2022
12.21

無事、今朝病院を出て来ました。

らかす日誌

いやはや、入院とはビッグイベントである。これまで一度も入院したことがなかった私には全てが初体験。興奮しすぎたためか、あるいは馴染みのないベッドだったためか、昨夜はあまり眠れず、睡眠不足での退院となった。とりあえず。無事退院できたことを喜びたい。

突然だが、あなたは麻酔をかけられてことがおありだろうか? それも、歯を治療するときのホンのちょっとした麻酔や全身麻酔ではない。頭も含めて上半身は覚醒しているのに、腰から下の感覚が皆無になる下半身麻酔を? 一言でいえば、初体験の下半身麻酔は、私を別世界に連れて行った。

麻酔をかけられたのは午後6時頃である。お世辞にも清潔とはいえない手術室に連れ込まれ、手術台に寝かされる。私の身なりといえば、病院が用意した入院着、あるいは手術着とパンツのみ。

「はい、右を下にして横臥の姿勢をとって、そうそう、そして腰のあたりをグッと後ろに突き出して、おへそのあたりを見て」

まな板の鯉は指示に従うしかない。部屋の中を見回すと、執刀医を中心に、おそらく彼が麻酔医なのだろう中年の男性、そして私と同世代の女性、その3分の2ほどの年齢と見える女性3人。ま、私の記憶に間違いがなければ、我が肉体を弄ぶのはこの6人組らしい。

突き出した腰の先端あたりにチクリと痛みを感じる。部分麻酔の注射らしい。部分麻酔は麻酔の仲間には入れてもらえないらしく、しばらくすると、

「はい、これから麻酔をかけますからね」

と声がかかった。先ほどチクリとしたあたりに、何だか圧迫感を感じる。

「何をしてるんですか? もう麻酔薬を入れてるの?」

と聞くと、

「いや、今は針を差し込んでいるだけ。麻酔薬は針が入った後です」

なるほど、麻酔薬を吸い込んだ太い針の注射器を刺しているのではないらしい。先に針を刺し、薬剤はその針を通じて必要なところに流し込まれるのだろう。

ところで、麻酔が効くとどうなるのだろう?

「最初はね、何だか暖かくなるのよ。それから感覚が消える」

はあ、そんなものなのか。でも、まだ両足とも暖かくはならないけど。

「まだ麻酔薬を入れてないもの」

おっ、来た、来た! 何だか両足が温かくなってきたぞ。ホカホカだよ、これ。ん、何だか両足が消えていくような……。えっ、ここで私のパンツを剥ぎ取るの? それ、汚れてない?

「はい、ここで仰向けになりましょうね」

といわれたって、身体の自由が段々失われているのだが。

「はい、お手伝いしますから頑張って」

はい、頑張りましょう。おっ、両足が引き離され、それぞれ台に乗せられた。これ、映画で見たシーンじゃないか。女性が出産するときにこんな格好をさせられて、産婦人科医が股間をのぞき込むんだよな。ということは……。

あれー、両足どころか、腰から下が消えちゃったよ。おい、お前たち、本当にそこにいるのか?
右手は横の台に拘束されている。自由になる左手で腹から大腿部を触ってみる。ある、何かがある。何だかブヨブヨしている。ゴムでできた下半身モデルにお湯を入れて膨らませたようなものが私の身体にくっついている。叩いてみるとタップンタップンと中の湯が揺れるような気がする。出っ張った腹は仕方ないが、かつて柔道で鍛えた私の大腿部は筋肉質だと思っていたが、あれも中性脂肪のかたまりだったのか?

「はい、大道さん、それじゃあこれから組織を採っていくからね。取る時にパチンと言う音がするんですよ」

我が股間に顔を突っ込んだ執刀医がいった。まあ、股間を覗きこまれている私も情けないが、特殊な趣味をもたない限り、男の股間に顔を突っ込んでいる先生も楽しいはずはない。泌尿器科専門医とはなかなか大変な仕事である。

やがて、パチンと音がした。

「あれ、先生、いま採ったの?」

「はい、そうですよ」

「何にも感じないですね?」

「麻酔をかけてますからね」

ふむ、麻酔とはそういうものか。

手術台の上でまたを押っ広げ、仰向けに寝ている。暇である。することがない。やむなく私は「パチン」の数を数え始めた。
1、2,3……。

ん、なんだか呼吸がしづらい。咳をしようとしても、必要な空気量を肺が供給してくれないので咳にならない。無感覚の部分が上に上がってきたようである。みぞおちから下の感覚がなくなった。ひょっとして、これ、麻酔が肺にまで這い上って(ここ、しゃれ)呼吸が出来なくなるんじゃないか?

「あのー、息が吐き出しにくいんだけど」

死ぬにはまだ少し早いと思っている私はおずおずと聞いてみた。

「だったら、息を大きく吸い込んでみて。そうすれば肺は自然に縮むから息も吐き出せます」

なるほど。でも、先にいっといてくれなきゃ。

9、10,11……。

「先生、差し込んでいる針の太さはどれくらいですか?」

「うーん、シャーペンの芯の0.3㎜か0.5㎜ってとこかな」

はあ、なかなか太い針である。それが我が会陰部から皮膚を貫き、前立腺に尽きたって組織を引き剥がしていると思うと寒気がする。
だが、痛みは全くない。

16、17,18.

「はい、大道さん、終わりました。お疲れ様でした」

いや、私は寝ていただけである。疲れたのは先生の方でしょう。

こうして、前立腺の組織を採る作業は終わった。次は、私の巨体を部屋まで運ばねばならない。見回せば、女性4人を含む、それほど体格がよいとも思えない6人である。大丈夫か? 途中で取り落とす、なんて事故は起きないか? 私は身体の自由をほぼ奪われている。取り落とされたら自分の身は守れないのだが。

杞憂であった。手術台の横にストレッチャーが横付けされた。私の身体をこちらに移すらしい。でも、どうやって?
まず、私の左半身が持ち上げられた。前身を持ち上げるのではないからそれほど力はいらない。持ち上げてできた隙間にシートが入れられた。そして、このシートごと引張ってストレッチャーに我が体を移したのである。まな板の鯉はストレッチャーの鯉になった。

はあ、生検ってこの程度のものか。確かにそこにありながら存在感だけを消し去った下半身の不気味さに耐えることができれば、痛みはたいしたことはない、というか、ほとんど痛みはないのだから、楽勝である。

そんなことを考えながら部屋まで運ばれ、今度はベッドに移された。

「終わった、終わった!」

開放感が私を包んだ。
だが、それもつかの間だった。本当の違和感がそれからやって来ようとは、入院したことがない私には想像もつかなかったのである。

少し長くなりました。続きは次回ということで。