12.30
人間、誰しもミスをする。ヒッチコックもミスをした。
私の夜の映画鑑賞は、生まれて初めての入院後もきちんと続いている。そして、人物別に分けた映画は、すでにヒッチコックまで来た。
ヒッチコックはアルフレッド・ヒッチコックというから、あいうえお順に整理している私の本棚では、本来ならアラン・ドロン、アル・パチーノに続いて3番目に登場するはずである。ところが、仕分けをしたとき「アルフレッド」を思い出せず、「ヒッチコック」で整理してしまった。そのため、バート・ランカスター、ハリソン・フォードに次いで登場した。
これは私のミスである。あまり実害はないから、どうでもいいミスともいえる。
これから書くのは、ヒッチコック監督のミスである。
「海外特派員」を見た。1940年、欧州で第2次世界大戦が火の手をあげて間もなく公開された映画である。その時局を読んだのだろう。戦争勃発を前にした欧州に米国から送り込まれた特派員が主役の映画である。
毒にも薬にもならない政府発表記事しか送ってこないロンドン特派員に怒り心頭に発した新聞社の社主が、特ダネ以外には一切関心がない若手を欧州に送り出す。
「いま欧州で何が起きているのか。事実を書け!」
が社主命令だ。
彼はネタを探して飛び回る。やがて平和団体の仮面をかぶりながら、実は戦争の導火線に火を点けようとしている集団の陰謀に気が付き、それこそ当たって砕けろの取材を繰り返す。やがて陰謀に巻き込まれて暗殺犯を追いかけたり、殺されかけたりの騒動が起きるのは、まあ映画の約束事である。
彼は見事に陰謀をスクープし、その後も欧州を駆け回って特ダネを連発、すっかり花形記者になる。話の大筋はそんなところだが、私が
「そりゃあないだろ!」
と唖然としたのは最後のシーンである。
花形記者は放送局(多分、BBC)にアメリカ向けの放送を頼まれ、マイクの前に立っている。彼がしゃべり出して間もなく、ロンドンは空襲に見舞われ、放送局一帯が停電してしまう。イギリスがドイツに宣戦布告したあと、ドイツは執拗にロンドンを空爆したから、まあ、そんなこともあっただろう。
停電して、スタジオも真っ暗になった。さて、彼はどうしたか?
一度は防空壕への退避を考えた。ところが、
「アメリカの国民があなたの話を聞いているのよ!」
とフィアンセに励まされ、
「そうだな」
とマイクに向かってしゃべり続けるのである。
これ、ちょっと変だとは思いませんか? 周囲一帯が停電しているのですよ。スタジオの灯りも消えたのですよ。それでも、彼はマイクを離れないって、ありですか?
電気なしで放送ができますか?
この放送局はガソリンを燃料に電波を送り出しているの? 石炭を燃料に電波を送り出しているの? それとも木炭?
どう考えても変である。だって、電気がなければ電波なんて送り出せないでしょ?
電力会社からの送電が途絶えたときに備えて、緊急電源があった、とは考えられます。放送局だから、その程度の備えはなくてはいけません。しかし、です。緊急電源に切り替わったのなら、スタジオの灯りも点くはずです。真っ暗なスタジオでマイクに向かって話し続けるなんて、ありえないはずではありませんか!
いや、何もヒッチコック監督のミスを見つけてはしゃいでいるのではありません。
言いたいのは、名匠と呼ばれるヒッチコック監督でもミスをするということです。
しかも、です。この映画はヒッチコック監督だけで作ったのではありません。脚本家、カメラマン、俳優、音声さん、編集担当者……。恐らく数十人、いや、ひょっとしたら100人を超す人達が関わっていたはずです。ヒッチコック監督だけならケアレスミスも起きるでしょう。彼も私と同じ間違いを犯す生き物ですから。しかし、たくさんの人が関わりながら、誰も
電気が来なくては放送ができない
ということに気がつかなかったのか?
関わる人が増えれば増えるほどミスは少なくなるのは経験則である。新聞社でも、記者が記事を書き、デスクと呼ばれる中間管理職がその原稿を直し、整理マンと呼ばれる紙面レイアウト担当者が記事を読んで軽重を判断し、最後に校閲がミスの発見に全力を挙げる。この間、記者が自分の直された原稿を読み直す。
それだけ気をつけてもミスが発生するから、紙面に訂正記事が出る。私も何度訂正記事を書いたことか……。
まとまりがなくなってきた。私は、
「世界のヒッチコックもミスをする!」
ことに、ミスが多かった記者人生を思い出しながら親近感を覚えて、こんなことを書きたくなっただけであります。