01.02
さて、2023年はどんな年になりますことやら。
元日。桐生は朝から晴れ上がり、真っ青な空に雲が全く見えない快晴だった。気温も上がり、最高は12℃。まるで何かいいことが待ち受けているような年明けである。あと10日で前立腺生検の結果が出、半年近くで74歳になる私だって、少しは明るい気分になる。
皆様はどんな年明けを迎えられたでしょうか? 良き年になりますようお祈りします。
さて、そんな新年を迎えた私には、この日に果たさねばならない仕事があった。合格祈願のお守りを桐生天満宮に求めに行くのである。妻女殿の命令であることはいうまでもない。
神仏は全く信じない私だが、まあ日本人の慣習を楽しむぐらいのことはする。高校時代、大学受験を前にガールフレンドと2人、太宰府天満宮にお参りした。その程度の楽しみ方である。
結果からすると、私は1つしか受けなかった大学に落ちた。彼女は第一志望は外したが、第2志望に合格した。まあ学問の神様と言われる菅原道真公の神通力もその程度のものだ。
一節によると、頭のいい人は嫉妬深く、菅原道真公もその1人であった。故に、ガールフレンドと浮かれてやって来た田舎の受験生に嫉妬し、神通力を逆に使った、とも。
ところが4年前、横浜の瑛汰が中学受験をした年の正月、桐生天満宮で合格祈願のお守りを買い、瑛汰に持たせたところ見事に第一志望に入った。菅原さんの神通力というより、瑛汰が頑張った結果に過ぎないのだが、妻女殿は
「だから、買って来て」
今年、四日市の啓樹が大学を受け、横浜の璃子が中学を受験する。2人用のお守りを手に入れるため、私が派遣されたというわけである。
我が家から桐生天満宮へ。不思議なことに、いつもなら必ず止められるいくつかの信号が、何故か今日に限って「青」の連続だった。希有なことだ。
小さな駐車場しかないため、
「止められるかな?」
と思いながら車を走らせたのだが、これも待ち時間ゼロで駐車できた。
神仏も縁起も信じない私でも、こうなると
「だからこのお守りで、2人はきっといい結果を出す!」
と信じかけているのは不思議である。人間がやわになってきたか?
そういえば、年末に車輪の回転数を検知するセンサーが点きっぱなしなるだけでなく、ドライブトレーンのウォーニングまで出ていた私の車が、今日はセンサーのウォーニングしかつかなかった。
ドライブトレーンとはエンジンの回転を車輪に伝える機構らしい。つまりトランスミッション、デファレンシャルなどまとめたもので、こいつを修理するとなると軽く100万円を越すという。回転数センサーだけなら、タイヤの空気圧をこまめに点検し、ABSが働かないように急ブレーキを必要としない運転をすればすむ。修理を思い立っても10万円程度のものだ。しかし、ドライブトレーンとなると……。
百数十万の修理費を払わねばならないのなら、車を買い換えた方が利口だ、とは誰しもが考えることだろう。
しかし、私には車を買い換える資金がない。おまけにいまは、車用の半導体不足で車が満足に作れず、煽りで中古車価格も跳ね上がっている。こんな時期に車の買い換えを考えるのはバカバカしい限りだ。
だが、桐生では車なしの暮らしは考えられない。加えて、毎月1回、前橋まで妻女殿を運ばねばならない。そういう私だって医者通いが増えている。前立腺の障害がガンだと決まれば、前橋の群大病院で重粒子線の照射を浴びることになる。聞くところによると、重粒子線による治療は入院ではなく通院でやるとのことだが、治療が始まれば週4回のペースが守られるという。
なにしろ、車なしでは暮らしが成りたたないのである。
さて、どうしたらよかろう……。
そんなモヤモヤも、今日の走行でドライブトレーンのウォーニングが出なかったことから
「何とかなる?」
と思い始めるから不思議である。やっぱり、人間とは、溺れれば藁にもすがりつく生き物なのか?
相変わらずヒッチコックを見続けている。だが、少しげんなりしてきた。この人、粘着質ないやな人間なのではないか? と思ったのは、「裏窓」を見ての感想である。
カーレースを写真取材していて事故に巻き込まれ、左足を骨折してギブスで覆われているカメラマンが主人公である。身動きが不自由な彼は、裏窓から近隣住人の暮らしを覗き込むことで時間をつぶしている。
この設定が、何とも受け入れがたい。「裏窓」は1954年の公開である。ま、ジャーナリストの常としてたいして金はないらしいので、まだ高額であったろうテレビを部屋に置いて時間をつぶすことはできなかったろう。しかし、それなら本を読めばいいではないか。ジャーナリストである以上、カメラマンとはいえ日々の読書で教養を積むのはいい仕事をするために必須である。ところがこのカメラマン、一度も本を手にとらない。
とにかく、覗き見に徹するのである。ある時は随分高額だろう双眼鏡を取りだし、それで満足な映像がとらえられないと、仕事用のカメラに大きな望遠レンズを取り付け、ひたすらピーピングトムに徹するのだ。実に気持ちの悪い、ナメクジみたいな男である。
その挙げ句、向かいのアパートに住む男に、妻殺しの疑惑を持つのだ。戦友の刑事を呼び出し、執拗に
「あいつは自分の女房を殺したんだ。なぜ捜査しない?」
と、覗き見した事だけを根拠に言いつのる。
同じ物事でも、ある先入観を持って見れば疑わしく見えることは多々ある。その典型例がこのカメラマンで、彼の論理を追いかけると、どう見ても精神に異常を期待しているとか思えない。
見ていて、不快さが時とともに膨れあがる映画である。精神の異常は主人公のものか、それともこの映画を作ったヒッチコックのもんか?
結末は、それでもこのカメラマンの妄想とも思える主張が真実で、向かいのアパートにいた男は妻を殺したらしい。それで映画は終わるのだが、何とも後味の悪い映画である。
それなのに、専門家の評価は高いらしい。ウィキペディアによると、映画批評家は
「ヒッチコックはこの傑作でサスペンスの才能を存分に発揮した」
と絶賛。10点満点による評価は9.2点、というから恐れ入る。専門家とはその程度のものとしか言い様がない。
私も、ヒッチコックの一部の作品は好きである。だが、こんな映画を見ていると
「ヒッチコックって、どこか精神的に病んでいたのではないか?」
という思いがして仕方がないのである。