08.01
酒を飲みに出たら、本当にいけないんですかね?
デルタ株とかいうヤツに変身した新型コロナウイルスが大暴れである。東京の感染者はとうとう1日4000人を越え、神奈川、千葉、埼玉も過去最多の人数を毎日のように更新している。政府は3県知事の要請を受け、この3県にも緊急事態宣言を広げるのだそうだ。
しかし、だ。感染者急増の東京都はすでに緊急事態宣言下にある。それでも、感染者は増え続ける。つまり、緊急事態宣言を出すことには、感染防止の観点からは全く意味がない。行政府の
「努力してます!」
というアピール、言い訳、見せかけに過ぎない。
であれば、緊急事態を宣言することにどれほどの効果があるのか? 現状を見る限り、感染者抑制はほぼ望み薄。それでも出るのだ、緊急事態宣言。
政府も自治体も、跋扈するデルタ株に、ほぼお手上げ状態である。感染防止に責任を持つはずの政府には何の策もなく、ただただ、何かやってる振りをするだけだ。唯一の希望であるワクチンは、たっぷりあるという政府と品薄だという自治体で見解が異なる。そんなもの、きちんと調べればわかるはずだと思うのだが、現実は混乱が続くばかりである。
あてにしたくても出来ない連中が上にいる。どうなるのだ、世の中は?
それにしても、だ。感染者が増えると、いの一番にやり玉に挙がるのが酒である。自宅で飲む分にはどこからも文句は出ないが、飲食店での飲酒は厳しく制限される。
まあ、緊急事態である。外飲みがコロナ蔓延の原因になっているというはっきりした根拠があるのなら、我慢のしようもある。諦めもつく。しかし、確か昨年の早い時期、飲食店での酒を制限する理由として、感染の20%前後が飲食店で起きているという疫学調査が発表されたような記憶がある。だから、お店で酒を出すのはやめましょう、と。
不思議な気がした。飲食店での感染は全体の2割である。残りの8割は何処で感染してるんだ? 2割より8割の方がはるかに多いのだが、その8割はどうなっているのか? それをはっきりさせずに、2割の飲食店で飲む酒を感染の主犯に祭り上げるのは行きすぎではないか?
とはいえ、感染経路は特定しにくいのも事実だろう。通勤に使う公共交通機関で感染したとしても、同じ車両に乗っていた人を特定するのは困難である。車両内で感染したかも知れないが、車両を出ればそれぞれ違った目的地に向かう。翌日も同じ人々が同じ車両に乗り合わせるわけではない。発症はそれぞれ違った場所で起きる。感染場所が通勤電車である車両であると断定するのは事実上不可能だろう。
それに比べれば、密閉空間で、見知った仲間と数時間酒を酌み交わした間の感染は経路が辿りやすい。だから、外飲みが目立つ。
だが、たったといってはいけないかも知れないが、2割である。あの説明で、どれほどの人が納得したのだろう。
それに、事態は刻々と変わる。いまでも外飲みがクラスター発生の最大の場であるというデータが示されないまま、今回も外飲みがやり玉に挙がる。飲食店の経営者は暴動でも起こしたくなるのではないか?
必要なのは根拠である。飲食店での酒に制限をかけるのなら、
「ああ、それなら仕方ないよな」
と大多数が納得する根拠となるデータを示す。
政府がいうようにワクチンの配布体制、在庫に問題がないのなら、問題がないという詳細なデータを公開する。
若者に、ワクチンを忌避するムードがあり、それが感染拡大の原因になっているのなら、ワクチン接種に関するきちんとしたデータを示す。接種した人としない人で、どれだけ感染リスクが変わるのか。日本でも接種はかなり進んでいるのだから、まとめようと思えばまとまるデータである。東京で4000人を超す感染者が出た今日、新規感染の4000人のうちワクチンを接種した人は何人いたのか、それすら私達は知らされていない。
ワクチン接種のリスクについても同様である。すでに1回接種した人は40%に迫り、2回接種組は27.5%に達している。この中でどのような副反応が出たのか、副反応は薬物投与で押さえ込めるものなのか。副反応の後遺症はあるのか、ないのか。落命した人は何人いるのか。
あらゆるデータを公開しなければならない。国民はそのデータのに基づいて自らの行動を決める権利がある。データが示されないまま、ああしろ、こうしろと猫なで声で国民に語りかけるのはいい加減にしていただきたい。
行政機関が持つデータの公開は民主主義の基本であるはずだ。国民はあらゆるデータを理解した上で選挙で1票を投じる先を決め、自分たちの政府を作る、というのは紙の上にしかない立て前だろうが、最近の政治はあまりにも情報公開に後ろ向きすぎる。
様々なスキャンダルが報じられた安倍内閣は、情報を公開しないことで命脈をつないだ。モリカケ問題にしろ、桜を見る会問題にしろ、安倍内閣一貫して情報公開を拒んだだけでなく、情報のもみ消しにまで手を染めた。その安倍首相を支えたのが官房長官であったガースーである。民主主義の根本をないがしろにする姿勢は、安倍内閣と通じる。
突然コロナに襲われて、何をしたらいいか解らない、というのはガースー首相も私達国民も同じだったはずである。それでも、首相である以上、国民の不安を解消するため解った振りをしなければならない、とでも考えたのか。そりゃあ、我々と違って専門家を集めて対策を練らせる権限が首相にはある。だから、
「皆さんより私の方が解っています」
という顔も出来るだろうが、それでも感染拡大は収まらないのだから、ガースーさん、あなたはたいして解っていないのだよ。もう一度、
「私は解っていない」
という原点に立ち戻り、策を練り直されることをお願いする。
まあ、周囲の懸念を押し切ってGo toキャンペーンを始めたり、ごり押しで東京オリンピックを開催したガースーさんである。余り期待は出来ないが。
ああ、1つだけ
「ガースーは凄い」
と思ったことがある。
安倍お坊ちゃま首相は、調子のいいときは
「私が首相である」
という顔をし続けたが、日本でコロナの感染が広がり、学校の休校など思いつくことをやっても広がり続けると、
「僕ちゃん、お腹が痛い!」
といって首相の座を降りた。責任放棄も甚だしい。
それに比べれば、我らがガースー首相は、ちっともお腹が痛くならない。首相の座にとどまり続けて、四苦八苦しておられる。これ、安倍のお坊ちゃまより数段腰が据わっているのではないか? 名門の出でない分だけ根性があるのか?
だからといって、ガースー首相を支持する気には全くならない私ではあるが。