2023
02.08

なるほど、これはNHKの経営戦略であったか。

らかす日誌

このところ、NHKの大河ドラマが全く面白くない。昨年の「鎌倉殿の13人」はドタバタホームドラマだし、その前の「青天を衝(つ)け」も似たり寄ったり。「麒麟(きりん)がくる」は、農民が色鮮やかな衣服を身につけているのを見て、

「へーっ、この時代の農民はそんなに豊かだったのか?」

と驚いた。着物に色を付けるのは極めてコストがかかる。赤に染めるには高価な紅花が必要だし、濃く染めるには何度も染色液に漬けなければならない。自然の中に緑の染色剤は存在しないから、まず藍に染め、その上から黄色に染める。2つの染色液の組合せで緑を濃くしたり薄くしたりする。どう考えても、農民がそんな高価な着物を身につけられるはずがない。

「時代考証って、NHKではもう死語なのか?」

と唖然とさせられた。

いだてん ~東京オリムピック噺~」はオリンピック景気を盛り上げようという意図が見え見えだし、「西郷(せご)どん」には、親友がやがては敵味方に分かれて殺し合う歴史の恐ろしさがまるで匂わなかった。「おんな城主 直虎」は

「何、これ?!」

だし……。

今年放映中の「どうする家康」に至っては、コメディタッチのホームドラマでしかない。

「そんなにくさすのなら、見なきゃいいだろ?」

ごもっともである。だが、午後6時は私が夕食を取り始める時間である。食卓の話題とてない老夫婦であれば、食事時のテレビは欠かせない。そして日曜日午後6時はBSで大河ドラマが放映される時間なのだ。ほかに見るに値する番組をやってない以上。大河ドラマ鑑賞は避けることができないのである。

常日頃、そんな思いを抱えている私が最近、とある民放BS局のプロデューサーに出くわした。さりとて話題もなく、何となく話の繋ぎに、

「何でテレビ局に入ったの?」

と聞いてみた。別に、彼の選択に関心があったわけではない。単なる話の繋ぎにすぎない。

「シナリオ・ライターになりたかったんです。テレビ局に入ればそんな仕事ができるのではないかと」

なるほど。しかし、シナリオ・ライターとはテレビ局の外にいて、テレビ局、あるいは製作会社の依頼を受けてシナリオを書くのではないか?

まあ、それはどうでも良い。シナリオ・ライターを目指したのなら、聞きたいことがある。

「ねえ、このところのNHKのドラマって、シナリオがひどくない? 大河ドラマはホームドラマのコメディになっちゃって歴史的事実なんて軽視されてるし、朝の連ドラも世間知らずが書いているようにしか思えない。おいおい、あの時代は女が仕切ってたのかよ、とか、そんなことしてたら会社をつぶしちゃうぞ、とか。なんか、安心してみられないんだよね」

さて、私の目に映っているつまらぬシナリオは、元シナリオ・ライター志望者の目にはどう見えているのだろう? それが私の問いかけの趣旨であった。

「あ、NHKさんね。あれ、若い連中に媚を売っているんです。いや、いまのNHKは若者に媚を売らなくちゃならなくなってるんですよ。だから、大河ドラマにもジャニーズ系を多用して、安直なホームドラマのコメディにしてるんです。そうすれば若い連中が見てくれるんじゃないかと」

しかし、天下の NHKがどうして若者に媚を売る?

「いまね、若い連中がテレビを見てくれないんですよ。だから、我々民放はスポンサー集めに四苦八苦してるんです」

いいじゃない。NHKは自分の番組を見ていようと見ていまいと、テレビがあれば受信料を取っていくでしょ。若いヤツに媚なんか売らなくたって経営は揺るがないじゃないの。

「いや、若い連中はそもそもテレビを持たないんです。いくら天下のNHKでもテレビを持っていない人達から受信料を取るわけにはいかない。だから、何とかして若者をテレビの前に引き戻したい。ジャニーズ系の多用も、歴史物を甘ったるいホームドラマのコメディにしちゃうのも、そのためなんです」

なるほど。と私は得心がいった。そうか、若い連中はテレビを持たないのか。代わりにスマホで YouTube を見て時を過ごす。私の感覚からすれば異邦人である。YouTube何が面白い?
でもね、若い人。YouTubeもスマホの小さな画面で見るより、50インチ、60インチの大画面で見た方が迫力があっていいと思うけどな、おじさんは。いや、おじいさんは。
といっても、多分通用しないのだろう。
私も、1日3度の食事時を除けば、全くテレビを見ない。いまの若い連中は綿に輪をかけてテレビから離れているということか。

マスと呼ばれるメディアでまず凋落したのは、新聞・雑誌という活字メディアだった。いまや、テレビが新聞に続こうとしている。浮上しているのはネットだけである。
それでいいのか? 中身の真実性を誰がどう保証するのか? と苛立ってみても、この流れを押しとどめるのは無理だろう。

しかし、新聞が衰え、テレビが廃れば、次に見捨てられるのは、いま我が世の春を謳歌し始めたネットであることは間違いない。春が過ぎれば夏になり、やがて秋を経て厳寒の時を迎えるのは自然の流れである。インターネットだけが100年も200年もメディアの真ん中に鎮座し続けるはずはない。その時、どんなメディアが頭をもたげるのだろう? 活字メディアが再興することはないのだろうか?

いや、まったく、世の中の流れとは見極めきれないものである。