01.14
Eric Claptonの日本公演に行くことになった。
あのEric Claptonが公演活動を再開し、来日することになった。知ったのは、四日市の啓樹が教えてくれたからである。
「あのさ、4月21日のチケットが取れたんだよ」
啓樹によると、4月21日、日本武道館での公演は、Claptonにとってちょうど100回目の武道館公演になるそうだ。
「だから、何かか起きるんじゃないかと思って、この日にしたんだ」
チケットは1枚2万円。それはそれは、思い切った投資をしたものである。
「それで、大学に受かったらお父さんとお母さんからのプレゼントで、落ちたら借金なんだ。大学生になってアルバイトをして返さなくちゃならない」
啓樹は今年、大学受験生である。今日からセンター試験が始まった。今頃、試験問題を前に唸っているに違いない。
「だったら、死に物狂いで受かるしかないな」
啓樹は、とある国立大学の工学部を目指している。
「うん、やるよ」
やって欲しい。ボスは大学生になった啓樹と酒を酌み交わす日を一日千秋の思いで待っている。
「ところで」
と言葉を継いだのは私だった。
「武道館もな、音のいい席と、雑音にしか聞こえない席、斜め後ろ姿しか見えない席がある。どこの席だった?」
何度も武道館に足を運び、Eric Claptonを聞いた私の体験から出た質問である。
「それはまだ分からないんだけどね」
そんな話をしていて、ふと思い出した。そうだ、桐生の刺繍作家の大澤紀代美さんが、ウドー音楽事務所(Eric Claptonの招聘元)の元社長と仲が良かったんだ。高橋さんという元社長さんは桐生の出身で、大澤さんを敬愛しているらしい。
「おい、啓樹。そんな人がボスの友だちでな。関係者席を頼んでもらってみようか? 社長は辞めちゃったらしいからできるかどうか分からないけどな」
「えっ、ほんと! すごい! 頼んでよ!!」
というわけで、大澤さんにお願いしたのは、確か年末だった。
「ということなんです。無理してもらうことはないけど、いい席のチケットが取れたらありがたいので、頼むだけ頼んでみてもらえませんか?」
大澤さんは高橋さんと連ら木をとってくれたらしく、電話を頂いたのは年明けだった。その指示に従い、高橋さんにメールを送った。
「高橋様。大澤紀代美さんを通じて無理をお願いした大道裕宣です。クラプトンの日本公演は1999年からほぼ毎回楽しんできました。今回は18歳の孫が『行きたい』といいますので、出来ることならいい席で聞かせてやりたいと思い、無理をお願いしております。ご多忙のところ恐縮ですが、よろしくお願いします。私も同行しようと思いますので2枚とって頂ければ幸いです」
話はトントン拍子に進み、一昨日、ウドー音楽事務所から、関係者席に登録したとのメールが来た。ただし、混み具合によっては抽選になり、その結果は2月初めに分かるとあった。
それだけでも大変なことである。ありがたいことである。
さっそく、高橋さんにお礼のメールを出した。
「昨日、『関係者受付』に登録したとのメールを頂きました。お世話になりました。あとは当選するのを待つばかりです。心から感謝します。大澤さんを交えてお目にかかることができる日を待ち望んでいます」
すると、直ちに
「既に当選してます」
というメールが送られてきたではないか!
すぐに、センター試験を前にした啓樹に知らせたのはいうまでもない。というわけで、今日試験問題と取り組んでいる啓樹は
「4月21日になったら、最高の席でClaptonが聴ける!」
とわくわくしながら鉛筆を握っているに違いない。浮かれすぎて、ミスを繰り返さねばいいのだが……。
そういえば Clapton は、私が朝日ホールの総支配人時代、何とか浜離宮朝日ホールに招くことができないか、と考えたアーティストである。詳しい経緯は「2019年2月6日 総支配人 その17」に書いたので、再読になるかも知れないが、お読み頂ければ嬉しい。
しかし、Eric Claptonは1945年3月30日の生まれである。私より4つ上。ということは、来日する頃は78歳だ。
最新のアルバム「レディ・イン・ザ・バルコニー」のBlu-ray版では、かなりふくよかになった姿で、せり出したお腹にギターを乗せて弾いていた。でも、決して枯れたとはいえない演奏に聞こえたが、年齢は年齢である。日本公演も、ひょっとしたらこれが最後かも知れない。
4月21日、武道館で心して楽しむことにする。