督)。唯一の被爆国である日本が創った映画として、当時繰り返されていた原水爆実験の恐ろしさに警鐘を鳴らしたとして世界的に著名である。あのハリウッドでも、何本もゴジラ映画が制作されたことを見ても、この映画が世界に与えた影響の大きさがうかがえる。
何しろ、原水爆実験が振りまいた放射性物質がとんでもない怪物を作りだした。それがゴジラで、ゴジラはまるで自分を返信させた人類に報復する使命を持っているかのように人間社会への破壊を繰り返す。破壊されるのが、一度原爆で破壊された日本の国土であることは納得がいかないあまり、本当は原爆を作って日上空から広島、長崎に落としたアメリカの本土を破壊させたかったのかも知れないとも考えるが、制作費の関係で出来なかったのだろう。だから、ここは「日本の破壊」ではなく、「人類社会の破壊」と読み替えて鑑賞すべきなのだろう。その程度の理解力は私にもある。
だが、理解するのはそこまでである。いまの目で、この映画を日本製SFの走りととらえると、アラばかりが目立つ。中でも口をあんぐりと開けてしまったのは、どんな兵器でも倒すことが出来ないゴジラを破壊する武器として登場する「オキシジェン・デストロイヤー」なる物質である。何でも、水中の酸素を即座に破壊し、ゴジラから呼吸を奪って殺すのだという。究極の殺人(殺ゴジラ?)兵器である。
この物質を水中に投ぜんか、たちまちにして中の魚は肉体が破壊され、骨だけになる。ああ、恐ろしい。
でも、酸素を破壊するって、いったい何のこと?
ここで私の頭は混乱し始めた。酸素を破壊する。酸素はO2という酸素分子として存在する。1個の酸素分子をバラバラにすれば酸素原子Oが2個出来るだけで、決して酸素を破壊することにはならない。じゃあ、酸素原子を核分裂させるということか? 酸素原子って核分裂反応を起こすんだっけ? ほかに
「酸素を破壊する」
という言葉に相応しい分子、原子の反応ってあったかなあ……。
それに、もしそれが出来たらアインシュタインのE=mc2の公式に従って、膨大なエネルギーが放出され、大爆発が起きることだって考えられる。そんな恐ろしいことを日本の国土でやっちまっていいのかよ……。
加えて、水中の酸素が破壊されて消え去ったとしよう。当然、酸素黒球が出来なくなった魚たちは死滅するだろう。でも、魚の肉が消え去るか? それなのに、なぜ骨だけ残る?
SFとは作り話である。「2001年宙の旅」のHALが、「ジュラシック・パーク」という娯楽施設が、現実に存在すると思う人は皆無である(この際、「UFOは実在する」と信じて疑わない人たちは除外する)。しかし、だからといって、SFは何でもありの世界ではない。
「そんなことがあってもおかしくはないよな。何年か、あるいは何十年か後には科学がもっと進歩、発達して現実になっているかも」
程度の科学性はがなければ単なるポンチ絵に過ぎない。とんでも科学を導入すればSFではなく、お子様向けのファンタジーになってしまう。
放射能による突然変異でゴジラが生まれた(ここにもやや疑問があるが、まあ許そう)、当時の兵器では太刀打ちできない怪物だった、あたりまでは一応の科学性がある。ゴジラが都市を破壊するのも、物理現象として説明できることだ。だから、この映画はSFだとは思うのだが、ゴジラを倒す武器を探しているうちに科学の大道を逸脱してしまった。オキシジェン・デストロイヤーねえ……。
あ、もう一つ気になったのはゴジラの顔だ。この初代ゴジラさん、極端な反っ歯で、歯がみんな外に向かって45°ほどの角度で斜めに突き出している。ゴジラの恐ろしさを強調する狙いだったかも知れないが、
「ゴジラ、どうやって物を食べるんだろう? あの歯でかみ砕こうとしたら、力を入れた瞬間にほとんどの歯が折れてしまうんじゃないか?」
ああ、そうか。ゴジラのエネルギー源は核分裂物質であった。ということは、ゴジラは食事をしない? だから、歯は単なる武器であって、食事の用に用いるものではない?
ふむ、それなら口も要らないのではないかと思われるが……。
続いて見た映画は
「ゴジラの逆襲」(小田基義監督、1955年)
「キングコング対ゴジラ」(本多猪四郎監督、1962年)
「モスラ対ゴジラ」(本多猪四郎監督、1964年)
「三大怪獣 地球最大の決戦」(本多猪四郎監督、1964年)
「怪獣大戦争」(本多猪四郎監督、1965年)
「ゴジラ」(橋本幸治監督、1984年)
「ゴジラ×メガギラス G消滅作戦」(手塚昌明監督、2000年)
「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」(金子修介監督、2001年)
「ゴジラ×メカゴジラ」(手塚昌明監督、2002年)
「ゴジラ2000 —ミレニアム—」(大河原孝夫監督、1999年)
「ゴジラVSデストロイア」(大河原孝夫監督、1995年)、
「GODZILLA ゴジラ」(ローランド・エメリッヒ監督、1998年)
以上である。これらについてはいちいちのコメントは避ける。
国産のゴジラについては、多分、最初の「ゴジラ」の興行成績に引っ張られて量産されたのだろうとしか思えないできである。核実験への抗議という当初の意図はどんどん薄くなり、怪物、あるいは怪獣同士の闘いに焦点が絞られる。
ま、それはある程度仕方がないとしても、怪獣同士の決闘場面は、何しろ図体がでかいので動きが驚くほど鈍く、見ていてちっとも興奮しない。ゴジラが都会に現れると、事前に避難勧告が出ていたはずなのに、ゴジラが見えるところを沢山の避難民が走って行く。
「あんたたち、ゴジラが来るのになんで逃げなかったの? 来たらどうして逃げるの?」
と突っ込みを入れたくてウズウズする。
死んだゴジラが、死んだモスラの粉を浴びて生き返るのも
「ああ、ゴジラもオカルト映画になっちゃった」
と意気阻喪させる原因である。
まあ、美点を1つあげるとすると、ゴジラが年を追って美形に変わっていくことだ。目鼻立ちが整い、第1作であれほど気になった反っ歯もいつの間にか矯正されている。
「ああ、この歯なら物も噛めそうだ」
と安心できる歯並びになっているから、やっぱり年齢は重ねるものである。
見た中で唯一のアメリカ製ゴジラ。インデペンデンス・デイなどを撮ったローランド・エメリッヒ監督ではあるが、この1本は駄作の極まりである。
どうやら、核実験がゴジラを生み出したらしいのでここまでは原作の枠に忠実だ。だが、この1点を除けば
?????
である。
このゴジラ君、ニューヨークに上陸する。とりあえずの破壊をし終えるとどこかに隠れてしまうのだが、地上におびき出さねば攻撃できない。そこで、猫に鰹節ならぬ、ゴジラに生魚とばかりに、あれはマジソン・スクエア・ガーデンあたりだろうか。おびただしい数の生魚が道路に積み上げられて山となる。すると臭いで分かったのか、ゴジラ君が顔を出してムシャムシャと食べ始めるではないか!
えっ、あんたの餌は核分裂物質じゃなかったのかい? 生魚の本場である日本では一度も魚なんて食べなかったよね……。
しかも、である。このゴジラ君、大量の卵をニューヨークの地下に産み付ける。ん? だとすると君は女性? ゴジラ嬢だったの?
しかし、たった1頭(と数えていいのかな)しかいないゴジラが、なんで卵を? あんたは無性生殖か? しかし、無性生殖で卵ってあったっけ?
それに動きが速い。車で逃げる人間を、驚異的な速度で追いかけ、追い詰める。あのズシン、ズシンという歩き方は片鱗もなく、スタスタスタスタ、という感じで駆け抜けていく。重厚さを旨とするゴジラにはあるまじき行動である。
ああ、そうだ。これは出来の悪い「ジュラシック・パーク」なのだ! ジュラシック・パークを脱走した「ゴジラ」という名前の古代恐竜がニューヨークを破壊するお話しなのである。
つや消しなのは、このゴジラ君、米軍のミサイル攻撃であっさりと昇天してしまうことである。まあ、恐竜ならミサイルで死ぬだろうけれども、日本のゴジラはあらゆる攻撃を跳ね返して生き続けるのだが……。
以上、悪口雑言を積み重ねた。
皆様の映画鑑賞の何かの助けになれば幸いである。